「自分の中の常識」

雑記
03 /24 2010
gaycouplewaiking

自分がゲイだからかどうかはわからないけど、道を歩いている男の子二人連れを見ると
「お、もしかしてゲイカップル?」って思う。
実際はノンケ同士の仲のいい男の子たちってパターンも多いようだ。

わたしはよく職場のKくんと二人で食事をしたり、ドライブに行ったりするけど
わたしたちも見る人が見たらゲイカップルに見えるのだろうか。
ちなみに彼氏とわたしの二人連れは、職場のKくん曰く
「見るからにカップルです!」らしい。笑

ノンケの男の子二人組が「ゲイですか?」って尋ねられたら、
「違います」って答えたらよいと思う。
仮にわたしとKくんの二人組が「きみたちゲイですか?」って尋ねられたらどうだろうか。
「わたしはゲイだけど、この人はノンケです」でいいんだろうけど、何だか言い訳くさく聞こえてしまう。
何というか、カムアウトしているゲイと、クローゼットなゲイのカップルみたいだ。

あと、つき合ってはいないけど仲のよいゲイの二人組だったらどうなんだろう。
「きみたちゲイですか?」という質問には「はい」でよいと思うのだが、
「きみたちはゲイカップルですか?」と質問されたら、「違います」でよいのかなあ。
これも何だか白々しい。
何らかの理由で、つき合っていることを隠しているゲイカップルみたいな印象だ。

別にうそを言っているわけではないのに、妙に白々しいということもあるんだよね。

うそではないのだから、堂々と答えればよいのだけど。
人からどう見られようと、気にしなければいいだけの話なのだけど。

ただ、この「うそではないけどうそ臭くて、白々しい」というのがなぜ厄介なのかというと、
「うそをついているわけではないのに、うそをついていると思われる」からだ。

一見していかにもゲイっぽい人(いわゆるイカホモ)が、一生けんめい
「あ、俺ゲイっぽいらしんですけど、違うんです。彼女もいますから。あ、本当ですよ」
とか言っていると、その人がゲイかノンケかというのはどうでもよくて
「何でこの人はこんなにゲイってことを否定してるんだろう?ゲイの自分が嫌なのかな?」
「ゲイにモテたくてこんな格好してるくせに、こんなにゲイってことを否定して矛盾してるよな」
とか、その人の人格を疑うようなことを思ってしまう。

どうして「うそ臭い」「白々しい」と思うのだろうか。
それは、
「二人組の仲のいい男の子たちはゲイだ」
「短髪、ヒゲ、アウトドアファッションの男の人はゲイだ」
という思い込みがあるからだ。

そういう思い込みは、いってみれば「自分の中での常識」なんだけれど、
思い込んでいる本人からしたら「世間での常識」になってしまう。

そんな「自分の中での常識」からはずれた人を見ると、「うそ臭い」って思ってしまうのだ。

人は真実を信じるのではなく、真実のようなうそを信じることもある。
うそのような真実は、受け入れることが出来ない。

大事なのは「自分の中での常識」につねに疑問符をなげかけること。
「何で」「どうして」「本当にそうなのか」を考えることだ。

ちなみに、腰を抱き合っている男の子二人組を見ると、
どうしてもゲイカップルにしか見えないのだが、これも思い込みなのかなあ・・・・。
決めつけちゃいけないと思いつつ、決めつけてしまうのが、どうも情けないのだが。


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年度末に思うこと

雑記
03 /20 2010
職場では、人事異動や退職などもあり、新人アルバイトの面接などが始まっている。
応募してくる子の年齢を見て驚かされるのだが、この春に高校卒業した子って平成3年生まれなんだよね。
バブル崩壊後に生まれた子どもたちが社会に出たり大学生になったり、時の経つはやさに驚かされるばかりだ。

