ソーリー!ソーリー!

雑記
07 /28 2010
社民党の看板的存在だった辻元清美さんが、社民党を離党するようだ。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2010072802000071.html

元気印の辻元さんが離党するのは、社民党には大きな痛手だとは思うけれど、
よくわからないのが、彼女が離党する理由だ。
彼女は、

「かつては野党で批判の急先鋒(せんぽう)に立ったが、それだけで日本を変えることはできないという思いが強くなった」


なんてことを述べている。
ようするに、社民党は野党に下っちゃったから何もできない。
与党に入って色々したい・・・・かいつまんでいえばこういうことだよね?

そこで、今度は無所属で出馬するとか、民主党との連携をはかるとかいっている。
野党じゃ思った仕事ができないから、無所属って、わたしにはよくわからない。
うーん、さすがに民主党に鞍替えするっていうと、外聞が悪いから??
何ていうか、野党におったら何もできん・・・・というなら、全政党が大連立を組んで政権をとればいいってことになる。
民主主義の議会では、野党には野党の、与党には与党の役割があると思うのだけど。
そんなに与党にいるのが好きなら、あなたは自民党が与党になってら自民党に入るんですか?って訊きたくなる。

自民党にも民主党にもいえることなんだけど、
「国民の声を国政にとどける」っていう、大事な使命をわすれて、
みんなが「政権、政権」にこだわりすぎた結果のナレの果てじゃないかなあ・・・・。

政策や主義主張が同じ人同士で、政党を組み、政党で力を合わせて政策の実現に努力する。
これが本来の政党政治のあり方じゃないか・・・・って思う。
そのためによその政党と合意をはかったり、協力することも大切だろう。
野党や与党っていう立場は、大きなちがいだけれど、大事なのは「国民の生活と権利を守る」っていう
政治家としての姿勢だと思うんだけどなあ・・・・ちがうのかなあ?

ちなみに、彼女は比例区から選出された議員なのでよけいに批判を浴びている。
「社民党」という大きな看板を背負って、当選したのだから。
じゃあ、訊くけど小選挙区で立候補した議員なら、とっとと離党してもいいの?って話ですよ。
次から次へと離党した、元自民党の議員さんたちもいる。
選挙区に投票した人たちは、その人物を見て投票したのだとしても、その背後にある
「○○党公認候補」という看板も、決して軽く見ているわけではないと思うんだけど。

党の看板を背負って立候補しておきながら、自分からやめちゃうってのがそもそも問題なのに。
よっぽどの事情があるならまだしも、辻元なんて明らかに「自分の都合」にしか見えない。

比例選出の議員がこうやって離党したり、あるいは選挙区で落ちた議員が比例で復活したり、
今の選挙制度の中で比例代表制に対する批判的な意見は非常に多い。
民主党も議員定数を減らし、比例区を削減するといっている。

わたしは、小選挙区制一本にしぼられる方が、もっとよくないと思う。
小選挙区制って、むかしの「おらが村の代表を、国会にさ送るだ」っていう時代の
やり方をそのまま受け継いだやり方だよね?(ちがうかな?このへんは勉強不足なので)
地域のための選挙ならともかく、国の政治を決める選挙だよ?
「おらが村の代表」よりは、国全体のことを考えて行動できる人を選ばなきゃいけない選挙なのに。
これじゃあ、党としての方針はともかく、地元の財界とか大金持ちと結びついた人が当選しちゃう。
そういう人たちは、票を集めるのが得意なんだもん。

結局少数意見は封殺されて、死に票が多くなり、落選した議員に投票した人たちの意思は無視される。
これがはたして民主的なんだろうか?わたしにはそうは思えないけど。
民主主義は多数決が原則とはいっても、いいかえれば「多数派の数の暴力」でしかない。

小選挙区制は二大政党制に適してるっていう意見もあるけど、二大政党制がそんなにいいことか?
今の日本は自民党と民主党の二大政党制になりつつあるけど、結果はどうなんだよ?
二大政党制のメリットといわれる、「安定した政局」とか「政権交代が容易」とかあるみたいだけど、
首相はコロコロかわるし、政権交代してもこの有様だよ。
もし解散総選挙をして、自民党政権が復活したら、元に戻るだけじゃない。

強力な力をもった、二大政党がない限り、二大政党制も政権交代も意味がない。
今はもう、自民党も民主党もグダグダだから、どっちを選べといわれても困るんだよ。
結局、日本で小選挙区制や二大政党制を導入しても「選択肢に困る」程度の結果しかないわけだ。

だいたい、二大政党制の本家本元であるイギリスだって、今はその問題点がしてきされている。
もういい加減、アメリカやイギリスの後追いをするのはやめようよって思う。
少数政党で連立している国だって、他にあるじゃない。

というわけで、わたしは比例代表制とか、かつての中選挙区制とかのよさをもう一度見直し、
選挙制度そのものを変えるべきではないかって思う。
有権者には選択肢が保障されるし、少数意見を汲み取ることもできるからだ。
比例代表制や中選挙区制にも問題があるのは知っているけれど・・・・どの選挙制度にしても
問題はつきものなんだから。
今の選挙制度や二大政党制に問題点があるのは、もうここ10年以上の間に、はっきりわかったと思うんだけど・・・・。

