わたしの理想論

雑記
01 /29 2010
この間、mixiの日記にも書いたのだけれど、幼い子どもが
両親の虐待の末に亡くなったという事件がおきた。
近所の人の証言によると、一年以上前から泣き叫ぶ声がきこえていたという。
亡くなった男の子は、いつも「ごめんなさい」と言っていたそうだ。
遺体には古いきずあとが残っていて、長きにわたって虐待と暴行があったことが確認されている。

おそらく、男の子は虐待されながらも「悪いのは自分だ」と思っていたにちがいない。
許して欲しい一心で「ごめんなさい」と叫びつづけていたのではないか。
両親は、ただ「ご飯を食べるのが遅い」という理由で子どもを殴りつづけていた。
とてもじゃないけど、殺されるほど殴られる理由になるとは思えない。

男の子の痛みと苦しみを思うと、胸がしめつけられるようだ。

先月見ていたテレビ番組で、発展途上国の児童労働についてやっていた。
非常に危険で、安全とはいえない環境で安くこき使われる子どもたちの姿がうつされていた。
花火工場や炭鉱、深夜や早朝の仕事など、大人ですら耐えがたい職場で働いている。
なかには、まるで奴隷労働のようにむちでたたかれ、体罰を受ける子どもたちもいた。

当然だけれど、学校に行って勉強したり、両親や友だちと一緒にいたり、遊んだり、
子どもなら当然保障されてしかるべき権利は、その子どもたちにはない。
あまりにもひどい現実から、ついつい目をそむけたくなってしまう。

番組の中で、若いタレントの女の子が言っていた。
「生まれてきたこと、生きていることはそれだけで素晴らしいことだと思ってきたけど、
それが全てくつがえされてしまう。」

わたしも、まったく同じことを思った。
そして今回、子ども虐待死のニュースを見て再びそう思ってしまった。

生まれてきたことはそれだけで素晴らしい。
しかし、毎日耐えがたい苦痛を、これでもかというほど感じている子どもたちに、
同じことを言う気持ちにはなれないのだ。
子どもたちは、もしかしたら生まれてきたこと、生きていることを呪っているのではないか。
もしもそうだとしたら虐待や強制労働の現実以上に、そのことが悲しい。

「生きていても、何の意味がない」
そんなことを言う人に、「生きてることはそれだけで素晴らしいじゃない」なんてことを言いつづけてきた。
しかし、あまりにも悲しい境遇にある人たちには、生きることは苦痛でしかない。
そんな人に「生きていることは素晴らしい」なんて最低最悪のきれいごとで、偽善だと思う。
その人たちを、そんな境遇に追いやってしまった現実に怒りを感じ、何もしてあげられない自分にも怒りを感じる。

児童労働をさせられている子どもたちや、虐待に苦しむ子どもたちのために、
一体何をしてあげられるのだろうか。
何をしていいのかわからないし、簡単に出来ることばかりでもないだろう。
考えてばかりいても、どうしても答えは出てこないし、考えるのにも疲れてしまう。
しかし、最低限この「考える姿勢」だけは持ちつづけたいのだ。
考えるのをやめるより、ずっといい。
ユートピアは無理でも、もっとよりよい、思いやりのある世界は実現可能だと思う。

理想論かもしれないけどね。
でも、理想はやはり大事にしないと。
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15年

雑記
01 /24 2010
一週間前の1月17日、阪神大震災から15年経った。
震災以降にうまれた子どもが、もう中学3年になるのだから
月日の経つのははやいなあ・・・・としみじみ思う。

このブログを読んでいる方の中にも、阪神大震災を経験した人はたくさんおられと思う。
6000人以上の方が亡くなり、多くの人が被災した大変な災害だった。
わたし自身は鳥取県に住んでいたから、震災の実際がどんなものだったのかは
わからないのだけれど、テレビに映し出される被災地の映像はものすごく衝撃的だった。

わたしの彼も関西出身なのだが、阪神大震災のときは一歩間違えたら
死んでいたかもしれないと言っていた。
彼のように、偶然助かった人もいれば、偶然命を落としてしまった人もいる。

