母とケンカして思ったこと

雑記
06 /08 2009
仕事の行きがけに、ちょっとしたことで母と口論になった。
お互いごめんなさいもなくて、もう逃げ出すように家を出てしまった。
きっかけも口論の内容も、非常にくだらないことなのであえて
書かないけれど、わたしも母も何かと気難しい性格なので。

くだらない内容のけんかだったから、謝ることもしないで
出てきちゃったことをすぐに後悔した。
休憩中にたばこを吸いつつ、「悪かった」とメールを入れたら
「今度からは気をつけてよ」と返ってきた。
悪いのはわたしだけかよっ!って怒りが数十秒込み上げてきたものの、
煙を吐き出したらすっかり忘れてしまったけれどね。

うちの母も父も、すでに還暦をむかえている。
縁起でもないけれど、もう高齢者とよばれる年代にさしかかっているわけで、
いつ何が起こっても、あるいはどんな病気にかかるとも限らない。
もしかしたら「覚悟」が必要なのかな?って思うこともある。

もし仮に、母と口げんかしたまま、母がぽっくり逝っちゃったらどうしよう?
家を出てなぜかそんなことが頭をよぎってしまった。
本当に縁起でもないけどね。母に言ったらまた怒られるわ。笑

ただ、例えばその人が死ぬことがあらかじめわかっているなら、
まだ覚悟することが出来ると思う。
突然、本当に予期せぬ時に死んでしまわれると、気持ちの整理がつかない。
それでも、遺体を棺おけにつめ、別れの時間がある場合はいい。
絶対に辛いと思うのは、別れの時間のないことだ。

失踪した人が数年後に白骨化した遺体で発見される。
テレビや小説の中だけではなく、最近はそんな事件も増えてきた。
残された家族は一体どう思うんだろうか。
想像すると背中に寒いものを感じる。

多分、わたしだったら失踪した時点で必死になってさがす。
他のことは何一つ手につかないだろう。
それでも現実には生きていかなきゃいけないわけで、働く必要もあるから
苦しい中笑顔で接客しなきゃいけない。
辛くて発狂してしまうんじゃないだろうか。
そして、白骨化した遺体が見つかったとしても、絶対に本人だとは
思えないだろうし、信じたくないだろうな。

「絶対にどこかに生きている」
「絶対に帰ってきてくれる」
多分、日々そう思いながら生きていくに違いない。

こんなことを考えるたびに、北朝鮮の拉致被害者の方々や
家族の皆さんの気持ちを思うとやりきれない。
どれだけ大変だったんだろう?どれだけ苦しかっただろう?
そして今もなお、苦しみつづけている、未解決の拉致事件被害者たち。
死んでいると言われても、絶対に信じられるわけないと思う。
(誤解のないように。わたしも拉致被害者の皆さんはいきていらっしゃると思います)

そして、原爆や東京大空襲で家族を失った人たちも、
きっと諦めきれずに探したんじゃないだろうか。
死んでいてもいい、せめて骨一本でも、髪の毛一本でも
探し出し、家に連れて帰ってあげようと思ったことだろう。

国防論とか、戦争論とかしち面倒くさい議論はともかく、
「愛する人がいなくなる」ことの恐怖や苦しみは
誰だってわかるんじゃないだろうか。

「原爆は戦争終結を早めた」といって、アメリカでは
原爆投下を悪いことだと考えている人は多くないそうだ。
ベトナム戦争も、イラク戦争も、いまだに正義との戦争だと
信じている人たちがたくさんいる。
日本にしても、朝鮮半島や中国への進出を肯定する人は
最近増えてきたようだ。
わたしは北朝鮮の世論なんてこれっぽっちも知らないのだけど、
多分北朝鮮の人々の中には、
「拉致は仕方がない。あれは犯罪なんかじゃない」
って思っている人もいるんじゃないかな?って思う。

何が正しいとか、間違ってるとか、そういうことをわたしは書きたいわけじゃない。
足らない脳みそであれこれ考えるのは得意じゃないから。
変なことを書いて、ツッコミを入れられるのも嫌だし。

ただ、原爆でも戦争でも拉致でも、それが正しいかどうかは別として
突然愛する人を奪われてしまった人たちの、血と涙がうしろに
あることだけは、絶対に忘れてはいけないと思う。

「正しい戦争」「正しい犯罪」
・・・・うーんこの言葉は言いすぎかな?

「やむを得ない戦争」「やむを得ない犯罪」・・・・だろうか。
それらがあるかどうかは別として、あると信じている人たちはいる。

でも、愛する人を無理やり奪われた人たちにとって、
それが正しかろうとやむを得なかろうと、どうでもいいことだ。

もう一度愛する人を返して欲しい、もう一度愛する人と話をさせて欲しい。

それしか望んでいないと思う。

完全に無くすことは無理でも、犯罪や戦争で愛する人を失う人が
一人でも少なくなればいい。
願うだけでは何も解決しないと思うけど、わたしはいつも願っている。

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コメント

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そうですね。

国家のレベルでいえば国益を守って拡大することができればそれは正しい戦争なのだろうし、国際社会のレベルでも国家間の安定が保たれて国際経済や治安がうまくいっていれば人が少々死んでも「それは正義のためだった」といわれてしまうんでしょうね。

でも、個人のレベルでいえば、正義のために自分の愛する人がわけのわかんない爆弾で殺されたらたまらないし、収容所に送られたり鉄道を作らされて餓死させられたり無理やり集団強姦されたりしたら、正義なんて糞食らえって思います。

その戦争が正義だったかどうかはいずれ歴史が決めるんでしょう(というか、歴史を書く権力を持った人が自分に都合の良い判断をくだすのでしょう)。でも、その時にそこで死んでいったすべての人は誰かの愛する人だったことを歴史を読むわたしは忘れないでいたいと思うんです。

eiさんへ

いまだに、「いい戦争」「悪い戦争」を議論すること自体、わたしには疑問です。
そういうことを言う人たちは、いじめにもいいいじめと、
悪いいじめがあると思っているんでしょうか。
どんな理由があったにせよ、人がたくさん死んでいます。
たくさんの人の死は、たくさんの人の悲しみと苦しみです。
それを絶対に忘れてはいけないと思う。

和江さん

30代シスジェンダー(?)ゲイ。

日本の片隅にひっそりと暮らしている。
お仕事は福祉系。


マドンナが大好き。


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