懐かしのファッション

雑記
02 /17 2018
Eternal Power of a woman


数年前から言われていたようだけど、若い女性にロングブーツが不人気らしい。
履きにくい、保管の場所に困るとか様々な理由があるけれど、ロングスカートやスカンツなど最近主流のボトムスに合わないのも一因のようだ。
確かにマイクロミニにロングブーツの女性は見かけない。
90年代はマイクロミニにロングブーツ、真冬はフルレングスのロングコートのお姉さんたちがたくさんいた。
わたしより少し上の年代の人たちで、今40歳前後の人たちだ。
当時は大人っぽくてカッコいいスタイルに思えたけど、若い女性には古臭いファッションに見えるのだろう。

春はあけぼの

雑記
02 /16 2018

近年中国からの観光客がたくさん訪れるようになったこともあり、何となく日本人にも馴染みのある言葉になりつつある「春節(旧暦の正月)」。

2018年は今日2月16日がそれにあたる。

というわけでみなさん、あけましておめでとう!

‥‥って既に一ヶ月半も前にあけましておめでとう言ってるのに、また言うのもどうなのよ?って言われそうだけど。

旧暦では一月二月三月が「春」だから、旧暦の季節感だと今日から季節は春だ。

まさしく春のスタートだから「春節」という言葉が相応しい。

日本でもお正月のことを「新春」っていうし、年賀状には「迎春」等と書いたりするけれど、真冬の寒い盛りに「春」なんて変だなぁと子どもの頃に思った人はたくさんいると思う。

そういう疑問を大人にぶつけてみると、やれ旧暦が~とか、昔は一月から春だったとか教えてもらって理屈では理解できても、旧暦の具体的なカレンダーがわからないとイメージではつかみにくい。

2018年の場合2月18日が旧暦1月1日で、5月14日が旧暦の3月29日にあたるので2月中旬から5月中旬までが「春」なわけだ。

古典や和歌、俳句等を読むときは昔の季節感を理解することが大切といわれる。

気候などはその年によって違うから一概にいえないし、日本列島も北海道と沖縄では季節感も違うのだけれど、奈良や京都、あるいは江戸の季節感でいうなら、ようやく雪もふりやみ、風にほんのりと暖かさを感じる頃から、日射しがきつくなり少し暑さも感じられるような頃までが「春」といったところだろうか。

古文でも、全てが中央にいる人によって書かれたものではなくて、例えば大伴家持の、「新しき年の始めの初春の今日ふる雪のいや重け吉事」という歌は因幡の国(鳥取県)に赴任してた頃の歌なので、雪深い鳥取の情景が描かれている。

松尾芭蕉も全国を旅していたから、もしかしたらその土地土地の季節感を表現していたりするのかもしれない。

具体的な情景を思い浮かべながら古文の季節感を想像すると、少し違った味わいがあるように思われる。

古文で四季について書かれたものというと、清少納言の「枕草子」を思い浮かべる人も多いだろう。

有名な「春はあけぼの」の一節も、旧暦の季節感を想像すると奥行きが感じられる。

単純に春の明け方の美しさだけではなくて、寒さがやわらぎつつある季節の、太陽が昇る暖かな情景に、春のよろこびを感じているようにも思われる。

「寒さもやわらいできたでしょう?寝床から出て東の空をごらんなさい。夜明けの景色がとても美しいわよ」。

そんな思いを読者に伝えるべく、「春はあけぼの」の一節を書いたのかもしれない。

感性も感覚も、かなり鋭いものがあった人なのだろう。

そんな清少納言には足もとにもおよばないのだけど、今日から始まる春を感じたい今日この頃だ。

明るい一年に‥‥

雑記
01 /05 2018

時期でいうと寒中見舞いの時期でしょうか?

2018年あけましておめでとうございます。

どんどん更新がまれになるこのブログではありますが、日常の様々な気づきや思うことを綴る場所として、今後も残していきたいと思います。

平成もとうとう30年ですが、それもあと約一年半ですね。

このブログを始めた年に生まれた子が、4月には中学一年です。

月日の経つのに驚かされます‥‥って、最近こんなことばかり言ってる気がするけど。笑

今年はとにかく明るいいい一年にしたい!

優しさや希望が、多くの人に届くようなそんな一年になれば、と思います。

何はともあれ、今年もどうぞよろしくお願いいたします!

