ハイカットとジョガーパンツ

雑記
04 /14 2016


ジーンズの股上が、深くなってきている。
GUの目玉商品?の「マムジーンズ」は「お母さんが昔はいていたジーンズ」のことで、
ローライズがブームになる前の80~90年代っぽいデザインのジーンズをそう呼んでいるらしい。
2000年頃にローライズのジーンズが流行り始めてから、男女問わず若者が穿いているのはローライズだった。
ブーツカットやスキニーなど形は色々変わったけれど、基本的に股上は浅く、腰骨に引っかけるように穿くのが普通だった。
2007年頃にへそまであるジーンズが流行るといわれたこともあったけれど、ワンシーズンだけ、それもほとんど流行らずに終わった。
時期的に少し早かったんだろうな。
その頃はまだハイウエストのジーンズは、ファッションにあまり興味のないマダムなんかには現役のファッションで、
おしゃれ大好きな若い女性には抵抗があるものだったと思う。
それから10年近い時が経ち、「若者」も「世代交代」した。
今10代後半~20代前半ぐらいの子たちは物心ついた頃にはローライズのジーンズが巷に溢れているのを見てきた世代だ。
その子たちからすると、ローライズのジーンズを愛用していた30代こそ、「おじさんおばさん世代」であり、ローライズのジーンズは古くさいファッションに見えると思う。

もっとも、若者ファッションにジーンズが欠かせないアイテムっていうのも、ちょっと古い感覚のようで、
ジーパンよりジョガーパンツ(ジョギング用トレーニングパンツ。裾が絞ってある) を好む若者も多い。
よりスポーティーなアイテムが好まれる傾向にあるようだ。
実をいうとジョガーパンツにはちょっと抵抗もあって、ズボンの裾が絞ってあるのがどうしてもオシャレに見えなかった。
でもゲイナイトで若いゲイの子たちが穿いてるのや、いわゆるシャイニーなゲイのインスタグラムでも穿いてる人が写ってて、
若いオシャレなゲイは抵抗ないということがわかってきた。
若い子が受け入れてるファッションに抵抗があるのは、感性がおじさんになった証拠だ!という変な焦りもあり、ジョガーパンツを購入してみた。


※写真はイメージです。

結構悪くない!
意外と自分には似合ってる!
何より手持ちの服と合わせてみると、2~3年前に買った服でも新しく見えるし、自分自身も若返って見える。
というわけで今では結構お気に入りのアイテムになった。
うーん、購入の動機といい、購入後の感想といい、オババゲイそのものなのだけど。33歳、気になるお年頃なのだ。
ちなみにへそまでジーンズはさすがに購入する気にはなれなくて、もう少し世間に浸透してからにしたい。
だって‥‥ねぇ?中学生の頃穿いてたジーパンみたいで、どうしても‥‥。
流行といって、すぐに飛びつくことが出来る年齢でもないのだ。

「新しい流行」に抵抗ある人は、何もおじさんおばさんに限らず、若い世代にもいる。
新しいアイテムに対して否定的な人が、必ず口にするのは、「日本人には似合わない」。
ローライズが流行ったときは、「足の短い日本人には似合わない」だった。
そして今ハイカットのジーンズが流行り始めたら「お尻が大きく見えてスタイルよくない日本人には似合わない」という。
これだったら、そもそもジーパンは日本人には合わないってことになりそうだけど。
でも海外から直接買いつけるならまだしも、日本で買う洋服なんて、日本人向けにデザインし直されたものじゃん。
心配しなくても、足が短くてスタイル悪い日本人に合うようなアイテムが店頭に並ぶよ。

たかがファッションではあるけど、わたしは新しいものには敏感でありたいと思う。
保守的にはなりたくないんだよね。
だからこれからも、若作りを続けていくだろう。

2月~3月のお出かけ

雑記
03 /23 2016
城崎温泉




広島






2月には城崎に温泉旅行に行ってきました。
つい先日ですが、広島のゲイミックスナイトにも行ってきました。
たつやと一緒です。

旅行に行く度に、今度はあそこに行きたい、あんなところにも行ってみたいという話になります。笑
ゲイナイトは二人とも大好きなので、共通の趣味が持てたことがうれしいです。

あなたには何が見えますか?

