個性について(まとまりのない話です)

雑記
09 /20 2008
職場のOくんに「Kazuccineさんのキャラってわからない」と言われる。

わたしは別に「自分は○○キャラ」だとか考えたこともないし、

人間なんてフクザツカイキな生き物だから、そんなんに当てはめて考えること自体無理があると思う。


でも、テレビをつければオネエキャラとか、おバカキャラとか、

とにかく「○○キャラ」と呼ばれる芸能人の多いこと。

その人の特技や芸よりも、人柄やおもしろい個性を取上げるのが流行りみたいだ。

それが悪いとはいわないんだけど、何だか切ないなあって思う。

強力な個性を持つ人が注目を浴びるのは以前からあったことだ。

でも長い間支持され、楽しませてくれる人には生まれもった個性や存在感の他に、

歌や演技の才能があったり、巧みな会話のセンスだったり、人を惹きつける能力があった。

そういうものがない人は、やがて飽きられて表舞台から消えてしまう。

最近の、特にお笑い芸人なんかはちょっとおもしろい個性のある人は

すぐ取上げられ、またたく間にスターに仕立て上げられてしまう。

そのぶん消耗も早くて、何だか使い捨てにされているようにしか見えない。

お笑い芸人たち本人も、それを自覚してるようだからいいんだけどね。


これは人づき合いにしたって同じだと思う。

個性的な人は、集団の中にいると目立つし、人も寄ってくる。

でも、その中で仲間を得て、うまくやっていける人っていうのは

人のことを考えたり、思いやったり出来る人だ。

どんな魅力的な個性がある人でも、優しさや思いやりのない人に人はついてこない。

個性が強いぶん、変に孤立しちゃったりするからむしろ損じゃないかな。


こんなことを思うのも、わたしがどっちかっていうと目立つタイプだからだろう。

って書いちゃうと小さい頃から人気者でした、みたいな感じだけど

そうではなくどっちかっていうと「悪目立ち」の類で、人を惹きつける個性よりは

人を引かせちゃう個性の方が強かったみたいだ。

一言でいうなら「変」。

小中学生の頃はいじめの格好の対象になってしまった。

高校や大学になると、そういった変な個性も「おもしろい」と思ってくれる人もいた。

幸いなことに引かないで興味を持ってくれる人もいた。

そこで「おもしろい」だけじゃ、人はいつか去っていくっていうことも知った。

友達にとって一番大事なのは、一緒に笑って、泣いて、怒って、喜んだり悲しんだりすること。

理解しよう、理解したい、そういう気持ちだと思う。

それはどんな個性や性格の持ち主でも変わらないはずだ。


話がだいぶ飛んじゃったけれど、冒頭のOくんがわたしに向ってキャラ云々を

言ったのは、恐らくわたしが変な人だからだろう。

彼自身「オタク」に属している(らしい)。

ことあるごとに「オタクは~」という話をするので、きっと世間でいうところの

「オタク」のキャラクターの中に自分を見出し、自己表現の手段にしているんじゃないかな。

それが彼のアイデンティティだから、わたしは悪いとは思わない。

わたしはそうすることに興味がないから、違和感を感じちゃうんだけどね。


あまり堅苦しい返答もどうかと思うので、

「え~わかんないな。とりあえず“自分キャライタイな”ってよく言われる」

とか、冗談めかして答えておいた。すると、

「うーん、Kazuccineさん意外に自虐キャラですね」と。

別に何キャラでもいいんだけど、そんなキャラは嫌だよ。やめて。


何となくOくんの言葉に否定的なニュアンスで書いちゃったものの、

わたしも基本的には同じなのかもしれない。

個性と同じように、セクシャリティだって本当に人それぞれだ。

そんな中、自分を「ゲイ」という位置にはめ込んでいる。

Oくんが、彼自身を「オタク」と定義しているのと同じことだ。


ついでにいうと、「B型自分の説明書」も「末っ子の取扱説明書」も買っちゃった。

ようするに、自分を何者か規定したくてたまらない気持ちアリアリなのよね。

おまけに血液型占いなんて根拠もないものを・・・・、ただの俗物だ。俗物の極みだ。

・・・・あ、ホラ、また「俗物」なんて言葉で自分を規定している。


「個性もセクシャリティも人それぞれなんだよ」

そんなことを言いつつも、みんな自分が何者なのか定義したくてたまらない。

矛盾しているのだ。わたしも、そして世間も。
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コメント

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そうですね~

たしかに多くの人がカテゴリーに反発を覚えつつも、手軽に使えるカテゴリーに頼って自分を表現してしまっている部分はあると思います。そういうカテゴリーに頼らずに「俺は俺や!」って主張していると自分について詳しく説明をしなければいけなくなるわけで、人間関係を構築する上で不経済なんだと思うんですよ。

だから自分をわかって欲しい、と思うと、世間一般に流布しているカテゴリーを使って説明したほうが早いしわかってもらいやすい。でも、そのカテゴリーと自分の本来の個性にはもちろんギャップがある…。

カテゴリーを使いつつも矛盾を覚える気持ちっていうのは他者によりよく理解をしてもらいたいという社会性を持った人間の欲求が生み出すものなのかも。

まあ、何かに属しているということによる安心感を見出すっていう幼稚な心理があることも見逃せないけど。

eiさんへ

例えば、文章中のOくんもオタクに対するネガティブな
情報には腹を立て、「そんなやつばっかりじゃない!」ってなるんですよね。
わたしも、でも似たような部分あるなあ・・・・とも思います。
矛盾しつつも、便利なものであるし、偏見やステレオタイプも使い方に
よっては自己表現の手段になりうるのでしょう。
何かに属したいと感じている人は、すごく多いと思うんですね。
人間という動物の、本能的なものかもしれません。

和江さん

30代シスジェンダー(?)ゲイ。

日本の片隅にひっそりと暮らしている。
お仕事は福祉系。


マドンナが大好き。


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