たまには元教師らしく

シリアス
07 /29 2017

少し前の記事になるが、以下の記事を引用したい。


安倍政権のLGBT差別教育は相変わらず...「異性への関心」指導要領の改訂を拒否、文科相は"LGBTは科学的に認められてない"


リテラ2017年5月6日 18時00分


 国内最大の性的マイノリティへの理解を深めるためのイベント「東京レインボープライド2017」が、今年も東京・代々木公園などで開催されている。このイベントは、〈性的指向や性自認のいかんにかかわらず、差別や偏見にさらされることなく、より自分らしく、各個人が幸せを追求していくことができる社会の実現を目指す〉ものだが、一方、安倍政権の政治家たちの間ではいまだ差別や偏見が蔓延っている。



 それを象徴するのが、今年改訂された教育指導要領だ。これまでの小学校の学習指導要領では、思春期の変化として〈異性への関心が芽生える〉ことが〈だれにでも起こる,大人の体に近づく現象〉として理解できるようにすると記述。中学校学習指導要領(保健体育)でも〈異性への関心が高まったりする〉と書かれていた。そこで、今回の改訂にあたって、この記述をなくして性的マイノリティについて盛り込むことを求めるパブリックコメントが数多く寄せられていた。



 だが、文科省は「LGBTを指導内容として扱うのは、保護者や国民の理解などを考慮すると難しい」として却下。新学習指導要領でもこうした記述が残ってしまったのだ。



 2017年度の高校教科書の一部では、はじめて「LGBT」という言葉が登場したが、このように小学校から「異性愛が普通」と教えていては、多様な性への理解を深めることは難しい。文科省は昨年、性的マイノリティである児童・生徒への教職員の対応を手引きとして発行したが、まずは授業内で多様な性のかたちがあることを周知することのほうが先決だろう。



 しかも、この文科省の判断に輪をかけて酷いのが、担当大臣である松野博一文科相の認識だ。4月24日に開かれた衆院決算行政監視委員会では、民進党の西村智奈美議員がこの学習指導要領改訂の問題を取り上げ、学習指導要領にLGBTに関する内容を盛り込むことを求めたのだが、このときの松野文科相の答弁は、唖然とさせられるものだった。



「LGBTに対する科学的な知見が確立していないということがございます。それがなかなか授業において先生方が合理的な説明の元に進められない、問題があるかと思います」



 LGBTの科学的知見が確立していないから授業では取り上げるのは問題がある──。この答弁に対して、西村議員は「性的指向、性自認にかかる悩みをもっている子どもたちは、そうではない子どもたちに比べると自殺のリスクが6倍高いとも言われている。そうしたなかでほんとうに科学的知見が確立していないということが学校でこのことに言及しない理由になりえるのか」と反論したが、まさにその通りだろう。



 たとえば同性愛の場合、先天的なものなのか後天的なものなのかという研究においても、科学的にははっきりとした答えはまだない状態だ。しかし、そうした「科学的知見」は、性的マイノリティの権利を認める上で必要なものではない。性的指向や性自認について学び、性にはさまざまなかたちがあることを知る。そうして多様性を認めることができる教育が求められているはずだ。



 だが、松野文科相は、教育現場において性的マイノリティの理解を深めることの重要性など考えていないのだろう。



 だいたい「科学的知見が確立されていない」というなら、文科省がつくった小学校高学年用の道徳教材「私たちの道徳」に、まったく科学的根拠や史料的裏付けのない「江戸しぐさ」を載せたのはどう説明するのか。



 結局、安倍政権は平等や人権、多様性などの教育を否定して、戦前的価値観を復活したいだけなのである。



 実際、松野文科相は教育勅語については「教材として用いることは問題としない」と発言している。教育勅語はそもそも家父長制、男尊女卑を前提にしたもので、男は男、女は女という性別によって役割が固定されている。当然、性的マイノリティは排除された世界のものであって、こんなシロモノをいま「問題なし」と言うのである。松野文科相は日本会議国会議員懇談会のメンバーだが、「LGBTについて授業でふれることはアウト、教育勅語は無論OK」という極右的価値観でものをいっているにすぎない。



 いや、これは松野文科相だけではなく、安倍政権を覆う認識だ。昨年の参院選の公約で〈社会全体が多様性を受け入れていく環境を目指します〉などと表向きはLGBTフレンドリーを装ったが、内実はまったく違う。



 事実、現行憲法では家族のなかでの個人の尊重が謳われている24条を、自民党の憲法改正草案では〈家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない〉としている。ここで自民党がいう「家族」とは夫がいて妻がいて子どもがいるという、何かと極右が口にする「伝統的な家族」であり、「個人よりも家族」という考え方といい、真っ向から多様性を否定する内容だ。



 そうした考えを裏付けるように、2015年3月に開かれた自民党の「家族の絆を守る特命委員会」の会合では、渋谷区の同性パートナーシップ条例に対して疑義が呈されただけでなく、複数の議員が同性愛について「考えるだけでぞっとする」などと発言し、しかも場内には笑いが起きたという(朝日新聞2016年11月20日付)。