そういや、自分も今年28才なんだよな‥‥。
一般的に「若者」が何才までを指すのかわからないけど、徐々に「若者」とは呼べない年齢に近づいているのは間違いない。
もう紛れもなく大人なのに‥‥今のままでいいのだろうか‥‥いいわけないよな。
焦りと不安ばかりだ。
ピーターパンではいられない。

でも、少しずつだけれど、自分の内面が成長しているのがわかる。
17の時よりも、二十歳の時よりも、今のわたしが一番好きだ。
きっと30になったときも、40になったときも、
「今の自分が一番好き!」って言えるんじゃないだろうか。
だから、年を重ねることは怖くない。

新しい、もっと素敵な自分に出会えるように、毎日を生きていきたい。

人の大切さがわかる人

雑記
03 /16 2010
家庭教師の教え子が、無事高校に合格してくれた。
本人は、入試が難しくて落ちるかもしれないと思っていたようだけど、
わたしは彼がよく出来る子だとわかっていたから、安心していた。

ちなみに、彼が合格したのはわたしの母校でもある。
ごくごく普通の、中庸な感じの普通科高校なのでのんびりとした学校だ。
タレントのイモトアヤコの出身校でもあり、彼女が着ているセーラー服は
母校の制服と同じものを、そのまま着ている。

いちおう、地元ではかわいい制服で通っていたのだけど、
イモトの登場で、何かイメージ変わっちゃったんだよね。笑
彼女はさかんに「わたしは高校のとき、ミスに選ばれたんです!」と喧伝しているが、
当時のことを知る人によると、その年のミスはふたりいたらしい。
イモトはミスはミスでも、お笑い特別賞のような扱いだったようだ。

まあ、それはともかくあんな明るい子を輩出するような高校なので、
学校自体の雰囲気も明るいし、いい高校生活をおくれるのではないかと思う。

もちろん勉強もがんばって欲しいけど、いい友だちに恵まれるのが何より大事だ。
それがないと学校生活はおもしろくないし、心の豊かさも育たないだろう。

わたしは高校に入るときも、大学に入るときも、一番の気がかりは
「友だちが出来るだろうか・・・・」だった。
中学のときはいじめに遭ったり、嫌なこともたくさんあったから、
一人になるのが怖くて、不安で仕方なかった。
幸い、高校でも大学でも親しい友だちは出来たし、楽しい学校生活をおくることが出来た。

こんな話を、以前元彼にしたことがある。
元彼は、わたしの不安を非常に不思議がっていた。

「どうして?友だちなんてどこ行ったって出来るもんでしょ?」

そうなの!?そういもん??
それが普通の感覚なのか!?

元彼は「友だちがいない」「いじめられる」といった経験が全くなかったらしい。
中学から大学までエスカレーター式だったから、あまり環境の変化がなかったのもあるだろうけど。

これが普通の感覚なのかなあ?
わたしがもしかしておかしいのだろうか?
当時はそんなことも考えていた。

ただ、よくよく聞いてみると彼のいう「友だち」って中学と高校の友だちだけだったんだよね。
大学時代の友だちはいないの?って聞いてみると、
「(大学から)外から入って来た子たちとはどうも合わんかった」らしい。
彼は当時働いていたけれど、職場の人ともあまり仲良くなかったという。

ちなみに元彼は、今の彼氏(NAO)にとっても元彼なので、わたしと別れてからの
数年間の状況についても色々聞いている。
やはり、あまり友だちはいなかったらしい。

「今でもしつこく復縁せまってくるんだよ。誰も相手してくれないみたいで、淋しいんだって」
「一緒にいたときも、僕以外の人と外出したことはないよ。僕が友だちのところへ行くのをすごく嫌がってたし」

NAOからこんな報告を聞いて、驚きよりも「やっぱりな・・・・」という感覚が強かった。
あの性格じゃ、相手にする人もいないだろう。
常に自分のことしか考えていない人だし、腹を割って話すこともないしね。

