チリで地震発生

雑記
02 /28 2010
先月ハイチで大地震が起こり、昨日にはチリで大規模な地震が起きた。

1960年のチリ地震では、日本にも大規模な津波被害がまきおこり多くの方が亡くなった。

今も太平洋岸地域は、津波の危険性にさらされて大変な思いをされている方がたくさんいらっしゃる。
今のところ人的な被害はないようだけれど、被災地のみなさんが早く安心して
もとの生活に戻れることをいのるばかりだ。

地震はおそろしい災害だが、こんなときこそ多くの人が力を合わせ
早く被災者を救出し、復興への道筋をつけてほしいと思う。

わたしには今、何も出来ないけれど、とにかく祈りたい。
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子どもたちと性

雑記
02 /26 2010
大手SNSのGREEでアダルトコミュが廃止になるそうだ。
それにともなってゲイや同性愛のコミュもなくなるという。
未成年も多く加入するGREEには、アダルトコミュそのものが不適切という理由らしい。

そもそも同性愛コミュがアダルトカテゴリーに入っていたことが驚きなのだが、
このような形で同性愛コミュがなくなるのは、何とも残念だ。
確かにちょっとエッチなトピを立てていた人もいたけど、わたしに言わせりゃ
中高生の昼休みの会話レベルの卑猥さだよ。
性器の大きさや、性体験の有無など、未成年が大好きな話題のひとつでしょ。
ノンケの場合、学校の昼休みや放課後、修学旅行の夜など、そうした話題で友達と
盛り上がるチャンスがたくさんある。

ゲイやレズビアンの場合、ノンケ友達との猥談に入っていけなくて疎外感を感じたり、
無理にノンケのふりをしてつらい思いをすることもある。
携帯サイトで同年代のゲイやレズビアンと交流出来ることは、彼ら彼女らにとって一時の安らぎだったかもしれない。

エロ情報を何でもかんでも垂れ流せばよいと思ってるわけじゃないけど、
かといって性に目覚める年齢の子たちを、性から遠ざけるのが果たしていいことなのか。

まあ、今回のことに限らず、GREEの妙な規制の厳しさは以前から不満を抱いている人が多かった。
ちょっとエッチな話題を日記に書いただけで強制退会になった人、たくさんいるからね。
わたしの場合、おそらくこのブログやmixiの日記をそのままGREEにアップしてたら、
確実に退会させられてたと思う。

しかし、mixiもGREEも登録制に以降することで、メリットよりもデメリットの方が大きいのではないか。
「大人むけ」「知り合いを介してつながる」ことで保たれていた秩序が、
登録制になりすべての年代向けになることで、崩れてしまう。
結果的に、秩序を守って楽しんでいる大人たちの楽しみまで奪ってしまうことになる。
子ども向けのSNSは別に作ればいい。
性に関することも、子ども向けの秩序の中で大いに語ればよい。

しかし、今の子どもたちって、わたしが子どもの頃には、みんな必死にならなきゃ
手に入らなかった「大人の情報」をたやすく手に入れることが出来るんだよな。
先輩から巡り巡って回ってきた中古のエロビデオを、みんなで見なくても
自室のPCで無修正のエロ動画を見ることが出来る。
「ギルガメッシュないと」をおかずにしてた90年代の中学生はかわいいものだ。
「失楽園」なんて今の中学生には生ぬるいものだろう。

こんな現状を少しうらやましく思う反面、簡単に性の情報が大量に手にはいると、
セックスに対する憧れや夢は芽生えないだろうな‥‥と思う。
わたしたちが中学のとき思い描いていた、
「セックスってすごいらしいぞ」という興奮は味わえないわけだ。
個人的には、憧れが強すぎて実際に経験したらガッカリしたけどね。
本当に楽しくなるには、ある程度時間がかかったし。

でも、あのまだ見ぬものに対して激しく夢想していたのが、今では懐かしく思える。
童貞中学生にとってセックスは最強最高のファンタジーだった。
案外、最近よくいわれている「草食男子」が増えてる理由はここにあったりして。
あまりに情報ばかり手軽に入りすぎると、「リアル」に対する憧れは消えてしまう。

こんな感傷的な理由はさておき、精神的にも肉体的にも未熟な子どもたちが、
性暴力や性犯罪を扱った娯楽を目にするのは、わたしはいいことだとは思わない。
映像やゲームが、犯罪を誘発する可能性に関して、わたしは否定するつもりはない。