震災から5年後の2000年、地元の鳥取県米子市を震度6強の地震がおそった。
当時としては、阪神大震災以来の規模の地震だったのだけれど、
奇跡的に死者はゼロで、生き埋めになった人もすぐに救助された。

阪神大震災の被害とはくらべものにならないほど、損害は少なかったけれど
あのすさまじい揺れは今でも記憶に残っている。
家族が全員無事だとわかったときは、本当にうれしくて涙をながした。

のちに新潟や能登半島でも、大規模な地震がおこり、多くの方が
被災し、大変な思いをされている。
地震列島に住むわたしたちには、決してひとごとではなく
明日はわが身だと思う。

たくさんの悲劇がくりかえされているというのに、
2005年には耐震強度偽装問題が発覚した。
安全はお金にはかえられないもので、何よりも重要なことなのに。
こんなところにお金をけちってどうするというのだろう。

阪神大震災のとき、建物の耐震強度の弱さが明るみなった。
耐震強度がしっかりしていれば、倒壊せずにすんだ建物もたくさんあっただろう。
そして、その倒壊した建物の下敷きになって、亡くならずにすんだ人もたくさんいらっしゃったと思う。
これは天災ではなく、人災だ。
震災で亡くなった人たちが、命をかけて遺してくれたことを、いい加減に考えてはいけない。
天災は防ぎようがないかもしれないが、人災は防げるはずだ。

震災から15年、まだまだ苦しんでいる人たちはたくさんいる。
だから、忘れてはいけない。

亡くなった方々の冥福を、心から祈りたいと思う。

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ケンカの作法

雑記
01 /19 2010
どことなく前回の記事とにた内容になってしまうのだけれど、
職場のKくんがいうのは、わたしは怒るとけっこう怖いらしい。
自分でいうのも変だけど、おっとり(ノロマともいう)な性格の
わたしが怒ると豹変してしまうそうだ。

ブログには書いていないけれど、昨年の夏にKくんと軽く仲たがいしたことがある。
今回はわたしの方が腹を立ててしまって、Kくんにしばらく口をきかないで欲しいと伝えた。
2週間ぐらい一切口をきかなかったけれど、最後はKくんの方からあやまってきた。

なぜ、そんなにわたしが腹を立てたのかというと、Kくんの発言に
ゲイとしてはちょっと気に障る言い方があったからだ。
Kくんとしては本当に何気ない発言で、むしろわたしを気遣ってくれての言葉だと思う。

それ自体は、別にわたしにとってささいなことでしかない。
ノンケがゲイの気持ちをわからないのは当然だと思う。
いちいちそういう言葉をあげつらって、差別だ偏見だとさわぎたてる方がおかしい。
本来ならとてもやさしく、思いやりのある人に「差別者」のレッテルを貼って、
「糾弾」だなんだと責めたてるのは、ただのいじめだと思う。
平気でいじめをする人に、差別だの人権だのを語る資格はない。

ま、それはともかくとしてKくんが発した言葉に腹が立ったわたしは
「すごく腹が立った。Kくん、わたしが何で怒ってるかわからないでしょ?」
というメールを送った。Kくんからの返事は
「すいません。僕わかりません。でも不愉快にさせたなら謝ります」
だった。

これがもう、決定打になってしまい
「もうしばらく口をきかないで下さい」につながってしまった。

わからないならわからないで、どうして
「何が悪かったのか教えて欲しい」がないんだよ!!
反省する気ゼロだし、自分が悪いこと言ったって認識もないじゃないか!!