わたしの意見も少数派なんだよね。
辻元さんの件に便乗して、政治に関して思うことを述べてみた。

ちなみに、以前はわりと辻元さんのことが好きだったので、ガッカリしつつも、
どこかでちゃんと活躍して欲しいな・・・・とも思っていたりする。
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性のカフェオレ

雑記
07 /27 2010
コーヒー牛乳とカフェオレの違いって何なんだろう?と思って、
調べてみたところ、同じような疑問をもった人もいたみたいで、OKwebに回答がのっていた。

カフェオレとコーヒー牛乳
http://okwave.jp/qa/q583119.html

早い話、コーヒーを牛乳で割ったものがカフェオレで、牛乳にコーヒーで味付けをしたものがコーヒー牛乳というわけだ。
まあ、実際のところほとんど同じだとは思うのだけれど、いってみれば「起源がちがう」「発想がちがう」ものだといえると思う。

こういう例は他にもあって、例えば携帯電話とPHSは今ではほとんど同じものだけれど、開発された目的はまったく違うものだった。
携帯電話は車に載せる電話を発展させたもので、PHSは電話の子機を屋外でもつかえるようにしたものが発展したものらしい。
使ってる方としては、同じようなものなのだからとりあえず安い方とか、使い勝手のいい方を選ぶのだけど、
開発された当初の目的を大切にしている人にとっては、やはりまったく別のものだと思う。

他にも、たとえばリンスとトリートメントとか、幼稚園と保育園とか、理容と美容とか、ブログとweb日記とか、
一見して似ているようで、実はちがうっていうパターンはよくある。
リンスとトリートメントのように、実はそんなに効果にちがいはないってパターンもあれば、
幼稚園と保育園は作られた目的も、実態もまったくちがうから一緒にできないパターンもある。
「似たようでちがう」ものでも、こだわっている人からすると「まったくちがう」ものだったりするから、
とにかく「ちがう」ということだけは認識しておいた方がいいだろう。

いまだに多いのが「ゲイもオカマも同じ」っていうノンケの勘違いだ。
わたしは「ゲイとオカマはちがう!いっしょにするな!」っていうゲイがどうも好きになれないので、
「ゲイとオカマってちがうの?同じ?」というノンケに出くわすと、
「同じ人間ですよ。あなたも同じ」なんて答えるようにしているのだけれど、かえって相手に混乱を
まねいてしまうこともあるので、そう答えたあとに性自認とか性指向という言葉を使って説明する。
わかってくれることもあれば、わかってくれないこともある。

ただ少なくとも、どちらかがまるで病気であるかのような誤解だけは絶対にあたえないように気をつけている。
ゲイの中にも「ニューハーフは性同一性障害という病気だ」なんてことを言う不心得モノもいるので、
中途半端な知識と、中途半端な説明で人を傷つけることだけはしたくない。

性的マイノリティに関する情報は数年で大きく変わることも多い。
数年前までは「LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスの略)」なんていってたけど、
最近では「LGBTQ」とか「LGBTA」なんていい方をされることもある。
Qは「クエスチョニング」のことで、自分の性自認や性指向がはっきりわからない人たちのことで、
Aは「アセクシャル」、つまりは同性にも異性にも性的な興味のない人たちのことだ。
いろいろなセクシュアリティの人たちがいることがわかってきたり、注目されていなかった人たちが
注目されるようになってきたので、性的マイノリティに関しては当事者も知らないうちに状況が変化していることも多い。

わたしが最近知ったのが、「MtX」とか「FtX」と呼ばれる人たちのことだ。
もともと「MtF」とか「FtM」という言葉があって、これは「Male to Female」とか「Female to Male」の略だ。
「Male to Female」は男性の体だけど、自分の性別に違和感を感じて、女性の体になることを望む人たちだ。
「Female to Male」はその逆パターンだ。
じゃあ、「MtX」とか「FtX」という人たちがどういう人たちなのかっていうと、
「自分の生まれ持った性別に違和感を感じつつも、違う性別になりたいと願っているわけではない」という人たちのことをいう。

こういう話を聞くと、頭では理解しつつもどうも感覚的にはわかりにくい。
当事者の人たちの話を聞いて、一体どのように感じているか、「肉声」を聞かないと本当に理解は出来ないと思う。
ノンケの人たちが、ゲイに対して抱く偏見と同じようなものを抱いてしまうこともありうるから要注意だ。

本来だと、わたしはあれこれ人に区別をつけるのが苦手なので、
「みんな同じ人間でしょ!」っていう方が好きなんだけど、何でもかんでも一緒くたにして
相手を理解する気持ちに欠けていると思われても困るので、「ちがいはちがい」とふまえた上で話をしなくてはいけない。

