日常はくすんでるぐらいでちょうどいい

雑記
10 /12 2016




旅行に出るっていうのはそもそも「非日常」なのだけれど、特に田舎に住む人にとって大都市に旅行することはものすごい非日常を味わう。
元日の初詣みたいな人数の人たちが街に溢れかえっていることも、周りのビルが高いことも、どこまでいっても街が続いていることも田舎の人にとっては不思議な光景だ。
ガラスばりのビルに入っているカフェや、美術館のようなブティックのショーウィンドウはいつ見ても心ときめくものだし、あるいは戦前からあるようなレトロモダンな建築物や老舗の店が今でもきちんと残っているのもまた都会らしい風情だ。

一言で田舎とはいっても、例えば県庁所在地のように人口数十万が住んでいる市の中心部と、本当に田んぼしかない郡部では住んでる人の感覚も変わってくる。
「郊外」という繁華街でもなきゃ田舎でもない地域もある。
ただどの地域に住んでいる人であれ、田舎の人が都会を旅行して、帰りの道すがら思うことは、おそらく共通していると思う。
「ああ、明日からまたしみったれた日常が始まるのだ」と。
キラキラした都会に比べると、田舎は街も野山もくすんで見えてしまう。
花火大会が終わった夜のような淋しさが胸にただようのだ。

うんと若い頃、中高生の頃から「都会に出る!」は大きな夢だった。
大学進学がそのチャンスだったけれど、結局田舎の大学に進学することになった。
就職は都会に出たかったけれど、大学生も後半になると地元に戻りたいという気持ちも芽生え始めていた。
結局、卒業しても田舎暮らし。
生まれてから34年間、都会暮らしは出来ずにきているし、よほどのことがない限り都会に出るつもりもない。

ガラスばりの高層ビルを歩いていると、無理をしてでも都会に出ていたら‥‥って考えることはある。
でも思うんだけれど、結局適応できずに逃げ帰ることになっていたような気もする。
たらればで人生考えても、不毛だとは思うのだけれど。

一つだけわかることがあるとするなら、キラキラした街並みも、「日常」になってしまうと、それは感動的なものではなくなる。
田舎に住む人の日常はくすんでるかもしれないけれど、だからこそ道ばたに咲いている花にふとした安らぎや感動があったりするものだし、季節の移り変わりに発見があったりする。
そんな大層なものではないのだけど、そういうところにも楽しみを見いだすことも可能だ。
たまに都会に出れば、一つのアミューズメントパークになるし、大きな刺激を得ることも出来る。
キラキラした日常を過ごす人たちが田舎に行っても、観光地を歩くのは刺激になると思う。
でも何の変哲もない田んぼ道を歩いても、何か感慨があるとも思えない。
都会から来た人で、そういうところで新鮮な感動を覚えるような人は、ものすごく感性が豊かな人じゃないかな。

SNSを見れば、都会の人たちは海外旅行したりして、キラキラした非日常を味わったりしている。
わざわざ田舎に来て、くすんだ「非日常」を味わう必要もないだろうし。
日常なんて、多少くすんでる方が非日常を楽しむ幅は広がる。
そして日常から何かを感じる感性が、日々の生活を豊かにする。
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和江さん

30代シスジェンダー(?)ゲイ。

日本の片隅にひっそりと暮らしている。
お仕事は福祉系。


マドンナが大好き。


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