祖母の死

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05 /06 2014
昨年の11月に祖母がなくなった。
95歳と1ヶ月。本当に長い人生を生ききった。
特養への入所はこのブログにも書いていたのだが、その後退所して自宅介護に移行したことは書いていなかった。
入所してからも家に帰りたいと、折に触れて言っていたというから、家で息をひきとることが出来たのは、本人にとってはよかったのかもしれない。

特養に入って以来、心身の衰えは着実に進んでいたものの、何とか自力で食事は飲み込めていた。
入所してから2年経ったある日、高熱を出して入院し、一命をとりとめた。
しかし意識が戻ったものの、口からものを食べることが出来なくなり、胃ろうにせざるを得ないと宣告された。
「胃ろう」といわれてピンとくる人もいれば、まったくわからない人もいると思う。
簡単にいうと、胃に穴を開けてチューブを通し、食べ物を直接胃に送り込むことをいう。
飲み込みが悪くなり、口からものを食べられなくなった人に行われる措置だ。
口や食道はものを食べる機能をなくしてしまうので、急速に退化するという。

この宣告は家族を大いに悩ませた。
胃ろうに対して、あまりいいイージを持つものはいなかった。
結局、点滴で対応してもらうことになった。
点滴は医療行為であり、特養では対応できないため、自宅での看護に切り替えることになった。
約2年半ぶりに、祖母は家に戻ってきた。

胃ろうではなく、点滴を選択したことについて、
「これでよかったのだろうか」という葛藤はあった。
消化器を全く使わなくなる点滴より、胃や腸を動かす胃ろうの方がよかったのではないか。
点滴をすることで、さらに体を衰弱させることになったのではないか。
どちらがよりよい選択だったのか、いまだに答えは出ていない。
ただ、口からものを食べられなくなるのは、本人にとっても辛いことだったのは、恐らく間違いないだろう。

以前読んだネットニュースによると、北欧では胃ろうの老人はいないという。
何故か。
それは、口からものを食べられなくなった人に対して、延命措置は行わないからだという。
老衰であり、自然な死だと認識しているという。
延命できる人を、延命しないでいわば見殺しにしてしまうというのは、日本では受け入れられない。
北欧では、逆に延命措置をして無理に生き続けさせることこそ、老人虐待ではないか?という考え方が根強いという。

最後まで生きる希望を捨てず、1日でも長く生きるのか。
体が弱ったら死を受け入れるのか。
正しいのはどちらなんだろう。
恐らく正解なんてない。どちらを選ぶかだと思う。
自分がそうなってしまったとき、果たしてどちらを選ぶのだろうか。
祖母は果たしてどちらを望んでいたのだろうか。
あまりに重たい選択だが、誰もが当事者になる可能性がある。
祖母は約1年半、点滴で生ききった。

自宅介護の話は暗くなりがちだと思われそうだけど、
全く明るい話がなかったわけでもない。
施設に入所している頃より、心なしか表情も明るいと思うこともあった。
各種サービスの利用と家族に囲まれた生活。
最期の日々は心安らかなものだったと願う。

死装束は大好きだった薄紫にしてもらった。
死化粧も出来るだけ明るい色でお願いした。
葬儀は初雪の降った日だった。

95年間、本当にお疲れさまでした。
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和江さん

30代シスジェンダー(?)ゲイ。

日本の片隅にひっそりと暮らしている。
お仕事は福祉系。


マドンナが大好き。


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