でも、何だろうなあ。
たとえば、わたしなんかは「ゲイ」「男が好きな男」とか説明がしやすいのだけど、
アセクシャルとか、クエスチョニング、FtX、MtXの人たちは、何も知らないノンケにいろいろ訊かれても
説明するのが大変だと思う。
わたしも結局理解してもらえず、「いつになったら女を好きになるの?」とか、
「性転換手術はするの?」という質問されて「うーん・・・・」って思うこともあるけれど、
上に挙げた人たちは、もっと大変じゃないかという気がする。
まあ、当事者の人たちの話を聞いたことがないので、何ともいえないのだけど。

しかし、逆にいうとみんなそれぞれ細かなちがいがあるんだから、いちいち気を病まず、
こんなもんだって割り切って生きると楽だなあ~とも思うのだ。
カフェオレとコーヒー牛乳がちがうものでも、どちらも美味しいことに変わりがないように、
みんな細かなちがいにとらわれず、胸をはって自分の人生を楽しめばいい。

なーんて、最後にマクラのねたを無理やりもってきて締めてみたけど、無理があるかな?
まあ、おあとがよろしいようで。

小さな世界の常識

雑記
07 /16 2010
お相撲の世界が賭博問題でガタガタ揺れている。
騒動の中心になった琴光喜なんかは、わたしの県の高校をでているので、
いわゆる「郷土のスター」なのでよけい気になるのだけど、
わたしがこの問題でとにかく怖いと思っているのは、「異常なことがふつうになっている」ことだ。

おそらくお相撲の世界では、野球賭博にかぎらずありとあらゆる賭博がごく当たり前に行われてきたのだろう。
中学や高校をでたばかりの子どもたちが、何も知らずにお相撲の世界にはいって、
先輩も親方もみんなみんな賭博を楽しんでいる中で、賭博を「いけないこと」と認識できたのだろうか。
処罰された力士をかばうつもりはないのだけど、逆に彼らだけを批判して終わる問題でもないと思うのだ。

同じようなことを思ったのは、昨年ののりぴーの逮捕騒動で話題になった芸能界の薬物汚染。
芸能界もお相撲の世界と同じく、まだ年端もいかない若い子がはいって業界の中で育っていく。
のりぴーもまだ思春期のころに芸能界に入り、大人から世間とは違う場所で育てられていった。
芸能界の薬物汚染は、明るみにでていない部分でかなり深刻だというし、
まだ精神的に幼い子どもたちが、裏で先輩芸能人が覚醒剤をごくふつうにやっているのを見て、
まわりも「バレないようにやればだいじょうぶ」と言っているのを聞いて、
はたして「覚醒剤はこわい。絶対にやってはいけない」と思うことができるのだろうか。

まあ、のりぴーの場合彼女自身がクスリに手をだしたのは結婚してからといわれているので、
かならずしも芸能界が悪いと決めつけるわけにもいかないのだけど、
それでも彼女が芸能界っていう異常な空間で育ってきたのは事実だし、クスリに手をだした
遠い要因と考えることもできるんじゃないかと思う。

でもこれは、芸能界とか角界とか、特殊な世界だけでおこる問題でもないような気がする。

具体的な例でいうなら、車のスピード違反とかがそうじゃないかな。
車の運転免許をもっていなくて、車の運転をまったくしない人に、
「スピード違反でつかまっちゃった」っていうと、
「安全運転しようよ~」とか「交通ルールは守らないとダメだよ」って答えが返ってくるだろう。

でも、日常的に運転している人に同じことを言ったら、
「わー、運が悪かったね」「あそこはネズミ捕りいるから、気をつけないとダメだよ」
とか、こういう風に答える人が多いと思う。

これは、運転する人と運転しない人に決定的な常識のちがいがあるからだ。
運転している人からすると、「規制速度ではしるなんて、迷惑な運転」っていう常識がある。
でも、運転しない人からすると「それって法律違反でしょ?」と思うのが当然だろう。

運転しない人や、車に興味のない人たちからしたら、日常的に法律違反が行われている
公道は、むしろ異常な世界に見えてくるのではないだろうか。
「ふつう」と「異常」なんて、立場によって簡単に変わってしまうのだ。

ここから下は、一部のゲイにとっては不快な内容になるかもしれないのを、あらかじめお断りしておく。


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おばあちゃんをたずねて

雑記
07 /13 2010
祖母が施設に入ってから、かれこれ3ヶ月。
いままでに3回ほど祖母のところに行っている。
そのうち1度は父や叔母(こないだの記事に登場したハタメイワクな叔母ではない)や、従兄たちと行った。
やはりどうしても元気がない印象はあるのだけれど、それでも家にいるころとあまり変わりはない。

父としては、実の母親を施設に入れたというので少し負い目もあって、
なかなか施設に行くことができなかったようだけれど、この間みんなで行ったことで
少し気分は変わったようだ。
「わしも安心して会いに行くことができるかな・・・・」と言っていた。

わたしはときどき、祖母の夢を見ることがある。
幼いわたしと、まだ若い祖母が話している夢であったり、ここ最近の介護生活の夢だったり、
いろいろなのだけれど、きのうの夜に見た夢は、お正月に祖母が一時帰宅する夢だった。
もう介護用ベッドはないから、みんなで布団に寝かせたりした。

