わたしのカムアウトいろいろ②

雑記
12 /28 2009
ゲイということをカムアウトすると、色んな反応がある。
職場のKくんのように、黙りこくって一週間悩んでしまう人もいれば、
「や、気づいとったわ。知らんとでも思っとったんか!」って笑い飛ばす人もいる。
これはわたしが個人的に思うことなのだけど、変に重々しく受け取られるよりは
かるーい反応の方がカムアウトする方としても気楽でいい。
実をいうと、重々しい反応をしたのは職場のKくんぐらいなもので、
大半の人は「ああ、そうなんだ」程度の反応だったんだよね。

もしかしたら、表情には出さないもののすっごく衝撃を受けて、
じょじょにわたしから去っていった人もいるかもしれない。
その可能性は否定できないけれど、見るからにショックを受けたり
「Kazuccineのこと嫌いになった!」なんて人はいないんだよね。
とにかく、みんな「軽い」という印象だ。
「軽い」っていう言葉が不適切なら、「普通」なんだよね。
ま、ただ単に「どうでもいいわ」って思ってるだけかもしれないけどさ。笑

変に驚かれたり、嫌がられたりするよりは、わたしは「ふーん、そうなんだ」で十分。
ところが、この「ふーん、そうなんだ」という反応を激しく批判する人もいる。

たしか辛淑玉さんの発言だったと思うのだけど、
「自分の子どもが同性愛者だとカムアウトしたらどうしますか?って政治家たちに訊いたんです。
そしたら、みんな『ふーん、そうなんだ』って答えるって言ったんです。
どうして『大切なことを話してくれてありがとう』と言う人が一人もいないんでしょうか」

辛淑玉さんは在日朝鮮人の女性で、差別問題に関する本をたくさん出しているし、
様々な発言で物議をかもしている人だ。
わたしは別にこの人のことを嫌いではないのだけど、上の発言に関しては疑問と違和感以外何もなかった。

「一体、この人は何人の同性愛者と話してきたんだろう?どれだけ同性愛者の気持ちを理解しているのだろう?」

みんなはどうか知らないけど、わたしは少なくとも「大切なことを話してくれてありがとう」なんて言葉は望んでない。
もし両親にカムアウトして、両親がこんなことを言った日には
「両親そろってボケちゃったのか!?」とびっくりするに決まってる。
うちの両親はこんなことを言う人たちではないし、60代の人がこんなん言ったら変だよ。

もし両親にカムアウトしたら、驚くに違いないだろうし、もしかしたら
「女の人とは結婚せんだか・・・・」と悲しまれることもあるんだろうなあ・・・・。
でも、それは仕方のないことなんじゃないか。
わたしにとってはすごく辛いことだけれど、60代の両親にとって同性愛は身近なものではなかっただろう。
それは両親のせいではないし、責めたって仕方のないことだ。
今理解してもらえないのなら、時間をかけて理解してもらえばいい・・・・そう考えてる。

そう考えているのに、いまだに近親者にはカムアウトしていないのだから、
わたしの言うことは所詮きれいごとなのかもしれない。
中途半端に、友達や信頼できる人にだけ話したわたしがカムアウトを語るなと言われても、
わたしには反論のしようがないよ。

ま、話がずれちゃったけど理想は両親にも「軽く、普通に」反応してもらえることだ。

「はあ、そうかね。まあ気づいとったわ。あんた『ウルルン滞在記』で男の子が
裸になるときばっかり見とったし、女の子の話はぜんぜんせんかったけんな。
彼氏はおるだかね?ああ、こないだ家に連れてきた子ね。いい人だがん。ちゃんと大事にするだで」

こんな感じがいいな。こんな感じが理想だな。
「大切なことを話してくれてありがとう」なんて、取り繕った言葉はいらん。
うちの両親らしく、本音で話して欲しい。

恐らく、辛淑玉さんにとってはゲイにとってはゲイであることが、
「辛いこと」であり「重要なこと」であり、軽々しく論ずるのが許されないことという認識に違いない。
たしかにそう考えているゲイもたくさんいるだろうし、辛淑玉さんが出会ったゲイはそういう人たちなんだろう。