シリアス
02 /02 2016
2015年は、色んな意味で同性愛者たちには忘れられない一年になったと思う。
アメリカでの同性婚合憲判断や、渋谷区や世田谷区でのパートナー証明書発行といった(恐らくは)平等な社会への一歩となるニュースが飛び交った一方で、
年末には地位のある人たちが「同性愛は異常」と発言する、厳しい現実を突きつけられるようなニュースもあった。
いずれにせよ、ニュース番組や新聞でLGBT関連の話題を目にする機会はすごく増えた。
当事者の意識はそれぞれで、一連のニュースに対して一喜一憂する人もいれば、一歩引いて冷ややかな視点を持つ人もいた。

これは個人的なことなんだけど、わたし職場の飲み会で、二次会の席でぽろっとカムアウトしちゃったのよね。
若い男の子数名しかいなかったし、いちいち隠すの面倒くさいし。
だいいち「ホゲっぱなし」「歩くカミングアウト」の異名を持つわたしが「男に興味ない、女が好きだ」なんて白々しい。
わたしは白々しいの大嫌いなのよ。
それはともかく、やはり20代の男の子がほとんどの席だったし、あからさまにビックリ仰天したり、拒絶する人はいなかった。
「だいぶ市民権を得てきましたしね~」って言う人もいたわ。
「市民権を得た」って言葉はちょっと、いや相当引っかかるのだけど、若い世代のノンケさんはこういう感覚なのかしらね?って思ったの。
自分の周囲を「世間一般」っていったら怒られちゃいそうだけど、やはりカムアウトしたときの風当たりとか、反応はここ数年変化してきたって感じる。
若い世代になればなるほど、抵抗はないんじゃないかしら?

ただ「市民権を得てきた」といいつつ、わたしたちを取り巻く環境、法制度や公的な補償に関しては何も変わっていないし、
渋谷区や世田谷区、それに追随する自治体が発行する証明書に何の法的な拘束力はない。
携帯キャリアや生命保険の分野でも同性愛者を対称としたサービスが増えてきつつあるけど、例えばパートナーに何かあって、最悪の事態になったとしても病院の集中治療室にはいまだに入れない。
同性結婚式やLGBTビジネスに一喜一憂するのもいいけど、自分たちが本当に何を望んでいるか、欲しているのか当事者も立ち止まって考え直す段階にきてると思う。
実をいうと、LGBTビジネスに関してはわたしついていけない部分もあるのね。
とうとう代理母ビジネスまで始める人まで出てきた。
ゲイのための代理出産と卵子提供セミナー

子ども‥‥ねぇ‥‥。
わたしは子ども好きじゃないし、欲しいとか思わないし、正直代理母の人権が気になるんだけど。
これビジネスにしちゃっていいの?と思ったり。

こういう現状にいまいちついていけないのも、わたしの心が歳をとった証拠かもしれない。
このブログ読み返してみてもわかるけど、わたしは基本的にミーハーで、新しいものは何でも歓迎してきた。
10代のゲイレズビアンなんかは、わたしの世代なんかが想像すら出来なかった人生設計を既に立てているのかもね。
わたしなんかが何か言ったとしても、ババアは引っ込んでろよ!って言われるかもしれないわ。

‥‥というわけではないけれど、わたしが10代の頃、非常にショッキングな事件が起きた。
2000年の2月11日。
一人のゲイ男性が、暴行の末に殺された。

新木場 夢の島殺人事件

詳細は上記のリンクを参照して欲しい。
新木場夢の島公園は野外ハッテン場(相手を見つけ、セックスをする)として知られていた。
被害者Sさん(当時33歳)がそこを訪れ、「ホモ狩り」と称してゲイから金品を巻き上げる少年グループに暴行され、殺された。
少年たちは、「ホモは警察に届けない」という理由でゲイの男性たちをターゲットにしていた。
実際に届け出ず、金品をとられたり暴行される被害者はたくさんいたそうだ。

野外でセックスにおよぶということに対して、不快な顔をする人もいるだろうけど、昔は夜の公園といえばゲイに限らずカップルご用達だったという。
特にゲイにとっては出会いのツールも今ほど発達していなかった時代だ。
いずれにせよ恐喝されたり、暴力をふるわれるいわれなんかない。
何より被害にあったゲイが警察に届けなかったのは、野外でセックスすることの後ろめたさからではなく、ゲイであることがバレるのが怖かったからだ。
多くのゲイにとっては、絶対に知られてはいけない秘密だったのだ。