わたしとNAOの共通点の一つが、かつて友だちがいなかったことや、いじめに遭っていたことがある。
だからこそ、わたしもNAOも、友だちのことをすごく大切にしているし、
お互いの友だちのことを、大切にして欲しいと願っている。

元彼は、あまり友だちを大切にしてるようすはなかった。
思うに、中学や高校の頃から、浅いつき合いしかしていなかったのだろう。
今では、帰省しても昔の友だちと会うこともないようだし。

今にして思うと、「友だちなんて、簡単に出来るでしょ?」という一言は、
友だちを大切にしていない彼の心がよくあらわれた一言だったのだ。

NAOは、元彼にとって彼氏でもあったし、唯一の友だちでもあったんだと思う。
そしてわたしも、元彼にとって数少ない友だちの一人だった。
元彼は、一気に友だち二人と、彼氏を失ってしまった。

それに対して、罪悪感を感じたことが、一度もなかったかというと嘘になるけど、
わたしにしてもNAOにしても、元彼と縁を切ることが出来てほっとしてるんだよね。
彼がわたしにしたことや、NAOに対してしたことを考えたら、離れていくのも仕方ないし。
わたしはむしろ、もっと早くNAOを助けてあげるべきだったと思っているぐらい。
元彼は、NAOに対してわたし以上に激しい言葉の暴力や、精神的な暴力をふるっていた。

人を大切にしない人からは、人はどんどん離れていく。
彼がそのことを学ぶのはいつになるのだろうか。
結局相手のせいにして、自分の悪い面には目を向けない。
成長は望めないだろうな。

可哀想だとは思うけど、全部本人が悪いんだしどうしようもない。
下手に人に接すると、また嫌な思いをする人が増えるだけだから、
いっそのこと引きこもって一人で生きていって欲しいと思う。

仮にも元彼に対して、こんな気持ちになるのが虚しいけどさ。


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童貞ははずかしいことではない!

雑記
03 /15 2010
最近「やらはた」という言葉を知った。
「やらはた」とは「やらずの二十歳」の略で、つまりは
セックス経験しないまま20歳になってしまった男の子のことだ。
20歳以上の童貞を、バカにした呼び方で使われていたようだ。

「やらはた」は1980年代に、主に若い男の子が読む雑誌の中で使われていたらしい。
「週刊プレイボーイ」みたいなエッチ路線のものから、「Men's Non-No」「POPEY」のような
おしゃれ系雑誌にいたるまで、色んな雑誌に出てきていたという。

何の目的があったのかはわからないのだけど、とにかく10代後半の男の子たちに
「童貞ははずかしいこと」という概念をうめこむのに、若者向けの雑誌は一生けんめいだったようだ。
「やらはた」という言葉は今では聞かれなくなったけれど、
「二十歳をむかえる前に、童貞はすてておくべき」という考え方はまだ健在だと思う。
というより、今ではさらに加速しているんじゃないかな?

わたしが10代後半だった90年代末期~00年代初頭も、若い男の子むけの雑誌では
ときどき「初セックス特集」がくまれることがあった。
最近、この手の雑誌はあまり読まないのだけど、ときどき立ち読みしてみると
同じような特集がくまれている。
「やらはた」という言葉は使われていないけど、「早くセックスを済ませよう」と
あおりたてているのは、昔も今も変わっていない。

その結果かどうかはわからないのだけど、わたし個人の周りでも
「セックスは成人するまでに済ませておかないといけない」と考えている人は多い。
というよりは、二十歳以上の童貞に対して、多くの人がネガティブな見方をしている。

実は、わたし自身もそんな風潮にあおられた一人だ。
テレビでV6の森田剛くんが、「18で童貞はおかしいですよ」と発言していたのを聞いて、
何とかして18までに童貞をすてなければいけないと思っていた。
ただ、高校生のころは他にゲイの人と知り合う手段を知らなかったので、
18までにというのはあきらめなければならなかった。