「一時帰宅」も何も、今後帰宅するかどうかもわからないのに、どうしてこんな夢を見たんだろう。
帰ってきて欲しいと思っているのか、あるいは帰らせてあげたいと思っているのか。
「一時帰宅」ぐらいなら帰らせてあげたい気もするんだけどなあ。

話はそんなに簡単ではなく、実は祖母は入所した日に大騒ぎをしたらしい。
直感的に、もう家には帰れないとさとってしまったのかもしれない。
家に帰る、家に帰ると言って泣いていたらしい。

わたしが行ったときも、わたしが帰ろうとすると、
「ちょっと~、もうちょっこしおってごすだわ(ちょっと、もう少しいてよ)」と言っていた。
やはり淋しいんだろう。家族といたいと願っているのだろう。
「仕事があるけん・・・・」そう言って、その場をあとにするほかなかった。

こんな状況では、「一時帰宅」などもままならないだろう。
帰らせてあげたことが、本人のためになるとも限らない。

どうしてあげるのがいいのだろう。
悩ましく、難しく、そしてつらい。
介護の問題は、本当に重たくのしかかってくる。
でも、誰にも身近な問題でもあるのだ。

いつか両親が老いたときのため、わたしも心の準備が必要なのだ。

夜勤明けにどうなっているか、気にはなる

雑記
07 /11 2010
だいぶ前だけれど、とあるSNSで日記を書いたらネトウヨ(本人が自称している)から
コメント欄にすさまじい攻撃を受けたことがある。

コメント欄で議論をしたいとか、そういう感じではなくとにかく彼の言いたいことを
めちゃくちゃに書きつらねた凄まじいコメント攻撃だった。

わたしは政治的に右翼的でも左翼的でもないと思っている。
かといって「中道」をきどるつもりもないのだけど、とにかくかたよらず、
感情的にならず、視野をひろくもって物事を見て考えたい。

そう考えているんだけど、そのネトウヨはわたしを「親中派」だの「平和主義気取り」だの
わけのわからないレッテルを貼って何十件ものコメントをダラダラと投稿しつづけた。
さすがのわたしも、腹が立って二度と来るな!って返事をしてやった。

何十件もコメントした挙句、さいごは
「ここはあんたのシンパばかりみたいだから、何書いてもムダだと思うけど・・・・」等の
意味不明な捨てぜりふを吐いて来なくなったのだけど、よりによってSNSのコメント欄に「シンパ」とは!
彼にとって、たとえばmixiでいうところのマイミクさんは「シンパ」らしい。

ネトウヨ全体や、ましてや保守的な人たちがみんな彼みたいに頭のおかしい人たちだとは思わない。
右翼でも左翼でも、精神的にどっか破綻している人はいるもので、そういう人は実生活では
あまり相手にされないだろうから、ネットの海の中でおお暴れするのが楽しいにちがいない。

SNSという、わたしにとって「楽しい場所」でも彼らにとっては「政治活動の場所」だし、
日記はまさしく「政治活動」「言論」なんだと思う。

そう考えているのはけっこうなんだけど、人が「楽しい場所」として使っている場所に
ずかずかと土足で踏み込んでくるのはやめてもらいたい。
普段は料理や音楽、マンガ、ファッション、恋愛ネタが中心の楽しい日記で
たまにニュースネタをとりあつかう程度だったのに、ストーカーのようにコメント荒らしをされて
SNSをひらくのがイヤになるほどだった。

そのネトウヨからのコメントがとだえると、
「大変でしたね・・・・あの人何がいいたいんでしょう?」
「最初から最後まで読んだけど、サッパリ意味がわからないですね」
「会話になってない。壁にむかってしゃべってるのかな?」
「サイコ的な人でしたね」
などなど、リンクしている人からたくさんコメントをもらった。

それを見てか、「よかったね、シンパの皆さんからやさしい言葉もらって」とメールがきた。
本人なりに、自分の意見が無視されてることがわかったみたい。
そう考えると、彼も彼なりに傷ついているんだろう。ちょっと同情した。笑

ちなみにその人は、麻生元首相のことが大好きらしい。
こんな人に好かれてたら、麻生さんも気の毒に・・・・と思った。
わたしは昨年の衆院選で、自民党が大敗したのはネトウヨの幼稚なネガティブキャンペーンが
他の有権者に嫌悪感が持たれたのが大きな原因じゃないかな?と思ってるんだけど、
今回の参院選でも、相変わらずそれを続けているようだ。

今回は自民党にとっては、比較的有利な選挙だと思われるのだがネトウヨの
「打倒民主党政権!」キャンペーンは悪い方向にはたらくことはあっても、いい方向には
はたらなかないだろうな・・・・と考えている。
わたしなんかは「こんなんに支持されてるようじゃ、自民党はダメだ」としか思えない。

さて、今日は参院選の開票日。
わたしにとっては、自民党がどうなろうと、民主党がどうなろうと、別にいい。
過剰な期待は持たず、いつか本当に民主主義的な国になるよう祈るばかりだ。