16年前の事件。
最近の出来事ととらえるか、昔のことと感じるかは年齢によると思うけど、被害にあった人たちにとってはいまだに生々しい記憶だと思う。
亡くなったSさんは33歳。
今のわたしと同じ年齢だ。
わたしがこの事件のことを知ったのは2001年だったのだけど、正直あまりSさんに共感できない部分もあった。
お互いのことをよく知らないのに、出会ってすぐにセックスしたがるゲイの慣習にまだ馴染めてなかったし、野外ハッテンなんかするからでしょ‥‥?という気持ちもあった。
それからいくつか恋もしたし、刹那的なセックスもたくさん経験して、今彼と同じ年齢になり、いつの間にか共感する部分が多くなった。
辛かったでしょう。
声が届くのなら、彼に伝えたい。
暴行されて死んだこともだけれど、彼が抱えていた抑圧の日々に対して、そう思うのだ。
ご存命なら50歳手前になっているだろう。
掲示板やアプリを利用して性生活を楽しんでいたかもしれない。
あるいはパートナーに恵まれていたかもしれない。
今でも野外ハッテンを楽しんでいたのかもしれない。
それらの可能性は全て摘み取られてしまったのだけど。

Sさん、あなたには何が見えますか?
2016年はどんな時代に見えますか?

問いかけても答えは返ってくるはずもない。
彼が背負っていた、ゲイであることの重みは過去のものなのだろうか?
レインボーフラッグがはためく今の時代だからこそ、考えるべきことはたくさんあると思う。

がんばれゆとり世代

雑記
12 /05 2015
ついこの間まで「平成生まれなんてガキだよね」 と思っていたのだけど、気がついたら平成も28年を迎えようとしていて、来年には21世紀生まれ(早生まれの子たちね)が高校に入学する。
21世紀生まれなんて「ガキ」どころか「幼児」ぐらいに思っていたけど、 先頭はもうローティーンなんだよね。
そりゃもう自分も歳をとるわけで、気がつけば33歳になっていた。
歳はとっても平成生まれの彼氏からはいまだに何か子ども扱いされているのだけど、そんな彼ももう20代半ばだ。
平成生まれの子たちは大人の領域に足を踏み入れている。
昭和っていうと、何かもうすっかりアダルトなイメージだ。

平成生まれの若者というと、どうしても「ゆとり世代」という印象がつきまとって、知識のなさや常識のなさがバッシングされたりもしたけど、最近はバッシングも少し沈静化してるように思う。
一般的に「ゆとり世代」というと高校生からゆとり教育を受けた1987年(昭和62年)生まれから、2003年(平成15年)生まれの人のことをいうそうだ。
これには異論もあって、小中学校では2012年(平成24年)、高校では2013年(平成25年)から施行された「脱ゆとり教育」課程を受けた人たちは「脱ゆとり世代」という呼び方をする人もいるらしい。
具体的にいうと1996年(平成8年)生まれ以降の子たちだ。
ここらへんにこだわるかこだわらないかは人それぞれだけど、「ゆとり世代」という言葉は蔑称でもあるので、当事者の中には気にしている人もいると思う。

さすがに「円周率は3」を今でも信じている人は少ない‥‥と思うのだけど、マスコミの無責任な報道のせいでゆとり世代は知識も教養もない人たちみたいなイメージを持つ人も少なくない。
確かに教える内容は3割削減されたし、教科書が薄くなった(特に社会科ね)のも事実。
そうなんだけどそもそも、その削減された内容って、大人たちは覚えているんだろうか?定着してる?
昭和57年生まれのわたしはゆとり教育は受けてないけど、高校の数学なんて何一つ覚えてないし、今テスト受けたら余裕で0点だよ。
それでも一応大学は出ているけど。
これは多分「つめ込み教育」という教育課程を受けた、今50代ぐらいの人でも似たようなもんだと思う。
もちろん大学や専門的な研究機関だと問題になったことはあっただろうし、それで損失もあっただろう。
でも大半の人の人生には教育課程はそれほど影響してないのも事実だ。
個人としての知性や教養は、あまり年齢や世代は関係ない。
ましてや社会常識がないってのは、ゆとり云々関係ないじゃん。
若者なんてそんなもんだし、おっさんおばさんも常識ない人たくさんいるよ。
いつの時代にもある若者叩きに、「ゆとり」という言葉が使われて、本当に可哀想だと思う。

