痛みとともに生きること

雑記
07 /02 2015
Facebookから転載します。

たくさんのレインボーアイコンを見ると、何だかんだいってうれしい。
ニュースを聞いたときガッツポーズもしたし、「やった!」と思わず口に出してしまった。
これは本当に、みんなにお願いしたいこと。
絶対に当事者に言わないで欲しい言葉がある。
「アメリカ行ったらいいんじゃない?」
10年以上前、ストレートの友達に吐かれた言葉です。
正直とても傷つきました。
同性婚やパートナーシップ制度はロマンチックなことがらではないと思う。
パートナーが倒れたとき、集中治療室にも入れず、不幸があっても葬儀に出ることすら出来ず、
一緒に暮らしていた部屋も出ていかないといけない同性カップルにとっては切実な問題です。
日本ではこれが現状です。
だからといって、安直に「アメリカ行けば?」と言うのは、酷い暴力だと思います。
これは「日本にはお前らの居場所なんてない」と言っているのと同じです。
「何気ない一言が人を苦しめる」
わたしも日々反省することが多いですが、いつも頭の片隅に留めています。
相手がどう思うか、想像力をはたらかせましょう。



先月27日の、アメリカの同性婚合法化でFacebookが虹色に沸き立つ中、思うことはたくさんあった。
一つ一つを言葉にして文章にしようとして、どれもこれもまとまらずモヤモヤする中、「これだけは伝えなくちゃ」と思って書いたのが上の文章。
わざわざ古い傷をほじくらなくとも、と思いつつ、今わたしが一番気にしていること。
既に、日本中で言われているに違いない。

「ニュース見たよ!アメリカ凄いね!もうアメリカ行きなよ」

実際に、これで傷つく当事者もいれば、傷つかない当事者もいると思う。
英語の勉強に取りかかった人も少なくないのでは?
大きな声では言えないのだけど、わたしが大学進学の際、国際系の学科を選んだ理由の一つがそれ。
とにかく外国に住んで、外国で働いて、外国人の彼氏とパートナーになって、堂々とゲイとして生きてやる!
外国に対する淡い期待は持っていた。
あろうことか、32にもなって海外旅行経験もなし。
ちなみに「外国」の次に憧れてたのは「東京」で、とにかくゲイのパラダイス(と思っていた)ところに行きたかったんですな。
10代のわたしは、とにかく地元に対して絶望していた。

まだまだ外国に行く気満々だった大学生時代。
「アメリカ行けばいいんじゃない?」は、前向きにとらえてもよさそうなものだが、それでも傷ついてしまったのはなぜなのか。
今冷静に考えてみると、本人も「日本から出ていけ」まで思ってはいなかっただろう。
でも色んな本音は透けて見えてくる。

「同性愛者は特殊な人たち」
「日本(わたしたちの社会)はあなたみたいな人を受け入れない」
「自分たちには関係ない。お好きにどうぞ」

少なからずそう思っていたんじゃないだろうか。
みっつめに関しては、「え?そう思って何が悪いの??」って言われそう。
本当は今でも問いただしたいけれど、残念ながらとっくに交流は途切れているので、確認する術はない。

別にわたしだって、いつまでもネチネチ言い続けるのが本意ではない。
むしろ忘れることが出来るなら、その方が楽だと思う。
誰だって祝福すべきニュースを聞いて、嫌なこと思い出したくないでしょう。
でも、このハッピーな雰囲気の中で傷つく人は必ずいる。
無意識に傷つけてしまう人もいる。
だったら言わなきゃ。傷痕を見せなきゃ。
同じ苦しみを、下の世代まで味わうなんて悲しいじゃないか。

わたしは制度が整い、社会が変容したとしても、セクシュアルマイノリティはスティグマを背負い続けていくと思う。
よくも悪くも、少数派なんだから仕方ない。
多数派と同質になる必要なんてないんだしさ。
傷の種類も苦しみも、時代とともに変わるだろう。
わたしは今の時代に、自分が受けた傷は絶対に忘れちゃいけない。
生きて、伝えていきたい。
スポンサーサイト

コメント

非公開コメント

和江さん

30代シスジェンダー(?)ゲイ。

日本の片隅にひっそりと暮らしている。
お仕事は福祉系。


マドンナが大好き。


リンクフリー、トラックバックやコメント大歓迎です。