街を歩こう

雑記
12 /20 2017

このブログを始めてかれこれ12年になるのだけど、開始当初22歳だったわたしも現在35歳になった。

開始当初からは仕事も私生活にもかなりの変遷かあり、当然心境やら考え方も大きく変わっていて、過去に書いた記事を読むと今の自分と考え方が異なっていることはザラにある。

なので、仮に過去記事を全て読むとあれこれ矛盾してるとこもあるだろうけど、よほど酷いことを書いていない限りはその記事は残している。

どのように思考が変化してきたかってことが、後から自分を振り返る際に大切な記録になると思うからだ。

と、まあこんな堅苦しい前置きをしつつ、今回の内容は極めて日常的なことなんだけどね。

実は今月の初め頃、コンタクトレンズを作りに行った眼科で白内障の診断を受けた。

35歳という年齢は、そりゃ二十歳に比べりゃ年食ってるのだけれど、白内障にかかるにはあまりにも若すぎる!と思ったのだけど、アトピー持ちの人は若くしてなってしまう人もいるらしい。

白内障は手術による治療も可能だし、悲嘆していたわけでもないのだけれど、やはりそれなりにはショックではあった。

車で来ていたために瞳孔を開いての検査が出来ないため、次の診察の予約をしてその日はクリニックを後にした。

次回はバスかタクシーで来てくださいとのことだった。

わたし自身はそれほどの衝撃でもなく、また両親もひどく驚いているという感じでもなかったのだが、一番動揺していたのは彼氏のたつやだった。

診察が終わったあとに連絡したら、会社を早引きして迎えに来るとまで言ってくれた。

そこまでしなくても大丈夫だよ、と笑いながら言ったら、想像以上にわたしが落ち着いていて拍子抜けしたらしい。

27歳の若者にとっては、白内障はあまり身近ではなかったのだろう。

我ながら、いつも心配をかけているなと反省した。

次の診察は、ちょうど自分も休みだから付き添うよと言ってくれた。

こういうところが、本当に心強い。

当日はそれぞれバスで来て待ち合わせることにした。

診察とその付き添いとはいえ、待ち合わせのデートっていうのが少し新鮮に思えた。

同じ市内に住んでいるとはいえ、距離でいうと割と離れているのでデートは基本的に車で迎えに行くことがほとんどだ。

おそらくだけれど、地方に住んでる若者は基本的に車でデートが多いと思う。

必然的に行く場所も郊外の店や飲食店が多くなる。

「若者の車離れ」なんていうのは都会で起きている現象であり、地方はむしろ車依存だという記事を読んだことがある。

少なくともわたしの地元では、車依存の方が実態に近い気がする。

街で待ち合わせるデートをするのは、学生ぐらいなものだと思う。

と、まあ話は脱線したのだが、ようは学生みたいな街中で待ち合わせデートっていうのが新鮮で何となく楽しく思えたのだ。

まあデートというよりは診察と付き添いなのだけれど。病気のことを考えたら受かれている場合なんかではなかったのだけれど。

当日は病院の前で待ち合わせ、診察中は彼は待合室で待っていた。

結果からいうと、白内障は確実だった。

実は白内障の他にいくつかの疾患の可能性も指摘されていたのだが、それはないとのことだった。

白内障の手術に関しては、今後状況を見ながら考えましょうとのことだった。

結果を伝えるとたつやも安心していた。

お昼過ぎなので、近くのカフェで食事をとることにした。

雪もちらつく寒い日、あたたかい料理はこころにしみた。

デートで街中のレストランやカフェに行くこともあるのだけれど、やはり車で行くことが多いから、有料駐車場に停めてたりすると、やはり時間は気にしないといけない。

その点車ではなく、バスと徒歩だと気持ちものんびり出来る。

食事を終えてから少しのんびりと街を歩いた。

不思議なものだけれど、割と見慣れている街並みなのにどこか違って見えるもので、旅行にでも来ているかのような感覚があった。

殺風景な街だと思っていたけれど、ゆっくり歩くとそれなりに味わいがあり、初冬の景色とマッチして少しだけおしゃれにも思えた。

何だか学生カップルみたいだねと、たつやに言うと顔をくしゃっとさせて笑っていた。

35歳と27歳の男二人が、学生カップルなんてほんの少し滑稽にも思えたけど、この年齢になっても少しのことで新鮮な気分が味わえる。