でも、少なくともわたしは「辛いこと」ではなかったし、ぶっちゃけそんなに「重要なこと」でもないんだよね。
だからといって「どうでもいいこと」なんかではない。
いってみればわたしの人格の一部で、一つの個性だと思っている。
悩んだり苦しんだりした経験もないしな~。
いや、悩んだり苦しんだりすることから逃げているだけかもしれないけどさ。

わたしは辛淑玉さんの書いた本を読んだことはないし、メディアに出てるのもちらっとした見たことがない。
断片的に読んだり見た感想なんだけれど、非常に攻撃的で闘争的な雰囲気の人だと感じた。
上に書いたゲイに関する発言も、あきらかにノンケの人に対する攻撃だと思われる。
辛淑玉さんは、在日朝鮮人として差別と戦ってきたんだろうし、差別的な人たちを
攻撃しなくてはいけないときもあったんだろう。

でも、わたしは攻撃するのはいやだ。
ケンカをするよりは仲よくやった方がいいと思う。
「軽々しく論ずるな!」と言って相手を黙らせても、相手は何を考えているかわからない。
軽々しくても何でも、まずは意見を交換させることだし、和やかな雰囲気の方が率直に話せるんじゃないかな。

彼女にとっては、わたしの考え方は青くさくて、笑止千万かもしれないけどさ。
「ふーん、それで君はやってみれば?何一つ権利は得られないよ」
とか、冷たく突き放されそう。笑
でもさ、わたしは言い争うのが苦手なのよ。
楽しく話してわかってもらう方が、よっぽどいいんだよ。
青くさいかもしれないけど、若いんだから青くさくていいと思う。

もちろん権利は戦わないと勝ち取れないものだということはわかっている。
でも、相手を攻撃して、黙り込ませることだけが戦いじゃない。
理解するまで話し合う、理解しようと努力する、そういう戦い方があってもいいはずだ。
わたしはまだ一度も戦ったことがない。
でも、激しく攻撃するんじゃなくて、わたしなりの戦い方を見つけたいと思っている。
スポンサーサイト

わたしのカムアウトいろいろ

雑記
12 /27 2009
ゲイやレズビアンとして生きることの辛さの一つが、まわりの
大多数のノンケに「わかってもらえない」ことだと思う。
クローゼットなゲイやレズビアンなら、「ゲイって気持ち悪いよな」などの
むき出しの悪意ある発言にさらされることになるし、時にはそれに同調しなきゃいけないときもある。
自分自身がゲイなのに、「ゲイは気持ち悪い」とその場のノリで言わざるをえない。
こんなこと、多かれ少なかれゲイならみんな経験しているんじゃないか。

こういう発言はゲイやレズビアンってことを、カムアウトしてしまえば
出くわす機会はなくなるのだろうけど、カムアウトしたらしたでいやな目にもあう。
「性転換手術するんでしょ?」
「いつになったらゲイやめるの?」
「女の人がこわいんでしょ?ゲイになったきっかけは?」
とかとか・・・・セクシュアリティに関して、まったく無知な発言をされると悲しい気分になる。
こういう発言されて心底つらいのが、いろいろとセクシュアリティに関して説明したあとで、
「ふーん、いろいろあるんだね。でさ、精神科でカウンセリングとか受けた?治るんでしょ?」
などと結局わかってもらえないことだ。

あと、セックスに関してあからさまに質問されることもある。
ワイ談大好きなわたしが不愉快に思うくらい、セックスに関して質問されたこともあり
さすがのわたしもすごくいやーな気分になってしまった。

誤解をまねいたらいけないので断っておくけど、わたしがこんなことを言われたのは
本当にかぞえる程度で、わたしの周りにいる多くの人はあからさまに失礼な発言はしなかった。
わたしが説明したら、きちんとわかってくれる人がほとんどだったし、
たとえわからなくても、わからないなりにわたしを認めてくれた人だっている。