2週間程度して、Kくんは
「あ、Kazuccineさんすいませんでした・・・・」とあやまってきた。

「ああ、別にいいけどね。で、何でわたしがあんなに腹を立てたかわかる?」
わたしは彼に訊いた。

「わかりません。でも、すいませんでした」

「わからないことに対してあやまるんだ?でもわたしがあんなに怒ってたんだから、
理由があるのはわかるよね?どうしてその場で“何が悪かったか?”がなかったの?」

「あまり言わない方がいいかな・・・・そっとしておいた方がいいかな・・・・と」

「それ、自然にわたしの怒りがおさまるの待ってたんだよね?Kくん反省する意思がないんだ?」

「そういうわけじゃないです!でもああいうときは黙っておいた方がいいじゃないですか?」

「ううん、わたしは訊いて欲しかった。理不尽に怒っているわけじゃなかったからさ。
もしあのとき一言あったら、わたしは笑い話ですませてたよ。今でも怒ってるし、Kくんにはがっかりした。
でも、今回こうやって自分からあやまってくれたことはうれしい。水に流そう」


と、まあこんな感じで一件落着(?)したわけだ。
その発言について、Kくんとも話し合ったし、Kくんの考えも聞くことが出来た。
今までより、より深い話が出来たからよかったと思う。

ただ、この件で思ったのは、ケンカの仕方も仲直りの仕方も、人によって違うということだ。

わたしだったら、相手が怒っているときは、まずなぜ相手が怒っているかをはっきりさせる。
徹底的に話し合い、受け入れることは出来なくても理解しようと努力するし、
曖昧なままに終わらせるのはどうも好かないのだ。

Kくんは、相手が怒っているときはむだに話し合いをせず、怒りがおさまってから
話し合いをするというタイプだと思われる。

効率的なのは、おそらくKくんの方なんだろうけど、今回のわたしのように
反省する意思を感じられなくて、逆効果になることもありうるのだ。
人とのつきあい方に正解はなく、その人に応じて、その場に応じて対応しなくてはいけない。

ちなみに、彼氏のほうは、
「わたしの何が悪かったの?」って言うと、
「言わない。自分で考えなさい」と言う。
小学校の先生なんかが、似たようなせりふを子どもに言うよね。

わたしはこれに対して
「悪いけど、わからないんだよ。僕だって考えてるけど、どうしてもわからない。
正直、混乱するだけでどうしていいかわからないんだよ。悪いところはちゃんと教えて欲しい」
って言い返す。

他の人にはどうかわからないけど、わたしの場合「自分で考えなさい」方式が苦手なのだ。
小学生のとき、何かをして教室に残されたとき
「先生が帰ってくるまで、何が悪かったのかを考えていなさい」と言われたことがある。

わたしは本当に、いくら考えてもわからず教室で何十分もボーっとしていた。
数十分後に帰ってきた先生が、
「よし、じゃあ話を聞こう。ねえ、何が悪かったと思う?」
と訊いてきたので、
「わかりません」
と答えた。だって、本当にわからないんだもの。

「この何十分、一体何をしていたの!?」
と、先生は逆上するのだが、わたしは
「考えてました」としか答えようがないのだ。

自分が怒られている立場ということも忘れ、子どもながらに
「この先生は効率が悪いなあ・・・・」と思っていた。
わたしだって残されている理由を知りたいし、自分が悪いことをしたのなら
それについて反省した方がいいと思っている。
でも、単純に何をしたのかが全然わからないのだから、教室で「考えている」時間は
ただ単にボーっとしている時間になってしまうのだ。

それだったら、せめてヒントなり何なり与えてくれた方が、わたしも考えようがある。
ボーっとしている時間に、反省文でも書いたほうがよっぽど意味があるだろうに。

・・・・まあ、こんなことを思ってる時点で、反省する意思がないような気もするのだが。

わたしはこういう性格が根本にあるので、何かトラブルがあったら
自分の何がいけなかったかをはっきりとさせなきゃ気がすまない。
出来るだけ自分で考える努力はするけれど、わからないなら相手に訊く。

「そんなんもわからないの!?」とか「自分の胸にきいてみろ!」って言われることもあるけれど、
わからんものはわからないし、自分の胸に手をあててみても、聴こえるのは心臓の音だけだ。
何が悪かったのか、お互い話し合うほうが建設的でいいと思う。