子どもたちを性から遠ざけず、でも有害な情報から守ることも大切だと思う。
非常に難しいことで、考えても答えは出ないのだが、
考える姿勢は大切にしたい。

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情事まいける

雑記
02 /24 2010
小学生の頃、毎日やる宿題として「漢字かきとりノート」というのがあった。
その日習った漢字の、筆順や音読み訓読みを調べて、漢字を書いて練習する。
漢字辞典で、その漢字を使った言葉を調べ、その言葉で一つ文を作るというトレーニングだった。

小学校5年生のときだったと思う。
「情」という字を習った。
筆順と、漢字のかきとりはいつもどおりだったけど、
言葉を調べるのにいつも使っている「こども漢字辞典」がなかった。
仕方がないので、父親が持っていた漢和辞典で調べることにした。

「感情」「愛情」「情緒」。
ま、ここらへんまでは普通。
よっつめに調べた言葉は、「情事」だった。
意味を見たら「夫婦でない男女の交わり」と書いてある。
そういえば、そんなタイトルの映画があったよな~と思い出し、この言葉を書いてみようと思った。

調べた言葉を使って文章を作るところには。

「感情をこめて話す」。
「子どもに対する愛情」。
「昼下がりの情事」。
の、みっつを書いた。

翌日、先生に職員室に呼ばれたのはいうまでもない。

「夫婦でない男女の交わり」の「交わり」が性的な交わりなんてわからなかったんだよ。
ただの「交流」や「交際」みたいなものだと思っていた。

「情事」は未婚男女のデートのことだと、勝手に思い込んでいたのだ。
彼氏彼女というレベルでなく、ボーイフレンドやガールフレンドみたいな軽いつき合いも含めて「情事」かと思ってたのよ。
「情事」がセックスのことだなんて、知ったのは数年後。

ちなみに、オードリー・ヘップバーン主演の「昼下がりの情事」の原題は、
「Love in the afternoon」だ。
この映画は奥さんに浮気された男の人が、浮気相手に復讐しようとする物語なので、
「Love」は浮気のことをあらわしているんだと思う。
だから、「恋愛」というよりは多分「Make love(セックスする)」の「Love」であり、「昼下がりの情事」はなかなかうまい邦題なのかもしれない。
しかし、昭和30年代に「情事」なんてタイトルがついた映画公開して何も反発がなかったのかな。
「昼下がりの逢いびき」「昼下がりのランデブー」とかの方が、当時の人には抵抗なく受け入れられたんじゃないかと思う。

ま、それはともかく、「情事」にそんな意味合いがあるとは知らず、平気で使っていた10歳のわたしであった。
似たような失敗は他にもある。
セックスをさす言い回しってたくさんあるよね。

「寝る」
用例:「あんた、○×くんと寝たんだって!?」

「結ばれる」
用例:「で、どうなのよ?あんたら結ばれたわけ?」

「関係する」
用例:「あなたうちの主人と関係したんですってね」

「出来ている」
用例:「あいつらもう、出来てるんだってさ」

「抱く」
用例:「今夜は抱いて欲しいな」

どの言葉もそうなんだけど、「セックスする」以外の意味でよく使うから面倒なのだ。
「関係する」などは、友達関係があるとか、近所づきあいの関係も含めたことかと勘違いしていた。

「A先生(♂)とB先生(♀)の家って近所なんですね?関係してるんですか?」
なんて、よくもまあ言ったもんだよ!

最近では、上に挙げたような遠まわしな言い方することは、あまりないよね。
はっきりと、「セックスする」と言う方が多いのではないかな。
「エッチする」「やる」と言う人も多いけど、これは遠回しでも何でもないな。

子どもが勘違いする回数は少ないと思うけど、「やる」よりは「抱く」「結ばれる」の方が、まだ言葉としてはきれいだよね。

ここはひとつ、「情事」をまた流行らせてみたらいかがだろう?
ananの毎年恒例のセックス特集で「最高の情事」なんて書いてあったら、非常に美しいと思うのだが。

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クルマ離れできない若者

雑記
02 /23 2010
近年は若者のクルマ離れが進んでいるらしい。
かつて若者が夢中になるものといえば、クルマとセックスとファッションだった(らしい)けど、
最近はクルマに興味のない若者が増えてきて、自動車業界も困っているようだ。