 昨年、「レインボープライド」の会場を視察に訪れた稲田朋美防衛相(当時は自民党政調会長)は、「私自身は男らしさとか女らしさということを言ったことは今まで一度もない」と嘯いたが、本サイトではいかに稲田氏が性別による押し付けを肯定する発言をし、さらには"男女は支配者/被支配者の関係であるべき""異性愛を中心とする法律婚を守ることが重要で、同性婚は法的に認めてはならない"とする主張を行ってきたかを紹介した。



 今年も、このイベントが性の多様性について多くの人が理解を深めるきっかけになってほしいと願うが、同時に、そうした動きに対して足を引っ張るどころか、性にもとづく差別や偏見を助長し、個人の権利を認めない安倍政権の実態にもNOと言っておきたい。

(編集部)   


「一体いつになったら、自然と異性に惹かれるようになるんだろうか?」

10代の頃、既に同性に強い性的な感心と、淡い恋愛感情を抱きつつ、いつかは異性を愛するようになるのだと、漠然と思っていた部分はあった。

ネットの普及もまだで、社会全体の同性愛に対する理解も不十分な時代だった。

性教育の必要性が語られていて、小中学校でも性教育の授業はあったのだけれど、「異性に対して性的に惹かれるのは自然なこと」という言葉は、本の中にもあったし、教師の口からも聞かれた。

「同性に惹かれたり、性に関心がないのも自然なこと」という言葉に巡りあうことはなかった。

20年以上経った今となっては、まあ時代のせいだよなぁとは思える。

わたし自身はどちらかというとあっけらかんとした性格だったこともあって、同世代のゲイに比べたらそれほど深刻に悩んでいたわけでもなさそうなのだが、それでも「自分は何かヤバい病気なんじゃないか」という不安も少なからず感じていた。

若い世代のLGBTsと実際に話をしたり、ブログやTwitterなどを見ると、さすがにわたしの世代よりは情報に恵まれている。

インターネットやテレビの情報だけでなく、図書館などである程度きちんと解説した本に出会った人もいる。

それでも、学校で教えてもらったという話はあまり聞かない。

先進的な学校や先生方が触れていた例はたくさんあって、アクティビスト団体が学校向けに講演会も行っている。

身近な例だと、地元のLGBTsサークルも数年前から、学校で生徒さんたちや教職員に向けて講演会や研修も行っている。

おそらくは全国的にじわじわと広がりつつある流れなのだろうけれど、ただ全体で見ると、残念ながらまだ「一部」というレベルではないかと思う。

かなり前のことになるが、わたし自身の経験も書いておきたい。

2005年に高校の常勤講師をしていた頃、配属先の高校がMtFトランスジェンダーの講師を招いて性教育講演会をしていることかあった。

あくまで性教育講演会であり、セクシュアリティに関する内容でもなく、「10代の性」について男女問わず抱えるであろう悩みや困りごとに関する内容だった。

ただ、講師の方がセクシュアリティに踏み込んだ話をしたことについて、教職員はおろか生徒たちからも反発があった。

言葉は悪いのだけど、何の予備知識もない生徒たちからしたら「いきなり変態が学校に来て、下ネタを話に来た」という認識だったのだろう。

性自認や性指向といった話をすることは、これほどまでに難しいのかと23歳の駆け出し教員だったわたしは思い知らされることになった。

さすがに当時からしたら10年以上経っているし、特に数年前からのLGBTブームは様々な問題をはらみつつも、世間の認識に大きな影響を与えていると思う。

社会は確実に変化してきているだろう。というより、そう願わずにはいられない。

ただ、そういう人々の取り組みや積み重ねも、激しいバックラッシュが起きてしまうと、一気に叩き潰されてしまう。

今回、指導要領に反映されず、「異性に惹かれるのは自然なこと」と書かれてしまったことは、やはり痛恨の極みであると感じる。

次回の改訂には必ず盛り込まれるようにする運動も大切だろうし、また、今の指導要領で学ぶ子どもたち、2020年以降の指導要領で学ぶ子どもたちにどう伝えていくかも課題になる。

最後に学校現場を経験したわたしの個人的な感想なのだが、仮に次回の改訂で多様な性について指導要領に盛り込まれ、2030年代から施行されたとしても、それがゴールではないと思う。

教職員に対して理解を深め、意識の変革を求めるのはかなり難しいことだからだ。

これは教育現場に限らず、おそらくはどの業界にもいえることなのだろうが、基本的に変化を嫌い恐れ、慣例的に行われてきたことを変えることに抵抗を示す人は多い。

これまでいくつかの仕事を経験してきたが、教師は特にその傾向が強いように感じられる。

年配の先生方に限らず、若い先生方も、「自分たちが受けてきた教育」を子どもたちにすることがよいことだと信じて疑わない人が少なくない。

いざ指導要領が変わっても、現場で軽んじられてしまったらどうしようもない。

課題は山積みだ。

でも、「少しでも次の世代にとって生きやすい世の中になるように」っていう気持ちだけは保ちつづけたいよね。

何も変わらない世の中なんて、面白くないから。

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和江さん

30代シスジェンダー(?)ゲイ。

日本の片隅にひっそりと暮らしている。
お仕事は福祉系。


マドンナが大好き。


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