愛の革命 by マドンナ

シリアス
06 /29 2015
同性婚「全米州で合憲」 連邦最高裁判決、論争に決着

 米国のすべての州で同性婚が認められるかどうかが争われた訴訟で、連邦最高裁は26日、「結婚の権利がある」とする判決を言い渡した。同性カップルが結婚する権利は法の下の平等を掲げる米国の憲法で保障され、これを禁止する法律は違憲だと判断した。

 オバマ大統領は判決を受けて会見し「アメリカにとっての勝利だ」と歓迎した。米国で同性婚は2004年にマサチューセッツ州で初めて行われたが、保守派の反発が強く、その是非が激しく議論されてきた。ただ、最近は賛成の世論が急増。最高裁判決は論争を決着させる歴史的な節目であると同時に、米社会の変化を表す象徴となった。

 米国では婚姻に関する法律は原則として州が定めている。AP通信によると、同性婚は現在、36州と首都ワシントンで行われ、14州で禁止されていた。訴訟は、禁止州のカップルらが起こしていた。

 最高裁は判決で婚姻が社会の重要な基盤であり、同性カップルだけにその受益を認めないのは差別だと判断。同性カップルに、婚姻という根源的な権利の行使を認めない法律は違憲だと結論づけた。9人の判事のうち5人による多数意見で、4人は反対した。

 連邦法でも、結婚を男女の関係に限定した「結婚防衛法」が96年に制定されていたが、最高裁は13年6月に「州が同性婚を認めているにもかかわらず、国が禁止するのは違憲だ」との判決を下した。ただ、この時はどの州でも同性婚の権利があるかどうかは判断しなかった。(ニューヨーク=中井大助)

朝日新聞社




ここ数年、自分の問題として何度か「同性婚」について考えることも多かった。
「結婚制度」そのものについて、疑問に思うこともたくさんあり、同性婚が果たして自分の望むことなのだろうか?と思うことあった。

でもね、ニュースを見た瞬間、小声ではあったけど「やった!」って自然と口から出てきたのよ。
そして小さいけれどガッツポーズもしてしまった。
やっぱりうれしい。
素直にそう思う。

かつては犯罪であり、異常であり、病気だった。
(悲しいことに、いまだにそういう扱いをしている国や地域もある。差別も偏見もなくなってはいない。)
今では公的に認められる存在になった。
それは結構、わたしたちにとって大きい。

Twitterでは「#LoveWins」というハッシュタグが盛り上がっている。
「愛は勝つ」。どうしてもKANの歌を連想してしまうのだけど。笑
わたしは「人間性の勝利」だと思っている。
全ての人が自分らしく生きることが出来る社会へ、大きく前進したのではないか。

まだまだ課題は多いけれど、日本も変化しつつある。
希望は繋いでいかなきゃね。
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わがままな理想

雑記
06 /06 2015


知り合いやSNSで知り合ったゲイカップルには、少なからず同棲してるカップルもいる。
以前は「男二人暮らし」なんていうと、どうしても奇異の目で見られたものだ‥‥と、思う。
何で「思う」のかっていうと、わたしは過去に男二人で暮らしたことがないから。
最初の男と二人暮らしになりかけたことはあったものの、不動産屋に行く勇気がなくて諦めた。
今思うと、かなり最悪な男だったので、同棲なんてしなくて本当によかった。
まあ、それはともかく実際のところ、男が二人暮らしするにあたって、風当たりがどんなもんかってのはわからない。

カップルで同棲ってのは憧れる反面、自分に出来るかどうか、ちょっと自信がない。
不器用で怠け者で、そのくせマイペースで自分でいうのもなんだけど、結構難儀な性格だと思う。
実家暮らしをしつつも、自室にこもりがちなことが多くて、
「下宿屋じゃあるまいし」
と、この間父に言われたばかり。
家族に対しても、あるいは最愛の彼氏に対してもなのだけど、ある程度距離がないとコントロール出来なくなる気がする。
様々な問題点があるのは知りつつ、パートナーシップ条例のニュースは、一つの光明ではあった。
証明が認められる条件の一つが「同居」。
今のわたしには難しい。
恐らくわたしがノンケでも別居婚を選んでいたと思うのだが、世間的にはパートナーとは一緒に住むのが普通なんだろうな。
でも、一緒に住んでなきゃ、何かあったときに困るってのもどうかと思うのよねぇ。
わたしにもしものことがあったとき、彼氏が「友達」として扱われるのは耐えられない。
救急車にも、集中治療室にも、もっというなら葬儀にもパートナーとして立ち会ってほしい。