わたしは実は、今の若者好きなんだよね。
「ゆとり世代」といわれる若い人たちが。
あまりに怖いもの知らずで、ちょっと心配になることもあるけど、すごく意欲的で行動力がある人が多いと思う。
わたしたちの世代でもそうだったし、もっと上の世代でもそうだっただろうけど、若者は政治について語るのを避けてきた。
社会運動的なものとは一歩引いているのが普通で、話題に出すにしてもどこか他人事で語るのが精一杯だった。
もちろん若者全体のうちでは、ほんの一握りではあると思うけど、原発問題や安保法制に声をあげた人たちにはたくさんの若者がいた。
顔出しで表に出るリスクを背負いながら、自分たちの言葉を一生懸命発していたのだ。
運動の中身や方法論に対して批判もたくさんあったし、問題も色々露呈してはいるけれど個人的には大きな一歩だと評価するべきだと思う。
もちろん今後もこの流れが継続するって前提だけど。
少なくとも冷笑主義で嘲笑っていただけの大人たちより、若者たちは真剣で誠実だった。
そんな情けない大人たちのどうでもいいような笑いより、受け取ってほしい言葉はたくさんあるよ。

「がんばれ」は「頑張れ」ではなく、「顔晴れ」だと受け取ってほしい。
がんばれ若者たち、がんばれゆとり世代、そしてがんばれ大人たちも。

味わいのある人生

雑記
11 /15 2015


いつもは車で通りすぎてしまう道も、歩いてみると全く違って見えることがある。
何の変哲もない、殺風景な景色なのにしみじみとした感慨があったり。
あえてゆっくり歩いてみたり、歩みを止めてみたり、時には後ろを振り返ってみたり、そうすることで新たな発見がある。
人生も同じだと思う。
生きていくことって味わい深い。

和江がBAdiに載る日

雑記
09 /24 2015
先月号ですが、わたし、BAdiに載ってます。


これは「載ってる」んじゃなくて「写りこんでる」っていうんだよ!!!
というツッコミはどうぞご容赦下さいませ。笑

70年目の夏

雑記
08 /19 2015
毎年やってくる8月15日、終戦記念日だけれど、今年は戦後70年にあたるので例年より特別な思いがあった人もいると思う。
安保法案について国会が紛糾している最中でもあるし、70年間続いてきた平和国家としての日本が大きな転換点を迎えようとしている。
保守派で改憲派の学者ですら違憲だと批判せざるを得ないような法律を押し通そうとされている。
国会中継やニュースを見れば、総理も防衛大臣も、野党からの質問にまともに答えず、まるで壊れたレコードみたいに言いたいことだけを言い散らかしているだけ。
戦後70年目の夏、日本の政治は明らかに異常な事態に陥っていると思う。

自民党の武藤貴也議員が、安保法案反対デモに参加している若者たちを、
「戦争に行きたくないという利己的な若者たち」と批判しているのを知ったとき、何だか背筋が寒くなってきた。
右派の政治家が問題発言をすることは、今までいくたびもあったけれど、それでもこんな露骨な発言をすることはなかったように思う。
ある程度「建前」だけは守ってきていたのが、今はもう「建前」すらない。
武藤議員の発言に、怒りをぶつける人はたくさんいたけれど、この発言で彼が辞職に追い込まれることはなかった。

そりゃ、言論の自由というものがある以上、辞職するのが当然とは言わない。
でも自由に発言をする以上、自分の言うことに責任は持たなきゃいけないでしょ。
あんな謝罪したんだかしてないんだかわからない、形だけの謝罪で見逃すわけにもいかないよ。
真摯に反省もしてないし、問題点が何かわかってないんだよ。

