わたしの理想論

雑記
01 /29 2010
この間、mixiの日記にも書いたのだけれど、幼い子どもが
両親の虐待の末に亡くなったという事件がおきた。
近所の人の証言によると、一年以上前から泣き叫ぶ声がきこえていたという。
亡くなった男の子は、いつも「ごめんなさい」と言っていたそうだ。
遺体には古いきずあとが残っていて、長きにわたって虐待と暴行があったことが確認されている。

おそらく、男の子は虐待されながらも「悪いのは自分だ」と思っていたにちがいない。
許して欲しい一心で「ごめんなさい」と叫びつづけていたのではないか。
両親は、ただ「ご飯を食べるのが遅い」という理由で子どもを殴りつづけていた。
とてもじゃないけど、殺されるほど殴られる理由になるとは思えない。

男の子の痛みと苦しみを思うと、胸がしめつけられるようだ。

先月見ていたテレビ番組で、発展途上国の児童労働についてやっていた。
非常に危険で、安全とはいえない環境で安くこき使われる子どもたちの姿がうつされていた。
花火工場や炭鉱、深夜や早朝の仕事など、大人ですら耐えがたい職場で働いている。
なかには、まるで奴隷労働のようにむちでたたかれ、体罰を受ける子どもたちもいた。

当然だけれど、学校に行って勉強したり、両親や友だちと一緒にいたり、遊んだり、
子どもなら当然保障されてしかるべき権利は、その子どもたちにはない。
あまりにもひどい現実から、ついつい目をそむけたくなってしまう。

番組の中で、若いタレントの女の子が言っていた。
「生まれてきたこと、生きていることはそれだけで素晴らしいことだと思ってきたけど、
それが全てくつがえされてしまう。」

わたしも、まったく同じことを思った。
そして今回、子ども虐待死のニュースを見て再びそう思ってしまった。

生まれてきたことはそれだけで素晴らしい。
しかし、毎日耐えがたい苦痛を、これでもかというほど感じている子どもたちに、
同じことを言う気持ちにはなれないのだ。
子どもたちは、もしかしたら生まれてきたこと、生きていることを呪っているのではないか。
もしもそうだとしたら虐待や強制労働の現実以上に、そのことが悲しい。

「生きていても、何の意味がない」
そんなことを言う人に、「生きてることはそれだけで素晴らしいじゃない」なんてことを言いつづけてきた。
しかし、あまりにも悲しい境遇にある人たちには、生きることは苦痛でしかない。
そんな人に「生きていることは素晴らしい」なんて最低最悪のきれいごとで、偽善だと思う。
その人たちを、そんな境遇に追いやってしまった現実に怒りを感じ、何もしてあげられない自分にも怒りを感じる。

児童労働をさせられている子どもたちや、虐待に苦しむ子どもたちのために、
一体何をしてあげられるのだろうか。
何をしていいのかわからないし、簡単に出来ることばかりでもないだろう。
考えてばかりいても、どうしても答えは出てこないし、考えるのにも疲れてしまう。
しかし、最低限この「考える姿勢」だけは持ちつづけたいのだ。
考えるのをやめるより、ずっといい。
ユートピアは無理でも、もっとよりよい、思いやりのある世界は実現可能だと思う。

理想論かもしれないけどね。
でも、理想はやはり大事にしないと。
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和江さん

30代シスジェンダー(?)ゲイ。

日本の片隅にひっそりと暮らしている。
お仕事は福祉系。


マドンナが大好き。


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