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仏になるのだ

雑記
01 /15 2010
どうしても許せない相手というのがいる。

数年前にけんか別れした友達で、今では完全に絶縁状態だ。
なんども関係修復のチャンスはあったけれど、よけいにこじれて
ますます修復不能になってしまった。

友達のほうは、自分は一切悪くなくてわたしだけが悪いと思っている。
わたしに言わせると友達のほうがひどいと思うのだけれど、
ただ自分も言いすぎてしまったと少し反省もしている。
関係修復には、わたしのほうから折れていくしかない。

ただ、どうしてもそれが出来ないでいる。
わたしは一応あやまったし、なかなおりしたいという意思も伝えたのに
それを無視したのは彼女のほうだ。
このことはひどくわたしを傷つけ、二重三重にわたしを苦しめている。
今さらこちらから頭をさげるなんて、死んでもできない。

一方で、やはりなかなおりしたい気持ちもあって、
死んでもあやまりたくないという気持ちと、いまだにゆれ動いているのだ。
そんな葛藤をくりかえすこと2年半。悩むのにも疲れたよ。

わたしはこんなにも許しの気持ちのない人だったのか、
こんなにもいじっぱりで心のせまい人間だったのか。
最近はそんなことも考えるようになってきた。

いつかときが解決してくれるだろう。
どうせ怒りも風化してしまうにちがいない。

そう思ってもきたけれど、怒りはくすぶり続け、消えていくのはむしろ
なかなおりしたいという気持ちのほうだった。

哀しい。
もうこれで終わりなのかな?
徐々に、「諦め」という感情も生まれてきた。

わたしと彼女の間に入って、関係修復をとりもとうとしてくれた人が、
今年の春に結婚して海外に行くことになった。
ちょっとさびしくなるけれど、とてもおめでたいニュースだった。

しかし、どうしても彼女との一件が引っかかる。
その人のためにも、彼女となかなおりして安心させてあげるべきじゃないか。
そんなことも思った。

わたしは彼女を許せるのだろうか。
あるいは、彼女がわたしを許してくれるのか。
彼女が少しでも、自分の非を認めてくれたらわたしは許そうと思ってきた。
しかし、「わたしの何が悪いん!?」と彼女が憤っているという
話を聞いて、そのことは絶望的だと思った。

わたしのほうから折れていかないと、なかなおりは出来ない。

さて、どれだけ寛容になれるか。
どれだけ自分を殺せるかだね。

怒るのって、すごく体力を使う。

でも、許すのはそれ以上に体力を消耗する。
わたし許せる?


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ちょっと論理的に破綻してますが、失礼

雑記
01 /12 2010
眉毛ケアセット

先日は職場のTくんの誕生日だったので、プレゼントに眉毛のケアセットをあげた。

職場のTくんはこんな感じの子だ

shokubanoteiikun

職場のTくんは髪型や洋服はいつもおしゃれなのだけど、眉毛の手入れはしていない。
おしゃれに関心の高いTくんなら、眉毛もきちんとしたらさらにかっこよくなると思う。

わたしは最近、彼氏の眉毛を整えてあげることが多い。
もともと堺雅人似の男前で、そのままでもカッコいいのだけど
眉毛をすっきりさせるとさらに男前になる。
なぜかちょっといしだ壱世風になるから、なんとも不思議。

その出来前を、この間職場のKくんと彼氏と3人で食事した時に、
Kくんに自慢したのだが、それを聞いたKくんが一言。

「あれ?Kazuccineさんの眉毛ってボサボサですよね?」

そう、わたしの眉毛は、基本ボンバーなのだ。
人の眉毛をいじるのは楽しいのだけど、自分のをいじるのはけっこう面倒くさい。
ごくたまに、髭を剃るついでに眉間やおでこに生えている毛を剃る程度だ。

男の子が眉毛をいじるのが一般的になったのは、今から10年ちょっと前
90年代の末期、わたしが中学生~高校生ぐらいの時だ。
長野オリンピックで若い選手たちが、茶色く染めた髪に眉毛を整えていたのが話題になった。

