64年目の願い

雑記
08 /09 2009
8月6日は広島の原爆の日、今日9日が長崎の原爆の日ということは
日本人なら大半の人が知っている・・・・と思う。
広島に近い県に住んでいるわたしは、小学生の頃から
平和学習という授業を受けてきた。
小学校の修学旅行も広島だったし、夏休みの登校日に
「はだしのゲン」のビデオを見たこともあった。

夏休みの宿題帳「夏の友」にも、毎年必ず
「おじいさんやおばあさんに、戦争のことを聞いてみましょう」という課題も載っていた。
当然今もあるのだろうと思っていたら、近所の小学生の子(3年生)に聞いてみたところ
最近はそういう課題は載っていないらしい。
「はだしのゲン」も見たことがないと言っていた。
これはわたしにとっては、ちょっとショッキングだった。

まあ、よく考えたら最近の小学生の子どものおじいさんやおばあさんって、
戦中や戦後まもなくぐらいに生まれた人が多いだろうからね。
幼少期を戦後の混乱の中で過ごしたという人はいるにしても、
戦争をリアルタイムで経験した人は少ないに違いない。

今年で戦後64年も経っているのだから、戦争のことは「記憶」よりも「歴史」という
感じになっているんじゃないかという気がする。
わたしが小学生の頃、今から15~20年前は戦後40何年だったので
まだまだ「記憶」として残っていた時代だったのかもしれない。
実際にうちの祖父などは軍人だったので、かなり悲惨な体験をしたと聞いている。

祖父は中尉だか大尉だか忘れたが、どうやら管理職クラスの軍人だったようだ。
南洋の海上で、乗っていた船が潜水艦に撃沈されて命からがらの目にあったらしい。
その時、部下に向って
「武器を捨てて泳げ!!」と命令したところ、後で上官に怒られたそうだ。
「天皇陛下からいただいた、命より大事な武器を捨てろとは何ごとだ!」と。

最近は戦争に対して、否定的なことを思わない人も多い。
ニュースで話題になった田母神氏なんかもその一人だ。
核兵器を持つことに対しても、肯定的なことを述べる人も増えてきている。

憲法9条をめぐる問題や、戦争の是非、日本や中国韓国との関係、
色々考えるべきことはあると思う。
色んな意見があることも、決して悪いことではない。

ただ、わたしは絶対に戦争は嫌だ。
戦争がおこっても絶対に行きたくはない。
大切な人を失うのも絶対に嫌だ。

戦争はアニメでもない。映画でもない。ゲームでもない。
痛いし、怖いし、不潔だし、苦しい。
そんなところに好んで行くほど、わたしはマゾじゃない。
足の小指をぶつけて、痛い痛いとさわいでいるわたしが、
銃で撃たれたり腕がちぎれたりして平気でいるとは思えない。

戦争が起きたら、スタコラサッサと日本から逃げすだすだろう。
もちろん家族や恋人や友達も連れて逃げる。
でも恋人や友達の家族も助けてあげたいから、莫大な費用がかかるだろうな。
そんなお金、わたしにはない。
だから戦争をしてもらったら困るのだ。

憲法9条を改正しろ、日本も核武装しろ、と騒いでいる人たちは、
はたして戦争が起こったとき、痛くて怖くて不潔な戦地に自ら赴く覚悟があるのだろうか?
自分は司令塔として、安全な場所から指示を出すだけだとタカをくくっているんじゃないか?
わたしにはそう思えて仕方がないのだけど。

圧力や武器による恫喝より、対話による問題解決・・・・これは理想ではなく夢想なのだろうか?
所詮はありえないユートピア的な発想なのか?あるいは偽善なのかもしれない。

でもわたしは絶対に戦争は嫌だ。
痛いのも怖いのも、不潔なのも出来ることなら避けたい。
わたしの言う「平和」がたとえ偽善者たちの宗教のようなものだとしても、
わたしはその宗教にすがりたい。
そこに希望を見出したいと思う。

広島、長崎の原爆の犠牲者への冥福を祈り、心から平和を願う。


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和江さん

30代シスジェンダー(?)ゲイ。

日本の片隅にひっそりと暮らしている。
お仕事は福祉系。


マドンナが大好き。


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