いいことじゃないか。

帰り際、それぞれの方向に向かってバスに乗って別れることになったのだけど、それもまた何だか新鮮というか、いつもとはひと味違う切ない気分にもなった。

かれこれ4年つき合っているのだけど、こんな風に新鮮な楽しみがある。

よく、マンネリ化しない?と訊かれることもあるのだが、不思議とたつやにはそれを感じることはない。

ほんの少しデート方法を変えてみるだけで、ちょっとした新鮮な気分も味わえる。

もっとも、そんなことを考えているのはわたしだけで、たつやの方は心配事が年ごとに増えてハラハラしているのだろうけど。

若者たちは出会いたい

雑記
07 /27 2017

もう10年以上前のことだけれど、「ゲイの世界は洋服や家電製品を選ぶように人間関係も作られていく」と言った人がいた。

当時わたしは20代前半で、長くつき合ってきた彼氏と別れた直後だった。

周囲にゲイの友達もいなくて、30歳の彼が言うことの真意がよくつかめなかった。

その後mixiやらメンミクやらでゲイの友達(イロありなし問わず)作りをしていき、前の彼氏とのつき合いや別れを経験し、30も手前になる頃には彼の言葉が身にしみて理解出来るようになった。

初対面からの、値踏みのしあい。

「友達募集」といいつつ、容姿が好みのタイプとしか会わない。

最初にリアル(SNSで繋がっていた相手と実際に会うこと)するときは、お互いの容姿やスペックなど、カッコよさを値踏みしあい、品定めしあい、仲良くなったら得か損かを勘定にかける。

そしてどうしても頭の片隅に、色恋に発展するかどうかを考えてしまう。

恋人にせよ、友達にせよ、そういう風に人間関係が選ばれ、築かれていく。

掲示板やSNSがカタログなら、リアルで会うことはショールーム。

まさしく洋服や家電製品のように人が選ばれ、いらないものは切り捨てられていく。

みんなそうだから、ある程度お互いさまではあるのだけど、人気者とそうでない人は周囲にいる人たちの数が違うし、おのずとカーストが形成されてしまう。

そういう独特のいやらしさや残酷さを感じながらも、自分自身もついついそうやって人間関係を選択してきた。

「ああ、ゲイの世界って‥‥」

30手前になった頃、わたしもそんな風に思うようになった。

冒頭のゲイの人が言っていたのと、同じ年齢になっていた。

前の彼氏と別れて以降、「SNSと掲示板」以外の手段で友達関係を作るようになったり、イベントごとにも参加するようになって、考えも変わっていった。

優しい人にもたくさん出会うことが出来たし。むしろ人情に厚い部分もある。

ただ、若い子を見たりすると「あー値踏みしあってんな」と思うことも多い。

そりゃそうだよね。みんな「一に出会い、二に出会い」。

とにかく出会いを何よりも欲しているのだから。

色恋も大事だけど、みんなゲイの人間関係が欲しくて仕方ない。

だから出会いたい。

80年代前半の生まれのわたしと、90年代半ば生まれの若者では育ってきた環境も違う。

中高生ぐらいからSNSを駆使してゲイ同士出会ったりした人もたくさんいるだろうから、出会いに対する激しい渇望はないかもしれない。

またある程度、おとなたちのセクシュアリティに対する理解が進んできたりして、死ぬ気で隠さなきゃいけないっていう感覚も薄れてきている‥‥かもしれない。

同じ秘密を抱えた人と会いたい!っていう切実な欲求は、わたしたちほどではない‥‥がもしれない。

「かもしれない」ばかりなのは、大部分はそんなにわたしの青春時代と変わっていないと思うからだ。

切実に「出会いたい」と思うからこそ、ごく自然体の人間関係を築けない。

そういう若い人たちは、残念ながら少なくないと思う。

傷つく人たちは、これからもいるだろう。

世の中全体が変わらなきゃね。少しでも、生きやすい世の中になるように。

そういうのが、大人世代のつとなんだと思う。

愛と渇望、自分を取り戻す日

雑記
07 /14 2017

以前このブログに頻繁に登場していた「職場のKくん」と久しぶりに話す機会があった。

彼もわたしも「職場」はとっくに辞めているので、正確にいうと「かつて同じ職場だったKくん」なのだけど、さすがにまどろっこしいし、よそよそしいので「親友Kくん」と呼びたい。