当時わたしは、何を勘違いしたのかマレーネ・ディートリッヒのような細眉にしたり、
逆にオードリー・ヘップバーンのようなぶっとい眉にしてみたりと、世間の感覚からずれまくった
行動をしていたのだが、他の男の子たち同様眉毛ケアには熱心だった。
すぐに面倒になって、やめてしまったけど。

その頃は、男性の女性化だの何だのといわれていたものだが、今では本当に一般的になっている。
まあ、すっきりときれいな顔立ちの人が増えるのは、決して悪いことではないと思う。

わたしは眉毛のケアどころか、髭剃りや鼻毛を切るのも面倒だというほど、
顔周りのケアは苦手なのだ。
おしゃれにはそれなりに関心はあるけれど、美容ケアに関しては面倒くささが先に立つ。
化粧が好きな女の人たちは、本当に大変だなあ・・・・と思う。

男の子が眉毛ボサボサで、髭を生やしていてもそれほど問題ではない。
鼻毛が飛び出していても許されると思う・・・・いや、さすがにこれはマズいか?
「美容には関心がないのかな?別にいいけどもうちょっとこぎれいにしてくれても・・・・」
ぐらいにしか思われないのではないか。

でも、女の子が眉毛ボサボサで、顔も剃らずに化粧もしていないと
どうしても人前で化粧もしない女、つまりはマナー違反みたいに見られてしまう。

別に、30年前のフェミニストではあるまいし、化粧が女性を縛り付ける道具だと思っているわけではない。
きれいになりたい、きれいにしたいという女性たちが思うのは当然だし、それをとりあげるのは間違っていると思う。
問題は、化粧が好きでない人、化粧が出来ない人に対して、いまだに化粧をおしつけようとする傾向があることだ。
昔は「女だったら人前に出るときは化粧するのが礼儀だ!」といわれていたのんだろう。
最近だったら、「あなたもきれいになって、自信をつけて」というコピーかもしれない。

きれいになって、男の場合ならかっこよくなって、外見から自信をつけていくというのは、
わたしだってわからないわけじゃない。
わたし自身、髪型がきまって、かっこいい服を着ていると気分が違う。
自信をなくしている人に、化粧をすすめて自信を取り戻させてあげるのは悪いことではないと思う。

しかし、当たり前だけど外見さえよくなれば自信がつくわけではない。
化粧は自信をつける最初の第一歩になっても、本当の自信は内面からくるもののはずだ。
「あなたもきれいになって、自信をつけて」と言っている美容業界の人は、
もうちょっとそこに言及するべきじゃないのだろうか。

それと、最近はすでに自信のある人にまで化粧をすすめる人がいる。
仕事や勉強で、成果をあげている人に対して
「仕事ばかりでは“デキる女”にはなれませんよ!おしゃれをして女性らしくしましょう」

その人が仕事や勉強に没頭して、おしゃれをしないのはその人の勝手だと思う。
化粧やおしゃれや、あるいは恋愛をしないのは、単にその人が興味がないからだ。
興味のある仕事や勉強に打ち込めて、本来なら幸せな人たちに、まるで不幸せであるかのような
印象操作までして、無理やり化粧をさせるのはどうかと思う。

わたしも別に、アンチおしゃれとか性の記号化反対とか、そういう難しいこと言いたいわけじゃない。
でも、おしゃれを強要し、それもその人の能力の一部みたいな煽り方をする人たちには疑問を感じる。

女は化粧をするのが普通、という価値観のおしつけがなくなり
化粧をするもしないもその人の自由で、それが普通という世の中になってくれることを願う。

しかし、ここまで書きながら冒頭で書いたように、職場のTくんに眉毛のケアセットを
あげてしまったわたしは非常に矛盾しているように思われる。
というより、思いつくままに文章書くなっつうの。笑

まあ、おしゃれのおしつけ云々の前に、Tくんはおしゃれ好きな男の子だから、
眉毛のケアセットをあげても問題ないよな・・・・と無理やり結論づけることにしよう。

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いつまでも好かれてると思うな!