高校卒業後「何とか18歳のうちに」と思って、初めて知り合ったゲイの男とすぐにセックスした。
出会ってわずか1時間かそこらで、よく知らない相手だったというのに。
わたし自身の性欲もあったと思うのだけど、とにかく「セックスしなきゃ!」という焦りも
大きかったのではないか・・・・と思う。
快感や、セックスにたいする喜びはあまり記憶にない。
九九をマスターしたときや、あるいは逆上がりが出来たときのような、
妙な達成感があったことだけは記憶している。

別に、「初体験は、本当に好きな人とじゃないといけない」とか
「童貞は本当に好きな相手に捧げるべきだ」なんていう考えはこれっぽっちもない。
だけど、よく知らない相手と好奇心だけでセックスしたことに関しては、
やはり後悔しているんだよね。
どうせだったら、もっとロマンチックに結ばれたかった。
どうせだったら、本当に好きな人としたかった。

今、27歳という年齢になってみると
「別に18歳にこだわる必要なかったじゃん、19でも20でも、いい人にめぐり会えたときに経験すればよかった」
なんてことも思う。

とはいえ、もしそのままセックスを経験することが出来ず、27歳になっても童貞だったらどうだろうか?
おそらく、「どうしよう・・・・30まで童貞だったら、明らかにおかしいよね・・・・」とか
ものすごく悩んでいたにちがいない。
27歳で童貞ということに、すさまじい劣等感を感じて、自信をうしなっていたと思う。
18のとき以上に「誰でもいいから」っていう気持ちは強かっただろう。
もしかしたら、さらにひどい初体験をしていたかもしれない。

そう考えると、18歳で初体験をしていてよかったなあと思う気持ちもある。
どうでもいいことに何年間も悩まされるよりは、ひとまず経験して安心出来てよかった。

でも、あの「焦り」はどこからくるものだったのだろうか?
「童貞だから」焦っていたのではない。
「童貞はおかしい」と、人からバカにされたくない一心で、焦っていたのだ。
そう考えると、焦って童貞をすてたことはやはりバカバカしいと思うし、
わたしに焦らせた周囲や世間に対して、うらみがましい口を聞きたくもなる。

ただ、わたし自身が誰かにとって「焦らせてしまう周囲」にもなっている。

このブログに何度も登場している職場のTくん
shokubanoteiikun
に対して、職場のKくんといっしょになってからかったことが、数回ある。
Tくんは、からかわれたり、何か言われてもすぐに笑って流せるタイプだ。
わたしやKくんがからかったときも、あまりいやな顔はしなかった。
しかし、本心はどうだったのだろうか。
恥ずかしかったり、悔しかったり、あるいは焦りの気持ちもあっただろう。

Tくん自身が、その後童貞を卒業したかどうかはわからない。
最近は、わたしもKくんも、彼を童貞ネタでからかったりしない。
わたしの場合、まるでてのひらを反したかのように、自分の初体験の話を語って
「初体験は、好きな人とした方がいいのよ!」と諭している。

我ながら調子がいいとは思うのだけど、焦りからTくんが愚かな行動に走ってしまったら、申しわけないのだ。

Tくんは相変わらず仕事もうまくいかないし、彼女も出来ないようだけれど、
明るく前向きで優しいのは相変わらずだ。
セックスしてるかどうかなんて、人間性には何の関りもない。
だからこそ、Tくんにはいい恋愛といいセックスして欲しいな~と思う。
からかっていたくせに、えらそうなことを言うなと言われそうだけど。

メディアもね、セックスは早いうちに!っていうキャンペーンはいい加減やめて欲しいのだ。
「童貞ははずかしいことじゃない!」ぐらい言ってもいいと思うんだよね。


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トモちゃんとマドンナ

雑記
03 /13 2010
ずいぶん大昔の話だけど、歌手のトモちゃんこと華原朋美が、テレビ番組の企画で
全米デビューをはたすために、アメリカに渡ったことがある。
テレビ番組の中では、トモちゃんがアルバイト生活をしながら、オーディションに参加して
アメリカのレコード会社からデビューするまでが記録されていた。