人口15万人の地方都市に住んでいると、こんな話はどこか遠い世界のことのように聞こえる。
「普通車離れ」はたしかにあるかもしれないけど、ほとんどの若者は軽自動車を所有している。
なぜなら、そうしないと生活できないからだ。
ファッションや携帯電話やテレビゲームを買うお金をけちっても、クルマにかけざるをえない。

「え?JRは?地下鉄は?」とか思うのは、都会人のイマジネーション。
そもそも線路が通ってない。JRの駅まで、自転車で1時間もかかるような土地もある。
あとはせいぜい、1時間に1本しか来ないバスがある程度だ。
それも8時には終バスなんですけど。笑

さて、こんな環境でどうやってクルマから離れて生活したらいいというのか?
パワーウィンドウもなく、平成一桁年代式の軽自動車に乗って、みんな何とか生活してるんだよ。

数年前にガソリン代が天井知らずに高騰していたとき、
「ガソリン代高くなって、悪いことばかりですか?クルマに乗る人が減って、環境にもいいじゃないですか」
そんなことを言う若いタレントもいた。
mixiのクルマや免許を持っていないコミュニティの中では、
「免許やクルマに興味ない俺たちは勝ち組だ!」と書き込んでいる人もいた。

わたしはそいつら全員、地獄に落ちやがれと思ったけどね。

でも、都会に住んでいて、生活に何不自由ないところに住んでいる人たちが
クルマを乗り回しているのは贅沢だなあ・・・・と思う。
そういう人たちは、あくまで趣味としてクルマを持っているのだから、
あまり乗り回さない方が環境にもいいだろう。

ただ、わたし自身も考えてみれば「クルマ離れしている若者」だったと思う。
大学時代は車に興味がなくて、BMWが日本のメーカーかと思っているほどだった。
自転車や市電でじゅうぶんに生活は出来たし、教習所に通うのも面倒で行かなかった。

大学を卒業するころになって、ようやく免許を取り、運転するようになったのは23歳のとき。
地方に住んでいる人としては、クルマデビューは遅いほうだ。

クルマ好きな人同士で盛り上がっていると、話についていけなかった。
「もういい加減、こういう話やめてくれないかな?」なんて、よく思っていたものだ。
「免許もってないんですか!?」と言われると、
「もってなきゃいけないの!!?」と猛反発していたっけ。

運転するようになれば、だんだんクルマに興味が出てくるのも当然のことで、
モーター誌を読むこともあるし、人とクルマの話で盛り上がることがある。
スピードが出る楽しさを知れば、スポーツカーに興味が出てくる。
自分でいうのも変だけど「人間変わるもんだな」・・・・と、しみじみ思う。

「クルマ離れ」している若者たちも、きっかけさえあればクルマに興味を持つに違いない。
メーカーも、クルマ離れをなげくより、若者のニーズに合った車を出せばいいのだ。
ただ、わたしは車が必要ではない都会の若者が、ファッション感覚でクルマに乗るのをいいとは思わないけど。

ところで、これは以前も書いたのだけどゲイはノンケに比べて、
クルマに興味がなかったり、免許を持っていない人が多いような気がする。
やはり都会に住んでいる人が多いからだろうな。
彼氏もその一人で、まさしく「都会に住んでいるゲイ」そのものだったから、
以前はクルマにまったく興味がなかったらしい。
でも、最近はわたしのために免許取得も考えてくれてるみたい。

ありがたいと思う反面、今ですらわたしの運転マナーに厳しい彼氏が、
免許をとったらどんなことになるか想像するとおそろしいものがある。

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言葉遣いを見直そう

雑記
02 /22 2010
本人には悪意がないのだろうけど、聞いているだけでイライラする話し方がある。
わたしの場合、いわゆる「コンビニ敬語」「バイト敬語」がどうもダメだ。

「お会計1200円になります」
「商品の方をお持ちしますので」
「1000円からでよろしかったでしょうか?」

も~~う、聞いてるだけで腹が立ってくるし、耳をふさぎたくなる!
10年ぐらい前から、すでに「日本語の乱れ」と指摘され、多くのお店では
直すようにしてきたのに、いまだに何の疑いもなく使っている人が多い。

お会計が1200円に「なる」ってどういうことよ?
何?1000円のものが値上げして1200円になるの?
いちいちツッコミを入れてしまうのだけど、本当に耳障りだ。

商品の「方」って何なのよ?
商品ではない方と、商品の方のふたつがあるのか?
それとも商品の方角なのか?
意味もなく、「方」って使うなっての。

1000円「から」って、意味不明だわ。
「よろしかったでしょうか」って、なぜに過去形?