カムアウトしたからといって、人間関係や人生がすべていい方向にむかうわけではない。
でも、カムアウトしないならしないで、無用なストレスを感じなくちゃいけないこともある。
すごく残念ながら、ゲイやレズビアンとして生きるっていうことはなにがしかのストレスがつきまとうのだ。
「そんなんおかしい」と思っても、それが現実なんだから仕方ない。

こんな書き方をすると、同性愛者ってことに対してすごく絶望的なことを
書いているように思わそうだけど、わたしは別に悲観的になっているわけじゃない。
ゲイやレズビアンとして生きることは、それなりにストレスがつきまとうことだ。
だけど、そうでなければ体験できなかったこともたくさんあるだろうし、気づくことが
出来なかったことだってあると思う。
いいこともあれば悪いこともあるのが人生で、悲観ばかりする必要はない。
逆に、何でもかんでもプラス思考して、自己啓発セミナーみたいなことばかり言わなくてもいい。
文句を言いつつ、愚痴もこぼしつつ、自分の人生を楽しめればいいのだ。

わたしはノンケのふりして、ゲイの悪口に同調するほうがストレスがたまるし、
なんだかうまくやっていけない気がしたからカムアウトした。
隠しごとがないほうが、友達とも仲よくやっていける。
少なくとも、わたしの経験上ではカムアウトは「生きるための手段」だ。
社会を動かすためでもないし、同情を買うためでもない。
このブログでは何回かカムアウトについて書いているけれど、とにかく「カムアウト」が
気に入らないのかそのことに関して批判的なコメントを書く人もいる。

どうしてかわからないけど、そういう人たちは必ず「ゲイリブは云々」という言葉を
使いたがるのだけれど、わたしはゲイリブにはちっとも興味がない。
ゲイリブのためにカムアウトしたわけでもないんでもないのに、どうして「ゲイリブは云々」って
言葉で否定的なことを書かれなきゃいけないのかわからない。
そういうことを書く人たちは、
「ゲイの地位向上のため、積極的にカムアウトして社会を変えていこう」とか、
そういうことを書いているブログに批判のコメントを書いて欲しい。

わたしはカムアウトをしたい人に、したいときに、したい場所でする。
社会を変えたいとか、ゲイリブとかそういうの一切ない。
それでもカムアウトを否定して、わたしにカムアウトをするなと非難するなら、
その人はわたしが幸せに生きる権利まで否定していることになる。
わたしはその人には迷惑をかけていないから、そんなことをされる覚えはない。

たとえば、職場のKくんにカムアウトしたときは、彼をかなり悩ませてしまった。
Kくんは何日も寝られなくて、わたしとまともに話すことも出来なかったという。
このときばかりは、わたしも「軽々しくカムアウトするのも考えものだ」と思った。
結果的に彼はわたしを受け入れてくれたし、より深い絆でむすばれることになった。
でも、ひとりの人間をここまで悩ませ、苦しめてしまったのも事実だ。
本当に受け入れられない人もいるんだし、自分が楽をしたいからでカムアウトするのは
相手に対して非常に思いやりのない行為なのだと考えさせられた。

こういうのがあるので、わたしはKくんに
「あまり言わない方がいいかもしれませんよ」とか言われると、
「そうかもなあ・・・・うーん」って思うかもしれない。
でも、実際のKくんは「俺は特殊なんですよ。みんなに言っても問題ないと思います」
なんてことを言っているんだけどさ。

・・・・って、ちょっと話がずれちゃったけど、カムアウトしたことで迷惑をかけた
Kくんが「カムアウトするな」と言うのならそれはそれで仕方ない。
でも、わたしがこれっぽっちも迷惑をかけていない人にまで、
「カムアウトはゲイリブの云々」とか非難されるいわれはないと思う。

ただ、歩きたばこといっしょで、自分は迷惑をかけている認識がなくても
周りにとっては非常に迷惑ってこともある。
だから、もしかしたらわたしのカムアウトが、わたしの見知らぬ人に迷惑を
かけている可能性も否定できない。
だから、今後わたしのブログにカムアウトに関しての批判をするのなら、
わたしのカムアウトのどこがどのように迷惑なのか、よくないのか書いて欲しいと思う。