これが何年にもわたった企画だったとしたら、トモちゃんがんばってデビューしたんだなって
思うんだけれど、わずか半年かそこらで現地のプロデューサーに見初められてデビューしてしまうので、
あまりにもうさんくささとうそくささが拭いきれない内容だった。
その番組自体が、「やらせ」問題で話題になっていた番組だったので、
これも間違いなく「やらせ」に違いないと、視聴者は思ったと思う。

トモちゃんが、「やらせ」でアメリカでCDを出させてもらったのか、本当に実力で
チャンスをもぎとったのかどうかは、どうでもいい。
当時のわたしにとって重要だったのが、トモちゃんがオーディションのために
歌っていた曲が、マドンナの「Like A Virgin」だったことだ。

トモちゃん、なぜに「Like A Virgin」なの!?

もちろん、トモちゃんがマドンナの曲をオーディション用に選んでくれたことは
うれしかったのだけど、この曲は残念ながら選曲ミスとしかいいようがない。
いい方悪いんだけど、
「トモちゃんこの曲しか知らんのだなあ・・・・と思ってしまった」

まず、マドンナの甘くて可愛らしい声と、トモちゃんの透きとおるような高音では
あまりに声質が違いすぎる。
マドンナの声質に合った曲だから、トモちゃんの声質に合わないのも当然のことだ。
デビュー当時のマドンナみたいなブリブリの歌い方も、トモちゃんの伸び伸びとした
歌い方とは正反対だから、曲の個性もトモちゃんの個性もちっとも生かされていなかった。
何より、トモちゃんの最大の長所である、高音が生かせていないのがもったいない。

なおかつ、選曲そのものにセンスの悪さを感じてしまう。
今の時代だったら、80年代も再評価されているけれど、当時(2000年ごろ)は
80年代の音楽はまだ「暗黒の時代」と言われていて、ダサいものの象徴だった。
あまりセンスのいいものではなかった。
そしてマドンナの「Like A Virgin」は、「ダサい80年代」の象徴でもあった。

この曲を選んでしまったことで、トモちゃんの音楽に対するセンスのなさも、
あるいは時代や流行を読みとくセンスのなさも露呈されてしまったと思う。
テレビ局のプロデューサーも、これでオーディション通るのは無理があると
判断したのか、結局トモちゃんはナイトクラブで歌っているところを
プロデューサーに見初められてデビューした・・・・という展開になった。

実はその曲はアメリカではリリースされていないので、これをもって
「全米デビュー」といえるかどうかはわからない。
アメリカ人プロデューサーに曲を作ってもらったのは確かだと思うけど、
いつまでやってても埒があかないので、無理やり「ハイ、デビューしましたよ」って
番組が無理やり最終回を作ったようにしか見えなかった。

とはいえ、この企画以降トモちゃんはそれ以前のあぶなっかしい様子がなくなり、
一時的とはいっても、ものすごく元気になった(ように、見えた)。
だから、この企画はトモちゃん自身にとってはいいものだったと思う。

残念ながら数年前に所属事務所も解雇され、昨年は病院に担ぎこまれる騒ぎもあった。
芸能界復帰はすごく難しいと思うけれど、心が落ち着くまで休んで、自分の人生を生きて欲しい。

しかし、「全米デビュー曲」もそうだけれど、小室プロデュースを離れてからの
トモちゃんの曲はどれもこれも、精彩を欠いているというか、トモちゃんっぽくないんだよね。
わたしは小室哲哉の曲は嫌いなのが多いのだけど、トモちゃんに関していえば
あれだけ彼女の声質を生かした曲を書ける人は、小室哲哉以外にいないと思う。

だからといって、二人がコンビを組むことはありえないだろうし、
それがいいことだとは思えない。
残念だけど、また音楽活動に復帰してもかつてのような名曲には恵まれないだろう。
それでもなお、かつてのファンの一人としては、細々とでもいいからまた音楽を
やって欲しいなあ・・・・と願う。
彼女にとって、音楽はやはり癒しだと思うからだ。