温泉街のアフロディーテ

雑記
07 /10 2010
カイリー・ミノーグの新作アルバム「アフロディーテ」を買った。

アフロディーテ(エクスペリエアフロディーテ(エクスペリエ
(2010/06/30)
カイリー・ミノーグ

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今回のアルバムは、マドンナの「Confessions On A Dancefloor」をプロデュースした
スチュアート・プライス氏が手がけたので、かなり期待大なのだけれど、
聴いてみるとその期待を決して裏切らない、いい作品に仕上がっている。

まあ、アルバムのレビューに関しては今後じっくりやろうと思うのだけど、
このアルバムを買ったことで、ちょっとおもしろい事件が起こったので、紹介したいと思う。

このアルバムを買ったのは仕事の休憩時間だった。
ちょうどそのときは、職場のおなじみのおとぼけTくんもいた。
shokubanoteiikun

わたしが休憩中に外出していたので、Tくんが尋ねた。


Tくん「Kazuccineさん、どこへ行ってたんですか?」

わたし「ん?えっとね、カイリーの『アフロディーテ』買ってきたんだ」

Tくん「皆生(かいけ)のアフロディーテのところへ行ってたんですか?」

わたし「はぁ!?何聞いてるのよ!」


ちなみに皆生(かいけ)というのは、わたしの地元にある温泉地の名前だ。

「温泉地のアフロディーテ」・・・・ってコレ、風俗嬢のことじゃないの!!
仕事の休憩時間に風俗に行くなんて、どんだけわたしは下劣な男なのよ!

ま、このほかにもTくんは聞きまちがいや、言いまちがいのたぐいが多くて、
ときどきしゃれにならないものもあるけど、大半は笑って済まされる程度のものだ。
今回のも、おそらく笑って済まされる程度のものだと思う。

それにしても、田舎の温泉街にいる泡姫「アフロディーテ」。
どことなくもの悲しく、甘美な響きのある言葉だなあ。
どういうわけか知らないけど、「人気の風俗嬢」よりも「落ちぶれた風俗嬢」のイメージが出てくるんだよね。

「バカ言っちゃいけないよ!この温泉街の『アフロディーテ』と呼ばれたこのアタシに、こんな客の世話をしろって言うのかい!?」

なんてタンカを切っているような・・・・。
若いときにはそれなりに売れていて、ちやほやされてお高く止まって客を選り好みしていたのが祟って、
年をとってからはお客にも恵まれなくなった、淋しい娼婦のイメージが重なる。
・・・・って、これ「吉原炎上」の世界観ですがな。

今では風俗街は温泉地の方に多いのだけど、かつては港の近くに売春宿が多かったそうだ。
その土地の名前が「花園」というのだから、これまた何だかもの悲しい。
船乗りたちにとっては、楽しい華やかな「花園」であったとしても、そこで働く売春婦に
とっては悲しみと苦しみに満ちた場所であったにちがいない。
ちなみに、今でも売春宿の跡地はいくつか残っているそうだ。
こんどそこらへんを散策してみようかな。

それにしても、ちょっとした聞きまちがいから地元の売春街のことに話がふくらむのだから、
Tくんの聞きまちがいも案外バカにできないものだ。

そんなTくんですが、この間ふいにカムアウトして、思い切って彼氏も紹介しちゃった。
いつも思いつきでカムアウトしているわたしだけど、今回はちょっと色々考えた。
Tくんも、職場のKくん同様あまりゲイやレズビアンに対する「免疫」がない人のように思われたからだ。
Kくんの場合、受け入れてくれるまで時間がかかったから、どうしても躊躇するところがあったんだよね。

・・・・でも最終的には「話しておきたい」「正直でありたい」という自分の気持ちが勝ったので、
けっこう唐突にカムアウトしてしまったのだ。
案の定、ちょっと衝撃を受けていたみたい。
「Kazuccineさん・・・・いきなり彼氏さん連れてきて、そんで告白って・・・・心の準備がありますよ」

・・・・うん、そうだよね。

・・・・と、反省しつつもKくんのときのように何週間も口をきいてくれないなんてこともなく、
普通に3人で焼肉を食べたり、ボウリングをしたりで楽しい時間を過ごせた。
やはりカムアウトしてよかったと思う。

ちなみに彼氏いわく、Tくんはわたしが言うほど「おとぼけ」ではないらしい。
しかも「下手するとKくんより、Kazuのことわかってるかもね・・・・」とのこと。

そうなの!?そうなのか??Tくんよ!?