正しくは
「1200円頂戴いたします」
「商品をお持ちしますので」
「1000円でよろしいですか」

こういうのにこだわるのは、オジサンオバサンだけと思われがちだけど、
20代の若者であるわたしも、すっごく気になってしまう。
デパートやキャビンアテンダントみたいな接客用語を使う必要はないけど、
せめて間違った日本語は使わないで欲しい。

そう言いつつ、わたしも以前は上にあげたようなコンビニ敬語を使いまくりだった。
接客業にかかわるまで、これが間違った言葉づかいだと知らなかった。
今思うと、ずいぶんと変な言葉をしゃべっていたんだなあ・・・・と思う。

わたしにしてもそうだけれど、上にあげたようなコンビニ敬語を指摘されると
たいていの人は「え?これ変なんですか?」という反応をしてしまう。
それどころか、不快感を感じる人もいる。
「何で?ふつうでしょ?」と思うんだよね。実はわたし自身もそうだった。

言葉というのは変化していくもので、誤用だった言葉が定着してしまう例もある。

「とんでもございません」はもともと間違った言葉だった。
「とんでもない」はそもそも形容詞だから「きたない」「うるさい」などと同じ。

正しくは「とんでものうございます」「とんでもないことでございます」だったのだけど、
長い間「とんでもございません」が使われつづけ、定着してしまったので、今では
「とんでもございません」も今では誤用ではない。

「~円になります」「~の方に」「~よろしかったでしょうか」
こういうのも定着して、新しい日本語になるのかな?
それはどうも嫌だなあ。

こんないまいち意味のわからない日本語が定着してしまったら、
日本語を学んでいる外国人は混乱してしまうし、子どもたちも混乱してしまう。
言葉は文化であり、後の時代に伝えていくものだからこそ、使っている人は大事に守らなければいけない。
「何となく」とか「雰囲気」だけで使ってはいけないと思うのだ。

そうはいっても、言葉って生き物だから変化していくのが当たり前という意見もある。
だからこそ言葉は難しいと思う。

ちなみに、わたしは妙な口癖が多いので気を使う。
しゃべり出すとかならず「なんかー」と言ってしまうし、
異常なほどに倒置表現を多用してしまったり、それこそコンビニ敬語以上に耳ざわりで
思わず耳をふさぎたくなってしまった。

人のことをあれこれ言う前に、まずは自分の言葉遣いから直していかないとね。

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それでも、生きる

雑記
02 /18 2010
最近発見したウェブサイトで、「生まれてから何日たったのか」を調べるHPがある。
http://www.110kz.com/001/count2.htm

わたしは今年の3月に、10000日をむかえるようだ。
20000日をむかえるのは、54歳のときなので一生のうちに数回しかない記念日だといえる。

10000日かあ~。そう考えると、わたしはそれなりに長い月日を一生懸命生きてきたんだな。
両親はここまで育ててくれたし、日本が平和な国で、ノストラダムスの予言も的中せず、事故にも遭わず、
死に至るような病気にかかることもなく、色々な条件がかさなって今、わたしが生きている。
そう考えると、非常に奇跡的な確率でわたしは生かされているのではないか・・・・なんてことも考えてしまう。

小学校の同級生が、自ら命を絶ったと知ったのは昨年の夏だった。
同い年の多くの子が、10000日の記念日をむかえる中、彼はむかえることが出来なかった。
そう考えると、少し胸が痛くなる。

同級生の自殺について考えると、どうしても2005年に、やはり自ら命を絶った従兄のことを思い出してしまう。
ちょうど5年前の2月14日。
毎年この季節がくると、悲しい記憶が呼び覚まされ、痛みと苦しみの入り混じった感情がこみ上げてくる。

なぜ、周りのものは彼をたすけることが出来なかったのか。
遺されたものたちはみな、その問いを背負いつづけながら生き続けなければいけない。
一生の課題を、彼はわたしたちに遺して逝ってしまった。

生きることの辛さ、苦しさはわたしもそれなりに経験した。
生きたくない、もうやめてしまいたい、リセットしてしまいたい。
そんな思いにかられたこともあるけど、従兄の死がわたしを止めさせてくれたんだと思う。