雑記
01 /09 2010
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彼氏とつき合いはじめて、かれこれ7ヶ月。
けんかもあったし、ときどきひどく落ち込むこともあるけれど
そのたびに仲を深め合い、いい関係に落ち着いている。
彼氏は先月、正職員の職に就くことができて、経済的に
また精神的にも少しだけ余裕が出来たのでうれしい。
わたしも、今年は目標にむけてがんばろうと前向きになっているところ。

・・・・ところが、こんなわたしたちを邪魔しようとする人もいるのだ。
誰か?元彼です。

わたしと彼氏、元彼に何があったのかは以前書いたので、知らない人は
そちらを参照して欲しい。(すっごく長いけど。笑)

彼氏くんとの第一章
彼氏くんとの第二章
彼氏くんとの第三章
彼氏くんとの第四章
彼氏くんとの第五章

まあ一言でいうなら、わたしは元彼の彼氏を奪って、自分の彼氏にしちゃったわけだ。
そのことで元彼を傷つけてしまったことは、悪いことだと思うし、彼には謝罪も必要だと思う。
ただ、こういう事態になってしまったのは、元彼にだって責任はある。
だから、わたしは十分謝罪したと考えているので、わたしたちはわたしたちの幸せを育み、
元彼は元彼の幸せをさがしていけばいいと思うのだ。

実のところ、元彼はまだ彼氏と別れていないと思っているようだ。
ちょっと冷たくなっただけで、他の人に目移りしているだけだと考えている。
わたしは元彼とは一切連絡をとっていなくて、連絡先も削除してしまった。
彼氏もそうしたいとは思っているのだが、実はちょっとこみ入った問題もあり
今は完全に連絡を断ち切ることも出来ない。

なので、彼氏から復縁をもとめるメールがきても受信拒否は出来ないんだよね。
そこにつけこんでいるのか、あるいは本当に気づいていないのか、
元彼は彼氏がいまだに自分のことを好きだと思いこんでいる。

それだけならまだしも、何とわたしも元彼のことが好きだと勘違いしている。
「今はちょっと仲たがいしてるだけ。また友達に戻れるよ。
 あいつはまた僕とよりを戻したいと思うけど、僕はもうあいつは無理」
なんてことを言っているそうだ。

あー・・・・何でこんなやつと5年間もつき合ったんだろう。
時間の無駄だったというのは、さすがにいい過ぎかも知れないけど、
どうしようもない嫌悪感がこみあげてくる。

あんたがわたしにした仕打ちを忘れたか?
あんたが彼氏にした仕打ちを忘れたか?
どんだけ二人が傷ついたのか、ちっともわかってないの?
それなりにつき合っている期間は、楽しいこともあったし
それはそれで感謝してるけど、あんたにつけられた心の傷は癒えてないし、
それは彼氏だって同じなんだよ。

「僕も、もう嫌になってくるわ・・・・。早く(今の状況に)始末をつけて、縁を切りたいよ」
彼氏だってこう言っている。

いつまでも好かれとると思ったら大間違い。
あんたの周りに友達がいない理由考えたことある?

彼が次々と、友達をなくしていく過程をわたしも彼氏も見てきた。
そのたびに相手に対する不満をもらしていたけど、自分にも原因が
あるのではないかという反省は何一つなかった。
反省のないところに成長はないから、きっと彼はいつまでもこのままなのだろう。
そんな人に関りあうのは、やはり人生の無駄づかいだと思う。

わたしは、彼氏を傷つけたくない。
元彼がわたしや彼氏にした仕打ちを、彼には絶対にしない。
元彼はいい反面教師だった。
感謝するとしたら、その程度。


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禁煙宣言!!