さて、選挙に行ってきたわけですが

雑記
07 /08 2010
11日にある参議院選挙の、期日前投票に行ってきた。
昨年の衆院選ほどの盛り上がりはないにしろ、それなりに多くの人が
投票に来ていたので、まだまだ政治に興味を持っている人がたくさんいるのだとわかり、
ほんの少しだけ安心した。

2009年の衆議院選挙では、民主党が大敗し、歴史的な政権交代が行われた。
多くの人たちが長年の自民党政権に失望し、政権交代を望んだ結果だった。
そして、政権交代による政治やくらしの変化に、多くの人たちが期待した。

民主党政権ができて、世の中は変わったのだろうか?
普天間問題、子ども手当、高速道路の無料化など、選挙前に掲げられたマニフェストは
何一つ実現することがなく、鳩山政権は一年をまたずして破綻した。
政治とカネの問題がクローズアップされ、消費税増税の議論も持ち上がっている。
人々の生活は、何一つよくなっていない。

まあ、そうはいっても自民党政権があれ以上続いた方がよかったなどと、わたしはとうてい思えない。
自民党の支持者たちは、衆院選の敗因をさかんにマスメディアのせいにしたがったり、
国民が愚民化したからだといっているけれど、コイズミ政権で数々の弱いものいじめ法案を採決し、
その後次々と首相が政権をほっぽり投げる事態がつづけば、国民に不信感を持たれても仕方がない。

自民党議員も、自民党支持者も、なぜ国民が自民党に不支持をつきつけたかを考え、
反省して一から出直すのが大切なのに、「打倒民主党政権!!!」ばかり声高に叫んで、
民主党に投票した選挙民をバカにしつづけるのが精一杯だ。

わたしは以前から、民主党も自民党も、よくも悪くもそんなに違いはないと思ってきた。
民主党政権が誕生したって何も変わらないし、同じようなことがくり返されるだけだと考えていた。
まあ、さすがにここまで何も変わらないとガッカリはしてしまうけど、それでも予測の範囲内だね。
それでも、それでも政権交代は必要だと思っていた。
自民党はどうしようもないけれど、これに「No」を突きつけないと民主主義とはいえない。
民主党は口先だけいいことばかり言っているけど、口先だけで実行できるとも思えないけど、
それでも、政権交代して政治を洗いなおさないといけないと考えていた。

政権交代によって、変わるべきだったのは民主党でも日本でもなく、実は自民党だったのかもしれない。
残念ながら、自民党は「選挙民がバカだった」で何一つ変わる気配がないのだけど。
今回の選挙で民主党がどうなろうと知ったこっちゃないのだけど、自民党は潔くぶっ潰れて欲しい。

しかし、わたしがどうしても恐れているのが、これだけ政治が混迷をきわめる中で、
誰がやっても結局同じで国民の生活がいっこうに変わらない中で、強力な指導力を持った
独裁者が登場し、独裁政権が誕生してしまうのではないか・・・・っていうことだ。

こんなことを思ったのは、池田理代子の「栄光のナポレオン」を読んだからなんだけど、

栄光のナポレオン―エロイカ (1) (中公文庫―コミック版)栄光のナポレオン―エロイカ (1) (中公文庫―コミック版)
(1997/05)
池田 理代子

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フランス革命後のフランスって、今の日本と似ているところがたくさんあるんだよね。
似ている部分があるっていうだけで、本質的にはかなり違うのは確かなんだけれど、
変革への期待をもって革命(政権交代)がおこったのに、何も変わらず、民衆が革命(政権交代)に
うんざりしているところが、非常に似ていると思う。
誰がやっても変わらない、誰がやっても、腐敗と利権と私利私欲に走る。
かびの生えた思想にこだわる左翼と、時代の流れを無視してもとにもどそうとする右翼。
それにたいして何も出来ない政権。
そんな中で、人々は独裁者を求め、悲劇の英雄ナポレオンが誕生した。

今もし、日本に強烈なカリスマ性のある独裁者があらわれたら、どうなるだろうか。
クーデターが起きて、独裁政権が生まれる可能性はないだろうか。
そんなこと、おきるわけがないと思いたいけれど、可能性は否定できないだろう。

「栄光のナポレオン」で登場人物の一人が言うセリフで、
「独裁政治の何が悪いのよ。革命が何をしたっていうの?今国民が求めているのは強力な指導者よ」
っていうのがある。

たしかにそれも一理あるんだろう。
民主主義なんて、所詮は多数派の数の暴力なんだし、いつもいいとは限らない。
強力な指導力のある、知識や徳のある独裁者が政治をやった方がいいこともあるだろう。

歴史を学んでいると、例えば
「ナポレオン時代があったから、今の民主国家フランスがある」
という意見に出くわすこともある。
それは歴史を読む上で、正しい理解の仕方なんだと思う。

しかし、独裁政治のかげには独裁に苦しむ人の涙や、弾圧され殺されていった人の血がある。
歴史の上での必然であったとしても、その犠牲になった人にとってはたまったもんじゃない。
たとえ、自分の血や、愛する人の血が、社会の発展のために必要であったとしても、だ。

人間はもう、何百年も血を流し、じゅうぶんすぎるほど学んだと思う。
それでも、「のど元過ぎれば熱さ忘れる」で血を流しつづけないとわからないのだろうか。
とにかく、現代の日本でふたたび悲しい血が流れることがないように、祈りたい。


ちなみに「栄光のナポレオン」は有名な「ベルサイユのばら」の続編です。
「ベルばら」のロザリー、ベルナール、アランが登場します。
「ベルばら」の延長線上で楽しく読めるかっていうと、そうでもないのだけどヨーロッパの
歴史を勉強する上ではかなり役立つと思うので、オススメの作品です。