びっクリスマス

雑記
12 /25 2009
非常にびっくりな出来事がありました。
なんと!このブログによく登場する「職場のKくん」と彼氏が面会したのです!
彼氏はわたしの友達に興味があったようなのですが、本当に会うことになろうとは‥‥
わたしは、職場のKくんがしぶると思っていたのですが、
Kくんはすんなりokしてくれました。
「オイオイKくん、あんたわたしがゲイだと知ってあんなに衝撃受けとったに‥‥あんたゲイと会うの平気なのかよ」
というわたしの不安は杞憂に終わったようで、
Kくんはすんなり会見の場所に現れてくれました。
緊張することもなく、普通に彼氏とも挨拶してくれました。
しかも、いざ話が始まるとKくんと彼氏の話が盛り上がり、わたしは置き去りにされる始末‥‥。

そりゃ、ゲイに会うからってKくんがびびってたら困りますよ。
それで彼氏が嫌な気分になったら、わたしも悲しいですし。
でも‥‥Kくんにとっては、彼の人生において、わたしの彼氏は「2人目のゲイ」ですよ。
何の緊張もないの!?
わたしがカムアウトしたときは、一週間以上口もきいてくれなかったじゃない!

ただ単に、わたしのおかげでゲイに「慣れた」のかもしれないが、
ここまですんなり受け入れられると
「ゲイ云々以前に、わたし自身に問題があったのか‥‥」と思ってしまう。

「ゲイってことは関係なく、わたしはKazuccineのことが好きだ」
と言われると、非常にうれしいです。
しかし、「ゲイってことは関係なく、Kazuccineという人間が苦手」と言われると激しく落ち込みます。
まあ、セクシュアリティというのは、その人の人格の一部だと思うのですが‥‥

ゲイだから拒否されてたと思っていたのが、
わたしの人格ゆえに拒否されていたと知ったら、非常にショッキングなのです。

しかし彼氏もKくんも 、わたしの悪口で盛り上がりすぎ!
お前ら、そんなにわたしに不満を持っていたのかよ!