親友という割に実は3年ぶりに会ったのだけど、実はわたしって人間関係が非常に希薄であり、結構人と会うのが億劫になりがちだ。

SNS時代の人間関係作りについて批判的な人も多いのだが、わたしなんかはSNSがなきゃ誰とも連絡取らず、ひたすら孤立していきそうなのでSNS時代には感謝しなくてはならない‥‥などという書き方をしたら大げさで、ようはLINEやFacebookのおかげで古い友達とも切れずにすんでるってだけなんだけどね。

そこらへんの話はまあどうでもよくて、どうでもいい割に長い前置きになってしまったのだけど、久しぶりに話したKくんは、相変わらず恋に仕事に悩める男だった。

相談に乗っているつもりで、ついつい自分のくだらない話をしてしまうわたしも、相変わらず空気の読めないオカマだった。

でもKくんの場合、いい意味でも変わってなくて、自分のことに関してはトコトン真面目に考えて、考えすぎて悩んでる。

30代も半ばになれば、みんなどこかしらあっけらかんとテキトーになってしまうのだけど、それが出来ないんだよね。

心配になる部分でもあり、またとても好ましい部分でもある。

彼のそういう真面目さやお堅い部分、かつては自身だけじゃなくてわたしにも向いていた。

かつてわたしも、「刹那の情事を楽しんでいた」時期もあったのだけど(単純に手当たり次第男を食い散らかしていた)、その時期は随分と批判も受けたわけだ。

「今思うと、あの頃の和江さんって本当に孤独で、愛されることを欲していたんだなって思うんですよ。今になってやっと、気持ちがわかるようになって」。

Kくんがポツリと言った。

うーん、批判されてた頃は口煩くて不粋な人ねぇなんてことも思ってたけど、これはこれで美化しすぎですよとは思う。

でもどこかで「誰かに愛されたい」気持ちはあって、渇望するような感覚はあったんだろう。

だからこそ「刹那の情事」を刹那と割りきれず、引きずっちゃうことも多かったし、恋愛しても上手くいかなかった気がする。

ただ孤独だの愛だのという以前に、男を知るのが楽しくて仕方なかったってのが、当時のわたしだったと思うのだけれど。

そして、「孤独」と「愛されたい」は今まさにKくんが感じていることじゃないかな?という気がした。

そこらへん友人であるところのわたしには、埋められることが出来ないのではあるけど。

「いつかふっ切れる日がくるわ。孤独は辛くなくなるし、愛にすがりつくこともなくなるわ。本当にね、ふっ切れるのよ。それがいつの日かはわからないけれど‥‥」

アドバイスにも気休めにもならないとは思いつつ、こんな言葉をかけた。

実際のところ、前の彼氏とのつき合いがなかったら、わたしもこんな心境にはなれなかったかもしれない。

まさに愛という名の支配であり、自分の人生を奪われてしまった感覚。それは孤独よりずっと辛いものだった。

ふっ切れたという言葉を使ったけれど、わたしがわたしの人生を取り戻した瞬間でもあった。

きちんと自分と向き合う瞬間があったからこそ、今の彼氏とつき合うことも出来たし、いい関係を築くことも出来た。

ただ、こういうのって人生訓よろしく解説したところで伝わらない。

Kくんも頭では理解しつつ、悩みから抜け出すには何かきっかけがないと難しいと思う。

相変わらず力になれないわたしではあったけれど、「楽になりました」とねぎらってくれたKくん。

そんな彼の真面目さや優しさが、愛おしいような、切ないような。

4月の情景

雑記
04 /24 2017


真夏のような暑い日と、冬が戻ってきたかのような寒い日が繰り返して、体調も気分も少し崩れぎみ。
年度がわりは職場も多少ゴタゴタしたものの、もう4月も下旬だ。
忙しいせいか、自分が歳くったせいか、月日がたつのが早く感じられる。

真新しいスーツを着た新社会人を見て、初々しくていいなあと思いつつ、そういう風に思えない時もあったよな‥‥って思い出す。
11年前、初めて無職になった時は見るのが辛かった。
その後、今でいうところのブラック企業に勤めて再び無職になったり、どん底は何回か味わっている。
すべて順調かっていうと、そうじゃないけど、どうにかこうにか這い上がってきた。

