全否定より傷つく「あなたの味方」

シリアス
01 /08 2015
今でも時々いるけれど、同性愛を全否定したり、あからさまに嫌悪を示す人はいる。
「ホモ?気持ち悪いわ。ありえん」
「病気だろ?」
こういう反応は、32年の人生の中で何度も受けてきた。
こういう発言に傷つかないって言ったら嘘になるけれど、いちいち相手にするのもバカらしい。
そもそも知性とか教養のない人なんだな‥‥と思って、スルーしちゃう能力も身につけた。
これはこれで悲しいけどさ、どうしようもない人は一定数いるのよ。

わたしが心底、腹が立って悔しくなるのは、そういう「全否定する人」じゃない。
どっちかっていうと、「肯定する人」の方だ。
こんなことを言うと、え?何で?否定する方がいいの?とか思われそうだけど、わたしはこう問いかけたい。
そもそも、あえて肯定すること自体おかしくないか?
「当然」じゃないのか?
肯定される以前から、わたしたちは既にいる。

具体的に死ぬほど悔しかった一言。
「あなたみたいな人がいてもいいと思った」
「俺は認めてるよ」
ああ、わたしは誰かに「いてもいいですよ」って許可をもらわないと、いてはいけないのか。
誰かに認めてもらわないといけないのか。
あんたが認めようと認めまいと、わたしは堂々と生きてるんですよ。
逆にあんたに認められなきゃ、あたしゃ存在も許されないのか?
生きるために、マジョリティ様に媚びろとでもいうのか。
冗談じゃない。

こういうこと言っても、ピンとこない人もいる。
「差別されてきたんだろ?認めて欲しいんだろ?」
きょとんとした表情で、こんなこと言い返される。
一体マジョリティは何様なんだろう?と思うのだ。

例えばさ、いじめられていた子が、ある日突然いじめっ子にこんなこと言われたらどう思う?
「お前さ、明日からは学校来てもいいよ」
いじめそのものより、もっと悪質だと思わない?
いやいや、そもそも学校来るのは当然の権利なんですよ。
あなたには許可する権限も何もないんですよ?って思うでしょ?

まあ、この喩えを持ち出しても多分ピンとこない人はいると思う。
関係ないが、こういう場面でいじめっ子の側につく先生もいるんだよね。
「あなたがそういう頑なな態度だから」みたいに、かえっていじめられてる子を非難するのよ。
そういうのを「中立」だと勘違いしてんの。

こういう本来なら「当然」を否定されるのって、本当に辛い。
まあ必要な人から、平気で生活保護を奪ったりするような国なんだから、人権に対して意識が希薄な人が多くても仕方ないだろう。
ようは「○○してやってる」という、ごう慢さそのもの。
むしろ「当然」を主張する方がごう慢だと非難されてしまう。
何様だよお前らは、と。

さらに追い討ちをかけるように、
「味方になってくれる人にそういう態度は‥‥」
って反論してくる人もいるけれど、わたしに言わせればそんなん味方でも何でもない。
恩着せがましく味方になってやるなんて、思い上がりも酷すぎる。
残念ながら、この手の「お味方様」があまりにも多いのだけれど。

実はわたし、こういう「思い上がったお味方様」を怒らせるのが、割と好きなのよね。
最終的に「少数派がつけ上がって!!!」って本音をぶちまけるから。
残念ながら感性が貧困な人が多くて、そこに「気づき」がないんだけどね。

「アライ(理解者、協力者)」という言葉ばかりが一人歩きしているけど、本当にそう言える人ってどれだけいるのだろうか。
少数派はいつまで、「認めてください」って小さくなって生きていかなきゃいけないのか。
考えると悲しいし、悔しい。
堂々とふんぞり返って生きようぜ!と声を大にして叫びたい。

わたしは自分が当事者ではない問題について考えるとき、この気持ちを忘れないようにしている。
「○○してやってる」なんて、最低の思い上がりだ。
そして当事者に「認めてもらえなかったどうしよう」なんて葛藤を抱かせたら、絶対にいけないと思う。
同じ人間、同じ権利、同じ立場。
この根本を忘れたら、ごう慢で嫌なやつになるんだよ。
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和江さん

30代シスジェンダー(?)ゲイ。

日本の片隅にひっそりと暮らしている。
お仕事は福祉系。


マドンナが大好き。


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