言葉ではうまく説明できないけれど、「生きること」の大きさを教えてくれた従兄には
やはり感謝しないといけないのかな。
本当は、「勝手に死にやがってバカヤロー!!」って言いたい気持ちもあるけれど。

何があっても、わたしは生き続けなきゃいけない。
生きることは、本当に、本当に尊いことだ。
10000日の記念日を前に、そんなことを考える。

今日は、大学時代からの親しい友人の誕生日。
従兄の悲しい死の直後、わたしをささえてくれた友人だ。
彼女の「生」を心から祝いたい。
まだ、メールもしていないけどね。笑

ピッチよさらば

雑記
02 /17 2010
PHS事業者の「ウィルコム」が会社更生法を申請するようだ。
http://news.goo.ne.jp/article/kyodo/business/CO2010021701000426.html

「JAL」にしてもそうなんだけど、これはいわゆる「倒産」なのかな?
いい年をしてこんなことも知らないというのは、問題かもしれないけど
経済ニュースに関してはいまいちよくわからない。

まあ、事業自体は継続して行われるというから利用者は、
まだ安心して使いつづけることができるわけだ。
それにしても「PHS最大手」と書かれているけど、ウィルコム以外に
PHSやってるとこあったっけ?と思って調べてみたら、
関西地方でのみ、「ケイ・オプティコム」という事業者がやっているらしい。
音声通話サービスはなく、データ通信サービスのみやっているそうだ。

わたしは以前、ウィルコムが「DDIポケット」と言われていた時代に、
データ通信カードを使ってインターネットに接続していた。
当時のDDIポケットはKDDIの子会社だったので、auショップで契約することが出来た。
時代は当時ADSLとか光などの、ブロードバンドが急速に発達している時代だったので、
32Kという通信速度はイライラの原因となってわたしを悩ませていた。

わたしにとっては、ノートPC用のデータ通信カードという記憶しかないのだけど、
わたしと同世代の人たち、今の20代後半の人にとっては中高生時代の記憶と重なると思う。
当時わたしは携帯電話もPHSも持っていなかったのだけど、色んな人から
「ねえ、ピッチ持ってる?」って尋ねられたことを覚えている。

その頃からすでに、携帯電話やPHSはコミュニケーションアイテムの必須道具みたいに
なっていたので、わたしの高校時代はちょっとばかり淋しいものだった。

「何がケータイだ!何がピッチだ!」

そう豪語していたものの、数年後に自分が持ったときには完全な携帯中毒になってしまったけど。苦笑
今でも携帯電話は好きだし、このブログの記事を携帯電話で書くこともある。
60代後半の両親も、携帯電話は手放せないでいる。
たった10年で、家族の生活もわたし自身も、ずいぶん変わってしまった。

90年代の後半にピークをむかえ、そのあと携帯電話にシェアを奪われてしまった
PHSだが、データ通信サービスの開始や音声通話端末の充実などで、一時的には
いきおいをとりもどしていたようだ。

しかし、NTTドコモやKDDIなどが、携帯電話通信網を使って高速データ通信の
サービスを始めてしまったために、競争にやぶれてしまったようだ。
田舎に住んでいるわたしにはあまり縁がないのだけど、イーモバイルとか
UQコミュニケーションズという会社が、モバイルインターネットサービスを開始しているという。
PHSの特性をいかして、色々サービスを展開していたものの、
もう全部携帯電話にもっていかれちゃってるみたいだなあ。

恐らく、少しずつ事業は縮小しはじめ、遠からずサービスも停止するに違いない。
古いものは消えていく運命にあるのか。

それにしても、先進国ではこれだけ新しいサービスや機械が出てきているのに、
途上国では携帯電話はおろか固定電話すらないような地域もある。
電機もガスも水道もない状況下で、苦しい生活をしている人たちがいる。
それを思うと、少し胸が痛くなるのだ。

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Gay next door

雑記
02 /16 2010
わたしはノンケじゃないからよくわからないのだけど、00年代を通じて
LGBTの存在は、ノンケにとって非常に身近になったと思う。
大規模なアンケートや世論調査の結果を見たわけではないから、はっきりとはいえないけど、
同世代の子や10代~20代前半あたりの子たちと話してるとそれ感じるんだよね。