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二大政党制の限界

雑記
03 /10 2010
ここ最近民主党の支持率が急降下してきているらしい。
小沢氏の「政治とカネ」問題や、マニフェストが何一つ実行されていない件、
首相をはじめとした閣僚たちのブレまくった発言、昨年の衆院選における
数々の選挙違反など、国民が不信感をいだく理由は数えあげたらきりがない。

ただ、個人的には国民があまりに「政権交代」に過剰な期待を抱き、
そのわりに世の中が変わらないから失望したってのが、一番の理由だと思う。
経済は相変わらずガタガタ。生活はいっこうに楽にならず、仕事もない。
民主党政権になっても、何一つ変わっていない。
一体、何のために政権交代したんだ?こんなんだったら民主党なんかに入れんかったわ!
そう思っている人が多いんじゃないだろうか。

わたしの場合、特に期待もしてなかったからなあ。
ここまでひどいとは思わなかったけれど、それでも自民党政権が続くより
ずっとマシだったと、今でも思っている。
「ここまで酷かったか」と思うのは、むしろ自民党。
なぜ政権からひきずりおろされたのか、まったくわかっていない。
選挙民がバカだと言って、自らは変わる努力をしないつもりらしい。

「自民党にお灸をすえよう」
民主党に積極的な期待を抱くより、自民党が自己改革してくれることを
願って政権交代を望み、民主党に投票した選挙民も少なからずいるはずだ。
自民党は、そんな人たちの期待を裏切った。
民主党の支持率が急落しても、自民党の支持率がたいして回復していない。
あたりまえのことだと思う。

実は、わたしは自民党に立ち直ってもらうことも、そんなに期待してはいなかった。
選挙戦後半の、あまりに幼稚なネガティブキャンペーンを見て、
「この人たちは変わる意志なんてないな」ということが、はっきりわかったからだ。
一刻もはやく、自民党はぶっ潰れてくれたらいい。
あとはみんなの党でも、共産党でも、民主党に対する有力な対抗馬になってくれればいいのだ。

「二大政党制によって、政権交代が容易な方が国民の幸福につながる」
こんなことがうそっぱちなのは、今回の政権交代が証明してくれたと思う。
政権担当能力のない与党に、政権とれない野党。
どっちを選べばいいというのか。
二つしか選択肢がないなんて、国民にとっては不幸だ。

二大政党制が理想的な民主主義なんて、とんでもない思い込みではないか。
民主主義じゃない、ただのアメリカイギリス主義だ。
フランスもドイツもイタリアも、複数政党制で、弱小政党も存在している。
たくさんの選択肢から、自分に合った政党を選べる方がよっぽどいいと思うけどな。
少数意見を大切にしてこその民主主義なのだから。

白か黒か、100か0か、右か左か。
どちらか二つを選ぶなんて難しい。

経済は新自由主義だけれど、憲法9条は護りたいという人もいる。
左翼的な思想の持ち主だからといって、死刑に反対しなければならないのか?
一人一人考え方が違う中で、「右翼」「左翼」という縛りを窮屈に感じている人も多いはずだ。
昔はもっと、様々な考え方を受け入れる余裕があったと思うのだ。
「民主党か、さもなくば自民党」。
答えようのない二者択一に、いい加減みんな疲れているのではないか。

2008年以降、世界的な経済危機の中で「アメリカ型資本主義」が見直されている。
「アメリカ型民主主義」も見直されるべきではないのか。
選挙制度改革もふくめて、日本に合った民主主義を再構築するべきだと思う。


ゲイ専用ブログコミュニティ「ゲイログ」

和江さん

30代シスジェンダー(?)ゲイ。

日本の片隅にひっそりと暮らしている。
お仕事は福祉系。


マドンナが大好き。


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