わたしは彼の発言そのものより、ああいう発言が堂々とまかり通ってる今の時代が恐ろしい。
しかるべき立場にある人が、何の躊躇もなく人権を無視した発言が出来る空気が漂っている。
少なくとも昔の自民党なら、内部から批判する声もちゃんとあったのに‥‥。
何かが崩れつつあるのか、あるいはとっくに崩れてしまったのか。

果たして10年後、「戦後80年」を語らうことは出来るのだろうか。
そのときわたしたちは、戦争で殺されていった人たちに、平和と不戦を誓うことが出来るのだろうか。
平和への祈りが虚しいものにならないよう、あらためて考えるべきときだと思うのだ。

真夏の願望

雑記
08 /14 2015


いわゆる「趣味:旅行」というタイプでもないのだけど、時々無性に旅行に行きたくなる。
少し長い休みをとって、北欧とかカナダとかでゆったり過ごしたい。
1日ぐらい、ベッドのなかで朝から晩まで愛を育むのもいい。

遥かなるニューヨク

雑記
07 /12 2015


一般的に日本人は風呂好きというイメージがあり、古代ローマを舞台にした漫画「テルマエ・ロマエ」を描いたヤマザキマリさんも、
イタリア人のご主人に風呂好きをからかわれたのが「テルマエ・ロマエ」を描いたきっかけになったとコミックスの後書きに書いていた。
もう10年以上前だけど、作家の岩井志麻子さんが当時韓国に住んでいた頃、韓国のアパートにはバスタブがない所も多くて(岩井さんのアパートにはシャワー室しかなかったらしい)、
バスタブを買ってベランダに置いていたのをテレビで見たことがある。
日本のアパートだと、小さいながらもバスタブがついているところが多いと思うから、外国に比べるとお風呂に対する意識は高いと思う。
まあワンルームマンションの、ユニットバスを風呂と呼べるのかちょっと疑問だけど。
学生時代はずっとユニットバスだったので、社会人になった時のアパート選びにこだわったのはお風呂とトイレがセパレートになっているかどうかだった。

そうはいっても、一人暮らしのアパートに風呂がついているのが普通というのも、多分ここ30年ぐらいのことだと思う。
1970年代のフォークソング「神田川」では同棲してる二人が銭湯に行く様子が歌詞に書かれているのは有名だし、
もっと後の時代、バブル経済に突入した1987年に連載がスタートした漫画「白鳥麗子でございます」で主人公の麗子さんと哲也くんが住んでるアパートにもお風呂はなかった。
(それこそ麗子さんが「神田川」歌いながら銭湯の前で哲也くんを待ってるシーンもあった)。
さすがに一戸建てやファミリー向けマンションにはもっと以前から風呂は普及していただろうけど、80年代にはまだ風呂なしアパート文化(?)の名残があったんじゃないかな。

そもそも日本人の風呂好き文化が、古代ローマに匹敵するほどとは思えない。
ローマ帝国の時代は、まだ日本は弥生時代だから比較するのはさすがに無理があるにしても、銭湯などの入浴文化が一般的になるのは近世に入ってからだ。
幕末の大奥では、降嫁した皇女和宮が入浴を嫌がり、10日に1度しか入浴しなかったっていうエピソードもある。
ちなみに和宮と対立した姑天璋院篤姫は風呂好きで、毎日朝晩入浴していたらしい。
恐らく京の皇族や公家には江戸末期になっても入浴する文化は一般的ではなかったのだろう。
風呂好きだった江戸の町人だって、果たして毎日銭湯に通う余裕があったのかなぁ?
ましてや農村部なんて風呂どころじゃなかったと思うし。

ちなみに「風呂」という言葉自体はもっと前の時代からあったようだけど、それは「蒸し風呂」のことであり、現代風にいえばミストサウナのことだ。
平安時代の貴族は年に数回、この蒸し風呂に入って汗をかき、行水して身を清めていた。
わたしは平安時代が大好きで、華やかな貴族文化には物凄い憧れがあるのだけど、お湯に浸かれないのは無理だなぁ。
そりゃ石鹸やシャンプーないのは仕方ないけどさ。

わたしはもしタイムマシンあるなら、清少納言に入浴の素晴らしさを伝えにいくと思う。
多分なのだけど、美意識の高い清少納言なら絶対に現代風の入浴を気に入るように思える。
お湯を使ってきれいに洗髪したサラサラヘアを見たら「いとうるはし」なんて形容するんじゃないかな。