4月は少しセンチメンタルな季節だ。

25年前の「サヨナラ」

雑記
03 /20 2017


流れる季節に君だけ足りない
はぐれた心の足跡を探す
カバンにつめた悲しい幸せ
遠くへ行くほど君を思い出す

「サヨナラ」/GAO

春は別れの季節、というわけで人事異動の発表なんかもあり、ちょっとセンチメンタルな今日この頃。
念のために断っておくと、彼氏とは相変わらずラブラブしてます。笑

ちなみにこの曲を歌っていたGAOさんは、現在はFtMとして生活されているようです。
そのせいかどうか、どことなくこの歌に出てくる「二人」がLGBTsのカップルのようにも思えます。
現在ほど同性愛やトランスが、一般的に認知されていないバブル前後の日本で、お互い夢を追いながら愛し合っていたゲイやレズビアンの、あるいは片方がトランスのカップル。
若かった二人のどちらかが、夢を諦めなくてはいけなくなり、ノンケとして生活することを選んだ。
そんな情景がどことなく浮かんでもきます。

暗闇ではなくて

雑記
02 /21 2017

ブログを更新しない間に、アメリカでトランプが大統領になったり、好きだった俳優の成宮寛貴くんが芸能界引退したり、世間的にも色々あった。

一つ一つ思うところがあって、記事にしていきたいと思いつつ何となく億劫で、また思うところが多すぎて言葉にならなくて、ついつい更新から遠ざかってしまったのだけど。

トランプの就任以降のゴタゴタで感じることの一つは、世の中ってのはいとも簡単に「逆行」しちゃうってことで、反動的な力はすさまじく強いってことだ。

Twitterでキャシーさんが言ってたけど、権利を勝ち取るための闘いはものすごい労力がいるけど、失うのは一瞬ってこと。

そういうのが、ものすごく身近に感じられる時代になってしまった。

「絶望してる暇なんてないでしょ?」

1月のWomen's Marchでマドンナはそう言った。

彼女の言葉は多くの人を勇気づけ、奮い立たせた。

でもきっと、大統領選以降マドンナだって一度は絶望したり、涙を流したことだと思う。

彼女のスピーチからは力強さや怒り、愛と同じぐらい悲しみが込められていたような気がした。

アメリカだけじゃない。世界中のあちこちが、何か得体の知れない闇に包まれていくのを感じている。

その中でかすかな光を探し求め、希望につなげていかなくちゃいけない。

書きたいことはまだあるのだけど、今日のところはこのへんで。

34歳という年齢

雑記
11 /28 2016
もう1ヵ月以上も前なのですが、10月18日に34歳になりました。
2005年の5月にこのブログを始めた頃は22歳と7ヵ月だったわけで、干支が一回りするぐらいの間、続けてくることが出来たのは、何となく感慨深いものもあります。
時々このブログを読み返すこともあるのですが、我ながら若いなぁー、バカだなぁーと思うことも書いてありますし、逆にずいぶん繊細な感覚もあったんだな‥‥と思うこともあったり。
文章に残しておくことって、結構大切なのかもしれません。
その時々に何を感じていたか、振り返ることは今を生きるヒントになると思います。
そして、自分が若い頃に何をどのように感じていたかというのを、今の若い世代が、同じことをどう感じるか比較してみるのも興味深いでしょう。
特にセクシュアルマイノリティ、LGBTs関連ではここ10年間で大きく世間の認識は変わったと感じています。
一方で、大人たちの感覚は必ずしも変化していないようにも思われます。
やはり次世代である若者たちの感覚が、一番気になるところです。

ちなみに、わたしは1982年生まれですが、今年こんな本も出ています。

「1982 名前のない世代」


少年期から青年期、大人になるまで正直変な注目をされることも多かった世代であったわたしたちの世代を、総括したような内容といえるかもしれません。
本は俯瞰的に世代全体を書いていますが、自分自身はどうだったのか?を振り返る際、やはり自分が書いてきたものが一番の資料です。
そして忘れてはいけないのは、若者たちには若者自身の見つめてきた世界があり、その蓄積があるということ。
その蓄積があって、わたしたちの世代とは異なる世界の捉え方をしているということを理解しなければいけないと思うのです。
34歳、もう中年という年代に足を突っ込んでいる今、この感覚を大切にしたいと思う今日この頃です。

和江さん

30代シスジェンダー(?)ゲイ。

日本の片隅にひっそりと暮らしている。
お仕事は福祉系。


マドンナが大好き。


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