‥‥と、思うのだけれど現実はなかなか難しい。
思い通りにはならないよね。

というわけで、色んなジレンマ抱えてるわたしではあるのだけど、
同棲同性カップルの話を聞くのは楽しい。
やっぱりいいなぁーって想うこともあって、お風呂や寝床が一緒なのはうらやましいなって思う。
エッチな目的だけじゃなくて、寝床で話をするのって結構好きなんだよね。
適度にスキンシップをとりながら。

何だろ?二人の別荘みたいなのがあるのが理想だな。
普段はそれぞれの生活をおくりつつ、時々そこに泊まって二人だけの時間を過ごす。
あまり経済的とはいえないのだけど。
現実的でもないのだけど。

まあ、夢を見るのは自由なんだし、理想は理想として持っておくのも悪くない。

セクシーなあなた、卑猥なわたし

雑記
06 /05 2015


今でこそゲイの友達や知り合いもいるのだけど、10代末期~20代前半はほとんど「イロ目的」の出会いが多くて、普通の友達と呼べるような人はあまりいなかった。
出会ってすぐに関係を持ってしまう人は、そもそも一回ポッキリでサヨウナラというパターンが多かったのだけど、
実際に関係を持たず、何となく「普通ではない友達」になってしまった人もいる。
これはセフレとかの類ではなく、「下ネタやエロ自慢しか話題のない友達」のこと。
掲示板やらチャットやらで、お互い下心ありで近づいてみたものの、お互いどうもタイプではないので関係を持つにはいたらず、
でも何となく気が合うので連絡はとり続けているが、話すネタがなぜかお互いの性生活のことばかり‥‥というおつき合いの友達。
当時のわたしにとっては、「ゲイの友達」というとそういう人のことだった。

同じセクシュアリティだからこそ話せることってあるし、どうしても性に関する話題が出てくるのも仕方ないとは思うけど、
たまに会ったり、電話してもセックスの話しかしないなんて変な関係だったなぁと思う。
おそらく周りにいるノンケ友達には話せないようなセックスの話が出来るのがうれしかったのだろう。
田舎暮らしの上に、都会に出ることもなく、地味なゲイライフを送っていたわたしの話なんてたかが知れていたけど、
都会に住むゲイ、あるいは都会に気軽に遊びに出られるゲイの話は魅力につきなくて、
たとえば当時はまだ合法だった5meoやラッシュなどのドラッグや、発展場やら乱交パーティやらドキドキする話に満ちていた。
若いのに、あるいは若いから?みんな精力的に活動していたのだ。

そういうゲイ友達?というかゲイのエロ話仲間?も時間の経過とともに淘汰されていったのだけど、割と最近まで繋がっていた人もいる。
そして時間がたつにつれ、エロ以外の側面も知ることになった。
連絡手段がメールからmixiやTwitterなどのSNSになり、いつも話す以外の面を知ることも増えていった。

社会や政治に関すること、趣味のスポーツ、資格試験やキャリア、映画や音楽など、ごく普通の話をする彼ら。
2011年3月11日以降、震災や原発問題に関して積極的に声をあげる人もいた。
当たり前なのだけど、みんなそれぞれの生活があり、視点があり、問題意識も様々だった。
それはわたしの知らない彼らの側面であり、わたしが下ネタ以外話しているのも、多分向こうにとっては奇妙な感じがしたと思う。

そして時の経過とともに、関係は自然消滅していった。
今では連絡をとっている人はいない。

思うのは、ゲイ同士エロい話で盛り上がるのも楽しかったけれど、そうでない話もしたら楽しかっただろうなということなのだが、
実際下ネタばっかり話してる間柄で真面目な話をするっていうのも気恥ずかしいもんだと思う。
遅れてやってきた思春期の友達づき合いみたいなものだ‥‥と思っている。

それにしても不思議なもんで、エッチな話をしてるときは、ただ楽しいだけの人なのに、
そういう人が真面目な話をしていたり、堅い文章書いているのを連想すると何ともセクシーなんだよね。
ギャップってやつだろうか。
男はスマートさこそ、セクシーさだと感じる今日この頃であった。

和江さん

30代シスジェンダー(?)ゲイ。

日本の片隅にひっそりと暮らしている。
お仕事は福祉系。


マドンナが大好き。


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