カムアウトした職場の男の子たち、Kくん、Bさん、オタク男子Oくん。
反応はそれぞれだったけど、カムアウトして以来遠ざかった人はいない。
Kくんの場合、最初は抵抗感を示していたけど、2週間でもとに戻った。
先日Kくんが、わたしの彼氏と会ったときの反応を見る限り、
彼はわたしがゲイだから怖がっていたわけではなく、
わたしがKくんにセクハラまがいのことをしていたから怖がっていたようだ。(これゲイリブ的観点からしたらかなりアウトだよね。苦笑)

ちなみに今職場のKくんには、仲の良いバイセクシュアルの女の子もいる。
その子には女の恋人がいるし、Kくんもカムアウトされたようだ。
実はKくん、その子に片想いしてるんだよね‥‥。
Kくんを応援している反面、レズビアンカップルの仲を引き裂くのは忍びない。(まあ、うまくいってるレズビアンカップルではないのだが)

わたしが大好きな職場のBさんにしても、ゲイはわたしが初めてらしいけど、
レズビアンのお友達はいらっしゃるそうだ。
そのせいか、わたしがゲイとカムアウトしてもあまり拒絶反応はなかった。

オタク男子Oくんに関しては、同性愛者に出会うのは初めてと言っていたけど、
彼女さんや妹が持っているBLの影響か、知識はあったらしくやはり抵抗はなかったらしい。

まあ、案ずるより生むが易しというべきか、カムアウトしてみると案外こんなもんだった‥‥というわけ。

mixiのバトン(質問形式の日記を、友人に渡していくもの)の中に、
「ゲイやレズビアンの友達はいますか?」という質問があった。
友人の一人が「いますよ」と回答していたので、
「わたしのことを日記に書いてくれてありがとう」とメールをした。

「あ、ごめん。あれあんたのことじゃないのよ。そういやあんたもそうだったっけ!」
などという返答が返ってきた。
ふーん、オープンにしてるゲイやレズビアンが増えてきたのはよいことだ‥‥と思いつつ、
友達に忘れ去られてたのはさびしい。苦笑

わたしが大学でカムアウトしたのは2001年。
明確に拒絶の意思を表す人も、数は少ないけどいた。
下世話な好奇心やからかいの気持ちで接してくる人もいた。
最初から何の抵抗もなかった人は、実は案外少なくて、葛藤のすえに受け入れてくれた人もいる。
当時と比較すると、若者の間にLGBTに対する抵抗感は薄れているように思われるんだよね。

よく知らない人にまで、わたしはゲイですと宣言する必要はない。
親しい人にだけ、気軽に打ち明けても問題はない時代になってるんじゃないかなあ‥‥って思うのだ。

ゆっくりと、だが着実に同性愛は若者に受け入れられている。
片田舎でこんなことを感じるのだから、都会ではさらに変化があるんじゃないだろうか。
期待や希望だけではダメだけれど、何かしら明るい希望を感じる今日この頃だ。

逃げられない問い

雑記
02 /09 2010
もうすぐ、大切な人の命日がくる。
今年で5年。

もうそんなに経ったのか・・・・とも思うし、
まだそんなもんか・・・・とも思う。

親しい人が自殺したという事実は、その頃のわたしにはあまりにも
大きすぎて、強烈すぎて、最初はうけとめることが出来なかった。

今でも、うけとめられずにいるのかもしれない。

彼は黒人が大統領になったことを知らない。
日本で歴史的な政権交代があったことも知らない。
2005年2月14日のまま、彼のときはとまっている。
今の世界を見て、日本を見て、彼は何を思うのか。

話したい。
尋ねたい。
だけどそれは永遠に叶わぬこと。

彼がみずから命を絶ったことを、許すべきなのか。
あるいは絶対に許してはいけないのか。
遺されたものにとっては大きく圧し掛かる課題だ。

簡単に結論が出ない問いを、彼はわたしたちの人生に問いかけた。
わたしの魂は、いつまでもその問いに悩まされつづけるだろう。

いつの日か、それを感謝できる日がくるのだろうか。
あまりにも大きな問いかけを、わたしの人生に与えてくれたことに対して。

わからないけれど、今は問いつづけたい。


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クダをまこう

雑記
02 /08 2010
先月の中旬、彼氏がわたしの実家に来てくれた。
夏にも一度来てくれたので、今回は二度目の訪問になるのだけど
今回は両親が従妹の結婚式に出ていたので、実家で二人っきりで過ごせた。