叔母の入院、わたしのアトピー

雑記
07 /07 2010
叔母の一人が入院した。
お酒の飲みすぎで肝臓を悪くして、それがもとで軽い認知症の症状まで出ている。
まだ60代だというのに、兄である父よりもはるかに老け込んでしまった。

うちの父は二人妹がいて、そのうちの一人がこの叔母だ。
もう一人の叔母は大人しく、やさしい人で、帰省したときは祖母の介護なども手伝ってくれる。

入院したほうの叔母は、感情の起伏が激しくきつい性格の人だった。
わたしは小さいころから、この叔母のことが何となく苦手だった。
一方的なものいいで、両親や両親の友人の悪口を子どものわたしや姉兄に言うし、
母を子どもたちの前で叱りつけることもあった。

母と祖母は、比較的穏やかな嫁姑関係だったのだけど、そこへこの叔母が入ってくると、
どうしても祖母は叔母の味方をせざるをえないので、母はつらかったという。

しかし、叔母の一番困った点は、次から次へと、健康食品などの訪問販売に手を出していたことだ。
いつも買わされるのは、うちの両親だった。
わたしのアトピーにつけこんで、漢方薬、健康食品、布団、浄水器など、とにかく
あれやこれやと買わされ続けた。
両親は普通の皮膚科やアレルギー科で、アトピーの治療をうけさせたかったのだが、
「アトピーは普通の病院では治らない。それどころかガンになる、失明する。うちの健康食品を使うと、みんな治った」
そんな言葉に押し切られて、わたしは普通の皮膚科への通院が許されなかった。

叔母は、よく母に
「うちの家系にはアレルギー体質の人なんていなかったのよ。あんたのとこの子どもはみんなアレルギー持ちでしょう。
うちの家系に変な病気を持ち込んだのだから、ちゃんと治るようにしなさい。親の義務でしょ。
ステロイドを使うと、Tちゃん(兄)やKazuccineちゃんに子どもが生まれたとき、悪影響が出るのよ。
これ以上、うちの家系から変な病気を出さないでね」
なんてことを言っていた。

数年後に、祖母も老人性のアトピーになったので、決して母の家系から持ち込まれたものではない
ということが判明したのだけど、この頃は祖母の孫たちの中で、アトピーやぜんそく持ちの子どもは、
わたしと兄だけだったので、母も気を病んでいたのだろう。

結局、わたしのアトピーは通院をやめてから酷くなる一方で、バカ高い健康食品代がかさむ一方だった。

「悪くなったっていうけど、それは今までステロイドを使っていたツケが回ってきたんだよ。
もっと早く私のすすめる健康食品を使っていれば、こんなことにはならなかったのに」

「悪くなるのは、健康食品が足らないのよ。もっと買いなさい。お母さんにお願いして」

まだ子どもだったから、叔母の言葉もうそではないと思っていた。
アトピーは痛くてかゆくて、顔は真っ赤になっていたけれど、いつか治ると信じていた。
アトピーのせいでいじめられても、いつか治ればいじめられなくなると思っていた。

さすがにおかしいと思ったのは、中学生になってから。
普通に皮膚科に通ったら、一ヶ月くらいでアトピーとはわからないぐらいきれいな肌になった。
バカみたいに高い健康食品の、何十分の一の治療費で、すぐにアトピーはよくなった。

あとあと聞いてみたら、両親はもともと叔母の健康食品など一切信じていなかったようだ。
ただ、すすめられた健康食品を断ると、
「何言ってるの?Kazuccine自身が治したいと思ってるのよ!普通に病院に通わせてガンになったらどうするの!?
お金が惜しいんだろう!それでも親か!!」
と、罵られるので仕方なく買っていたらしい。

わたし自身がもう要らないと言ったので、両親も断ることが出来たらしい。

「あーあ、これから白内障になるし、いつかガンになるし、生まれてくる子も先天的な病気になるんだわ。
あとから泣きついたって遅いのよ。親子そろってこんなにバカだとは思わなんだ」

そんな捨て台詞を吐いた。

さて、叔母の健康食品をやめて15年近くなるけれど、アトピーは薬のおかげでだいぶよくったし、
白内障にもなっていない。今のところガンにもかかっていない。
叔母の健康食品を買うのを拒みつづけた両親も、ガンにはかかっていないし、仮にかかっても
健康食品を食べなかったからとは思えないのだが。
両親が健康食品を買うのを拒むたび、
「ハハハ、見てごらんよ。今にガンになるんだから。あーあ知らないっと!」
と、叔母は言っていた。

いつも叔母の傍らで健康食品を食べさせられつづけた叔父は、数年前にガンで亡くなった。
そして叔母自身が肝硬変になり、いま肝臓ガンの疑いがあって入院している。

両親もわたしも、姉も兄も、叔母に対して同情的ではない。
アトピーのわたしをダシにして両親にあれこれ買わせ、それが出来なくなると軽度の認知症が出ていた
祖母にまで、あれこれ買わせていた。
さんざん人を病気になるとあおっていた当の本人が、病気で倒れた。
しかも、原因がお酒の飲みすぎときたもんだ。