雑記
01 /08 2010
大晦日は職場のKくんと彼氏と3人で、除夜のかねをつきにいった。
わたしはいまだかつて除夜のかねというものをついたことがなく、
今回の除夜のかねは初体験ということになる。
しかし、それは彼氏も職場のKくんも同じことで、3人にとっての初体験だったわけだ。

みんな初詣には行くんだけれど、除夜のかねはつかないものなのかなあ。
わたしたちが行ったお寺も、日付がかわる前はほとんど人がいなくて
「ここの寺ってかねがあるのか!?」と思っていたぐらいだった。
ところが日付がかわったとたんにびっくりするぐらい人がやってきて、お参りをしていた。
どうせだったら除夜のかねもつけばいいのになあ。

そういえば、神社には何回も初詣したことがあるけれど、お寺に初詣は初めてだった。
彼氏との初詣というのも初めてだったし、今年の正月は初づくしだ。

彼氏がたばこを嫌いということもあり、昨年から禁煙を予定していたのだが、
日付が変わる直前に職場のKくんにつられてたばこを吸ってしまった。
実は、その前に
「日付が変わった瞬間にキスしたいね!」などと、ずいぶんとロマンチックなことを宣言していた。
当然だけど、たばこが嫌いな彼氏がたばこを吸った口でキスするなど応じるわけがない。
わたしはこのことをコロっと忘れてしまい、平気でたばこを吸ってしまったのだ。
新年のキスという、一年に一度の大イベントを棒にふってしまったバカなわたし。
彼氏は新年早々激怒し、わたしは今後一切たばこを吸わないという約束で許してもらった。
というわけで、今年にはいってからは一本もたばこを吸っていない。

もともとヘビースモーカーではなかったものの、意外に禁煙は苦ではない。
たまに吸いたくなるときもあるけれど、お茶を一杯飲むと落ち着く。
今日で一週間になるのだが、鏡を見ると少し若返った気がする・・・って、そりゃないか。
でも、最近みょうに老け込んでたんだよね。

彼氏のために禁煙というと、何だか重たく感じるかもしれないけど、
よく考えたら禁煙は自分にとってもいいことだし、いいきっかけになったと思う。
きっかけを作ってくれた彼氏には感謝しないとね。

チャレンジすることがたくさん出来た2010年の元旦だった。

ところで、5月でこのブログも5周年をむかえるのだけど、
それにむけて何かやりたいなあ・・・・と漠然と考えている。
以前から「○○万ヒットの暁には脱ぐ!」というハタメイワクな
目標を掲げていたけれど、相変わらず脱げないでいる。
5周年だし、脱いじゃうかな~とも思うのだが、それまでにダイエット出来るかな?

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2010年のご挨拶

雑記
01 /04 2010
少し遅くなりましたが、新年明けましておめでとうございます。
昨年は閲覧していただきありがとうございました。
後半から更新がついつい滞りがちになりましたが、
それでも見ていただいて非常にうれしいです。
今年は以前のペースを取り戻し、積極的に更新していきたいので
引き続き閲覧していただけるとうれしく思います。
今年もどうぞ、「ため息の理由」をお願いいたします。

今年は2010年なので、「10年代」という新しいディケイドの始まりなのですが、
どんな10年間になるのか、非常に楽しみです。
わたしは、政治の場面でも、社会でも、外交でも、何より人々の生活の中でも
よりいっそう人を大切にする心や思いやりの精神が大事にされ、
それがいかされていく時代になればいいと思います。
00年代は非常に殺伐とした時代でしたが、多くの人が思いやりの精神の大切さに
気づいた10年間でもあったのではないでしょうか。

わたしにとって00年代は、たくさんの人に恵まれた10年でした。
本当に友達と呼べる存在の人に初めて出会えたし、00年代最後の年には
とても優しくあたたかい彼氏に出会うことも出来ました。
10年代は、もっと人とのつながりを深く、大切にしていきたいと思います。

このブログも、かれこれ5年をむかえようとしています。
ブログを通じて、たくさんの方と交流することが出来ました。
まだまだ未熟なわたしですが、これからもよろしくお願いします。

和江さん

30代シスジェンダー(?)ゲイ。

日本の片隅にひっそりと暮らしている。
お仕事は福祉系。


マドンナが大好き。


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