両親のいないすきに、彼氏を呼ぶなんてちょっとスリリング。
ノンケ高校生ってこんなドキドキ感を味わってるのかな~?とか、
まあそれはどうでもいいんだけれど。
料理は苦手だけど、彼氏のために色々作ったし、リビングでまったりしたり、
とにかく幸せな時間を過ごすことが出来た。

どことなく、彼氏としてだけじゃなくて「家族」のような、
親しさと懐かしさ、そしてあたたかさを感じた。
まだつき合って一年も経っていないけど、この人と生涯のパートナーになれれば・・・・と感じる。
元彼とつき合っているとき、こういう気持ちになったことはない。
今の彼氏が、本当にあたたかく、優しく、誠実な人だからだと思う。

ああ、いつものおのろけです。苦笑

残念ながら日本では同性婚やパートナー制度は整っていないけれど、
いつか彼氏と「家族」になれたら・・・・と思う。
「女々苑」のbiancaさんカップルみたいに、外国の制度を利用するのもいいかもしれない。

ところで、「同性婚」や「パートナー制度」にまつわる話になると、
「そういうのあったらいいよね~」というゲイと、「別にいらん」というゲイに分かれる。

「いらん」という主義のゲイが言っていたことなのだけど、

「家族とか社会の制度にとらわれず、自由に恋愛やセックスができるのもゲイの特権じゃん」
というのがある。

この意見を聞いたときは、「ふーん、なるほどなあ。そういう考え方もあるのか」と思った。

同時に、「でもな・・・・」という感情もあった。
今ではなおさら激しい違和感を感じる。

「恋愛」と「家族」や「社会」、こういったものを、バラバラに切り離して考えるのも間違ってはいない。
自由に恋愛を楽しみ、家族や社会のしがらみから自由になりたいと望む人は、そうすればいいだけだ。
だけど、多くのノンケがそうしているように、恋愛の末に愛情で結ばれた家族をつくり、
社会を支える構成員になりたいと願うLGBT*1もたくさんいる。
制度から解き放たれて自由にやりたい人はそうすればいいけど、制度に守られたい人もいる。
問題はそういう人たちの権利が守られないことにある。

ノンケには結婚という制度があるけれど、あまりしがらみとらわれていない人だってたくさんいる。
石田純一なんて、クールに恋愛楽しんでいるノンケの一人だと思う。
松原千明やいしだ壱成がどう思っているかは別にしてもね。

何となく「ゲイは自由に恋愛やセックスを楽しめばいい」的なことを言う人に
ムカッときてしまうのが、よくない現実を無理やりポジティブに考えていることだ。
自己啓発とかが好きな人がやってるような、こじつけポジティブシンキングみたいで、わたしは大嫌い。

ゲイだからこその楽しみ、ゲイだからこそのよろこびっていうのは確かにある。
ただ、制度的な問題で困っている人がいる前で、「発想の転換だよ!」でつらい現実から
目を背けさせようとするのは、ただの逃げでしかないと思うのだ。
わざわざ発想の転換をして、ろくでもないことを素晴らしいことだと思い込むよりは、
ろくでもないことはろくでもないと批判して、直していく方がよっぽどいい。

同性婚だけじゃなく、ありとあらゆる社会問題や不幸な出来事もそうなんだよ!

ま、そういうことを考えつつも何が自分に出来るかと問われると難しい。
結局いつもみたいに、クダをまいてるだけのブログになってしまうのがオチなんだけどね。

うーん、いかんなあ。
それでもこうやって、クダをまきつつ、モヤモヤしつつ、それをまとめていけば
何かしら答えが見つかるかもしれない。

・・・・と、これも前向きすぎる意見ですけどね。

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きみがいる

雑記
02 /02 2010
伝わらないこともある。

うまく言えないこともある。

それがきみを苦しませてしまったり、傷つけてしまったり。

どうしてうまくいかないんだろうか?といつも悩んでいる。

だからこそ、わかりあえたときはうれしい。

一歩一歩、近くに歩み寄れたらいい。

生きていれば、時間はあるはずだから。

ゲイ専用ブログコミュニティ「ゲイログ」

和江さん

30代シスジェンダー(?)ゲイ。

日本の片隅にひっそりと暮らしている。
お仕事は福祉系。


マドンナが大好き。


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