子どもたちと性

雑記
02 /26 2010
大手SNSのGREEでアダルトコミュが廃止になるそうだ。
それにともなってゲイや同性愛のコミュもなくなるという。
未成年も多く加入するGREEには、アダルトコミュそのものが不適切という理由らしい。

そもそも同性愛コミュがアダルトカテゴリーに入っていたことが驚きなのだが、
このような形で同性愛コミュがなくなるのは、何とも残念だ。
確かにちょっとエッチなトピを立てていた人もいたけど、わたしに言わせりゃ
中高生の昼休みの会話レベルの卑猥さだよ。
性器の大きさや、性体験の有無など、未成年が大好きな話題のひとつでしょ。
ノンケの場合、学校の昼休みや放課後、修学旅行の夜など、そうした話題で友達と
盛り上がるチャンスがたくさんある。

ゲイやレズビアンの場合、ノンケ友達との猥談に入っていけなくて疎外感を感じたり、
無理にノンケのふりをしてつらい思いをすることもある。
携帯サイトで同年代のゲイやレズビアンと交流出来ることは、彼ら彼女らにとって一時の安らぎだったかもしれない。

エロ情報を何でもかんでも垂れ流せばよいと思ってるわけじゃないけど、
かといって性に目覚める年齢の子たちを、性から遠ざけるのが果たしていいことなのか。

まあ、今回のことに限らず、GREEの妙な規制の厳しさは以前から不満を抱いている人が多かった。
ちょっとエッチな話題を日記に書いただけで強制退会になった人、たくさんいるからね。
わたしの場合、おそらくこのブログやmixiの日記をそのままGREEにアップしてたら、
確実に退会させられてたと思う。

しかし、mixiもGREEも登録制に以降することで、メリットよりもデメリットの方が大きいのではないか。
「大人むけ」「知り合いを介してつながる」ことで保たれていた秩序が、
登録制になりすべての年代向けになることで、崩れてしまう。
結果的に、秩序を守って楽しんでいる大人たちの楽しみまで奪ってしまうことになる。
子ども向けのSNSは別に作ればいい。
性に関することも、子ども向けの秩序の中で大いに語ればよい。

しかし、今の子どもたちって、わたしが子どもの頃には、みんな必死にならなきゃ
手に入らなかった「大人の情報」をたやすく手に入れることが出来るんだよな。
先輩から巡り巡って回ってきた中古のエロビデオを、みんなで見なくても
自室のPCで無修正のエロ動画を見ることが出来る。
「ギルガメッシュないと」をおかずにしてた90年代の中学生はかわいいものだ。
「失楽園」なんて今の中学生には生ぬるいものだろう。

こんな現状を少しうらやましく思う反面、簡単に性の情報が大量に手にはいると、
セックスに対する憧れや夢は芽生えないだろうな‥‥と思う。
わたしたちが中学のとき思い描いていた、
「セックスってすごいらしいぞ」という興奮は味わえないわけだ。
個人的には、憧れが強すぎて実際に経験したらガッカリしたけどね。
本当に楽しくなるには、ある程度時間がかかったし。

でも、あのまだ見ぬものに対して激しく夢想していたのが、今では懐かしく思える。
童貞中学生にとってセックスは最強最高のファンタジーだった。
案外、最近よくいわれている「草食男子」が増えてる理由はここにあったりして。
あまりに情報ばかり手軽に入りすぎると、「リアル」に対する憧れは消えてしまう。

こんな感傷的な理由はさておき、精神的にも肉体的にも未熟な子どもたちが、
性暴力や性犯罪を扱った娯楽を目にするのは、わたしはいいことだとは思わない。
映像やゲームが、犯罪を誘発する可能性に関して、わたしは否定するつもりはない。

子どもたちを性から遠ざけず、でも有害な情報から守ることも大切だと思う。
非常に難しいことで、考えても答えは出ないのだが、
考える姿勢は大切にしたい。

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コメント

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異世代で一緒に楽しめるものと、
大人は大人、子どもは子ども、と
分ける必要があるのが社会ってものだと思いますけどね。

ゲームや映像の性暴力が犯罪を誘発・・・。
これを言うと、すぐさま「表現の自由を奪うのか!」と叩かれます。
あたしも、ある人に「昔のような恐ろしい社会を作りたいの?」と詰め寄られたことあります。
でも、それでも、考えることを止めちゃおしまいだと思ってます。
(こういった問題を書いていると感情が高まって、つい言葉が荒くなるので気をつけなきゃな~。あたし)