そんな叔母でも、やはりよくなって欲しいとは思うから、せめてお医者さんの治療方針に従って、
少しでもよくなって欲しいという気持ちもあるんだよね。

わたしや両親は、高い高い勉強代を支払って、あやしげな健康食品など何の役にも立たないことがわかった。
しかし、世の中には今でも、そういったものにすがって、根治の希望を捨てきれない人もいるだろう。

中には本当にいい健康食品もあるからもしれない。
でも、アトピーを本当によくしたいと思ったら、まずは皮膚科で治療を受けるべきだ。
そして、これはすごく残念なことなのだけど、根治はあまり望まない方がいい。
ステロイドやプロトピックで症状をおさえ、少しずつ改善するのが瀬一杯だと思う。

ステロイドやプロトピック、あるいは副腎皮質ホルモンなど、危険だといわれている薬はたくさんある。
多くはデマで、どれもこれも、使用法さえまもればとても安全な薬なんだけどね。

ある程度症状がよくなれば、薬も減っていくし、通院回数も減る。
季節の変わり目などに症状が出れば、また病院に行けばいい。

くれぐれも「アトピーが治った!」にだまされてはいけない。
あやしげな民間療法ほど、おそろしいものはない。

知らないもの

雑記
07 /05 2010
子どものころ、わたしは「不思議なもの」をときどき見つけていた。
「不思議なもの」が具体的にどのようなものかというと、窓も何もない5階建てのビルの側面に
なぜか洗面台と蛇口がついている光景なんかだ。
誰がどうやって使うのか見当がつかないし、ビルを建てた人がなぜ取り付けたのかもわからない。
水道が出るのかどうかもわからず、蛇口をひねろうにもはしごも何もないからそこまでのぼることもできない。
本当に謎の物体だったとしかいいようがない。
大人に質問してもわからないと言われるか、そんなものあるわけがないと笑われるかのどちらかだった。

他にも、民家の屋根にタイヤやタタミが乗っかっていたり、人が入れないような木の茂みの中に
ベンチが置いてあったり、とにかく何でそこにそんなものがあるのか理解できないようなものがそこらじゅうあった。
大人になるにつれて、そういう「不思議なもの」を見る機会はなくなった。
「不思議なもの」自体がなくなっていったのか、わたしがそういったものに気付かなくなっただけなのかはわからないけれど。

あとあと考えると、別に「不思議なもの」でも何でもなかったというパターンもあって、
例えば空き地や山の中に冷蔵庫や便器が置いてあるのは、ただの「不法投棄」だったってこともある。
子どもだから「不法投棄」なんてことはわからないし、どうして大人が「不法投棄」するかもわからない。
あるはずがない場所にある「不思議なもの」が不思議で不思議で、気になって仕方のない子どもだった。

でも、子どもの頃は身の回りに「不思議なもの」や「不思議なこと」がたくさんあったので、
毎日が冒険の連続で楽しいことも多かったように思う。
知らないことがたくさんあるからこそ、「知る楽しみ」もあったわけだ。
大人になるとたいていのことは既に知ってしまっているし、知らないことがあっても
知ってるふりをしたり、別に知らなくてもいいやとか、知りたくもないと思ったりする。
子どもは知らないことはなんでも「知りたい」と思うのに、大人になると「知らないでいいこともある」
っていうみょうな分別がついてしまう。
それ自体は悪いことではないのだけど、少しさびしい気もする。

「『知的好奇心』は大切にして欲しい。興味のあることに対して熱心に知ろうとするのはいいことだけど、
興味のないことに対しても『もしかしたらあとで興味を持つかもしれない』と思って、知ろうとする姿勢も持つべき」
大学時代に教わった先生が言っていた。
その先生はちょっと苦手ではあったけど、この言葉は心から納得させられたし、今でも覚えている。

「好きなことだけ知ってればじゅうぶんじゃない?」
「興味のないことを調べるのに時間をさくなんて、バカバカしいと思う」
そんなことを言う人もいるし、わたしもそう思うときだってある。
でも、興味のないことを「興味がないから」と言って知ることを放棄してしまうと、
興味を持つ可能性にフタをしてしまうから、何だかもったいないと思うのだ。
だから、わたしは「知ろう」という気持ちを大切にしたいと考えている。
子どもの頃のようにスイスイ知識は吸収できないのだけど、大人のほうが深く多面的に理解できるはずだ。

まだまだわたしの知らないことはたくさんあるから、「もうじゅうぶん」とタカをくくらず、
「知らないこと」に対して「知りたい」「知ろう」という姿勢を持ち続け、「知っていること」に
対しても「本当に知っているのだろうか」と常に疑問符をなげかけることを忘れないようにしたい。

和江さん

30代シスジェンダー(?)ゲイ。

日本の片隅にひっそりと暮らしている。
お仕事は福祉系。


マドンナが大好き。


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