平安時代は貴族の間で男色も盛んだった。
権力闘争と密接に結びついていたし、現代の同性愛とはちょっと異なるのだけど、ヤることは現代とそんなに変わらないと思う。
セックスと知性が男の武器だった時代ってのは、何とも魅惑的なんだけど、多分清潔にはほど遠いセックスだったと思う。
やはり貴族の貴公子には入浴と浣腸(失礼‥‥)の仕方を教えてあげたい。
平安時代の男性も、恐らく清潔な男の体の方がよかったと思う。

‥‥なーんてことを考えてると温泉に行きたくなったな。
うん、今度の休みは温泉に行こう。

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1995-2015

雑記
07 /11 2015


この間ふと思い出したのが、中学生ぐらいの頃「ホモ」は、「バカ」「アホ」と同じくケンカやいじめに使われる単語だったということ。
わたし自身も言われたことあるけれど、当事者かどうかは別として男の子たちに使われていた。
言う方もありったけの侮蔑をこめてそう呼んでいたし、言われた方もそれで激昂したりしてたんだから、多分罵倒語としては最強レベルだったんだと思う。

こういう話をすると過去のトラウマについて云々‥‥という話になりがちなのだが、実をいうとこの時代に「ホモ」といわれて傷ついたとか、そういう記憶はない。
単語としての「ホモ」よりもいじめそのものの方が辛かったし、苦しかったってのもあるけど。

何が言いたいのかというと、その時代、「ホモ」は男の子たちにとって一番言われたくなかった言葉だったということ。
特に中学生の男の子にとって、一番屈辱的な言葉だったんだろう。
男の子たちにとって「ホモ」は絶対にいけない存在だったわけだ。
多分「恥ずべき変態」「恥ずべき異常性欲」として認識されていたのではないか。
実際、メディアの取り扱いも好意的とはいいがたいものだったしね。

世代にもよるけれど、最近は「友達や家族にカムアウトしてる」っていうゲイもいる。
反面、「そんなこと言うわけないじゃん」「無理言えない」っていう人もいる。
カムアウトして幸せになれるかどうかは、その人による。するかしないかも本人の自由。
大抵の人は「別に言う必要もないからなぁ‥‥」程度なんだけど、時々何かに怯えたように、
「そんなこと言えない!」って言う人もいるからな。
多分だけど、そういう人は「恥ずべき変態」のイメージがどこかにあるんじゃないだろうか。

時代は変わって2015年現在、メディアにはLGBTが徐々に浸透しつつある。
真面目に取り扱っている場合もあるし、まだ昔ながらの興味本意な感じもある。
アメリカの同性婚合法化やら渋谷区のパートナーシップ条令やら、ニュースとして取り上げられることも多かった。
決して十分とはいえないけど、社会そのものの空気は変化しつつあると思う。
もちろんそれは先人たちの努力があってこそなんだけど。

子どもたちはどうなんだろうなぁ。
残念ながらわたしは今中学生ぐらいの子どもたちと話す機会はない。
それに大人と子どもという立場だと、どうしても一歩踏み込んで訊くことも出来ないだろう。
今だにケンカの売り言葉に買い言葉で「ホモ」は使われているのだろうか。

社会全体の、同性愛者に対するイメージもあっただろうけど、思春期の男の子たちにとっては、
性的な言葉でからかうのが楽しかったっていうのもあると思う。
たとえ今の時代、「ホモ」と言われていじめられる子が少ないとしても、恐らく別の性的な言葉でいじめられている可能性もある。
言葉だけの問題じゃなくて、やはりいじめそのものにもきちんと取り組まなくちゃね。

やたらとマーケティング的なアプローチが多くて、お祭り騒ぎな感じが否めない2015年現在のLGBT。
ブームから取りこぼされてる人たちも、かなり多い。
ただ1995年当時の「恥ずべき変態」という扱いからは変化していると思う。
少なくとも中学生時代のわたし自身に聞かせたら、きっと明るい顔をするだろう。
この変化は素直によろこんでいいと思うのだ。

和江さん

30代シスジェンダー(?)ゲイ。

日本の片隅にひっそりと暮らしている。
お仕事は福祉系。


マドンナが大好き。


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