みぃさんへ

ディスコや居酒屋は大人の社交場。
放課後の公園は子どもの社交場。
現実世界にもそんな住み分けはあるのですから、
ネットの世界にも必要なことは明らかだと思います。
コミュニティセンターでは、大人も子どもも楽しくスポーツしたり、
遊んだり出来るから、そういう場所が必要なことも明らかです。

そもそも「ゲームやアニメは犯罪とは関係ない!」って言ってる人たちは、
「関係ない」と言い切るだけの根拠を持ち合わせていない人がほとんどです。
「自分は違う!このゲームやってる友だちも何人も知っているけど、犯罪に走った人はいない

「みんなが犯罪に走るわけじゃない。走る人がいてもそいつはもともと頭がおかしいからだ」
そんなことを言いますよね。

自分や自分の周囲の人を引き合いに出す浅はかさに気づいているのでしょうか。
「もともと頭のおかしい人」は実際にいて、その人の犯罪へのスイッチを押したのがゲームやアニメなら、それが問題だと言っているのに・・・・。
ナチスドイツのプロパガンダ映画や、オウム真理教の宣伝アニメ。
これは洗脳を目的として作られたものですよね。
人を洗脳するのはいとも簡単で、犯罪者を作り出すことも可能なんです。

「表現の自由」は、人類が長い歴史の中で勝ち取った権利ですが、
その大切さをよくわかっていない人たちが、「表現の自由」を盾にするのは浅はかで図々しい。
「自由」に義務と責任がつきまとうことを、最初から放棄してますよね。
もちろん、国家権力による検閲は問題だと思うのですが・・・・。
「表現の自由」を守るために、民間の検閲機関があればいいと思うんですよね。
そして、その機関を監視するための機関があったらなおいいと思います。

あ~、長くなっちゃってすいません。苦笑
一読していただけると幸です。

こっちにまた、すみません

kazuccineさん、お返事ありがとうございます。
そして、、心から握手!
この思いを語り合える仲間が欲しかった;;;
あたしなんか論理的に語るの苦手なので、
kazuccineさんの論理的な文章を読ませてもらって、胸のつかえが取れた感じです。
そうそう!「表現の自由」を盾に何でもかんでも反論されると
自分は物凄い反逆者で、法律違反な人間なのかという気にさせられます。
多くの人の犠牲のうえで、やっと勝ち得た「表現の自由」を奪い取るの?わたし、と。
法改正や国が関わるのが問題だというなら、これは何時まで経っても先送りの野放し状態ですよね。
kazuccineさんの仰るような、民間の検閲機関かぁ。なるほど。
こういうふうに、問題提起以上の話が出来るようになりたいな^^;

みぃさんへ

わたしは、基本的にゼロイチ論が苦手な人なんですよ。
「ゲームのせいだ!」と言い切る人も、「ゲームは関係ない!」って言い切る人も、
基本的には同じ精神構造をしているんだと思うんです。

そもそも、「表現の自由」や「報道の自由」って、国家と個人の関係においてですよね?
「公共の福祉」の範囲から逸脱している場合、制限されるはずです。
たとえば「プライバシー権」を守るために「報道の自由」は制限されます。
独裁国家による言論統制を許さないための「表現の自由」や「報道の自由」を盾に
エログロ表現を認めろってのも、何だか違う気がするんですよね。

「民間の検閲機関」っていうのは、実は適当に考えて出したアイデアなんですけどね。苦笑
でも、思うんだけどあまりにひどい情報ばかり垂れ流してたら、「規制しろ!」って
声が高まるのも当然だと思いませんか?
これが続くと、本当に言論の自由が殺されてしまうこともありえます。
そうしたが最後、「言論の自由なんてろくなもんじゃない」という認識が人々に広がり、二度と復活しないでしょう。
国家権力の横暴に対して、果敢に立ち向かってきた先人が勝ち取った「表現の自由」が
過激な表現のものを見たい人のために潰されていくのは・・・・何だか間違ってますよね。

あ、わたしも結構感情的になっちゃいます。苦笑

和江さん

30代シスジェンダー(?)ゲイ。

日本の片隅にひっそりと暮らしている。
お仕事は福祉系。


マドンナが大好き。


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