初雪

雑記
12 /15 2009
真冬の夕暮れどき、住宅地の道を犬をつれて歩く少年がいる。

今にも雪が降りそうな寒さの中、白い息を吐きながら歩いていた。

短く刈り上げた髪、3本ラインのジャージ。

年のころは中学2年生ぐらいだろうか。

でも、それより少し幼く見えてしまう。

ふっくらとした頬は、寒さのせいで少し赤くなっている。

少し浮かない表情なのはなぜだろうか。

学校で、家庭で嫌なことがあったのか。

子どもたちの日常も、楽しいことばかりじゃない。

嫌なことも、悲しいことも、辛いこともある。

元気のない少年に比べると、犬の方はたいそう元気で

少年は引っ張られるように歩いていった。


公園の近くを歩いているとき、少年は首筋に冷たいものを感じた。

少年はふいに上を見上げる。

無数の白い、わたのようなものが空から落ちてくる。

少年の頬はゆるみ出した。

にいっと歯を出して、たちまち満面の笑みになる。

「雪やぁっ!」

少年は公園に駆け出した。

犬はなにやらびっくりした様子で、少年のあとを追いかけた。


少年は公園の真中で、両手を空にむかって伸ばし

「初雪や!」と叫んだ。

真っ黒な瞳をきらきら輝かせ、少年ははしゃぎまわった。


彼はまだ知らない。

彼がこれからどんな人生を歩むかを。

どんな人と出会い、どんなことを経験するかを。

そんなことは彼にはどうでもよくて、そのときはただ初雪がうれしかった。

空からまいおちる雪のひとつひとつが、楽しくて仕方なかった。


憎らしいほどの明るい笑顔。

思わず抱きしめたくなる。

その笑顔がいつまでも、いつまでも消えることがないように。

僕は祈った。

心から祈った。

ジャニーズの逮捕と、穂積由香里さん

雑記
12 /13 2009
元ジャニーズジュニアの少年たちが、窃盗で逮捕されたらしい。
このニュース記事に関するmixi日記を読んでいると、「顔写真と実名曝せ」という意見が非常に多いのだが、
いくら犯罪者とはいっても、この子たちは少年法で保護されている少年だ。
彼らが自主的に実名曝して記者会見でもするならまだしも、メディアや元所属事務所が
本人に無断で実名や顔写真を公表するなんて違法行為だ。
少年法に関しては、わたしも色々と思うところはあるけれど、
だからといって平気で法律違反をすればいいってもんじゃない。
むしろ、メディアが勝手に少年の個人情報を暴き立てたら訴訟起こされるよ。
さも正論ぶって、違法行為を煽り立てるのは問題だと思う。

「少年法」や「プライバシー権」で、ふと思いついたのが俳優の穂積隆信の娘で元女優の穂積由香里さんだ。
彼女は有名な「積み木くずし」のモデル(というより主人公?)で、2003年に35歳の若さで亡くなった。

数年前に安達祐美主演でドラマにもなっていたから、知っている人もいるかもしれないけど
彼女は中学生時代に非行に走り、両親と激しい葛藤の末に更生した。
父親の穂積隆信は彼女が非行少女になり、更生するまでの過程を詳しく書いた著書「積み木くずし」を発表し、
本は300万部のベストセラーになり、ドラマや映画にもなった。
ドラマの視聴率は40%以上を記録し、穂積隆信や妻は少年問題に関する講演会に引っ張りだこだったという。

皮肉なことに、彼女はそのことで世間から注目を集めてしまった。
本でもドラマでも、彼女の非行の事実(家庭内暴力や窃盗、傷害)がかなりリアルに書かれている。
特に、母親に対する家庭内暴力のシーンはかなり注目を集めてしまい、彼女はバッシングに曝されることになった。
おまけに、両親とも講演活動などで多忙になり、一人になった彼女は再び非行に走ってしまう。
彼女はブームのあとに覚醒剤取締法などで逮捕され、穂積隆信はバッシングに遭い、夫婦も離婚した。
由香里さんが非行に走ってからは、本当に家族一丸で非行に取組んでいたのだろうけど、
本を出してブームになったことで、家族は結局崩壊してしまった。
母親は後に自殺し、由香里さん本人も35歳の若さで心不全で亡くなってしまう。
遺体は死後5日経つまで発見されなかった。

わたしは高校生の頃、「積み木くずし」が図書館にあったので読んだことがあるのだけど
本の中で由香里さんのプライバシーに関する配慮はまったくされていないように思った。
いくら有名人の娘とはいっても、由香里さんは当時まだ中学生の女の子だ。
シンナー吸引や家庭内暴力の事実を、実名で書かれて問題視されなかったのか疑問だ。
本人が成人した後に、本人の承諾を得て公表されるならまだわかる。
やっと立ち直りかけた矢先に本を出すのは、いくら当時とはいえおかしいと思わなかったのだろうか。
仮に本を出すことに由香里さんが同意していたとしても、中学生では本にどれだけの
影響力があるのかはわからないだろうし、その結果自分の人生がどうなるかなんて
想像もつかなかったに違いない。

穂積隆信は、由香里さんが逮捕されたあとも、何回も彼女に関する本を出している。
彼女が16歳で逮捕されたときには、積み木くずしの続編として本を書いた。
そう考えたら、彼女は未成年で逮捕されて実名報道がされた数少ない例だといえる。
(ニュースや新聞では、さすがに名前が伏せられていたのかもしれないけど)

彼は2003年に彼女が亡くなったときですら、そのことをネタに本を書いていた。
当時わたしは書店でこの本を見かけたのだが、「『積み木くずし』には書かれなかった真相!」
みたいな文言がおびについていたように記憶している。

穂積隆信が、自分自身のプライバシーを勝手に公表するのはかまわない。
しかし、由香里さんのプライバシーを世間に曝しつづけ、彼女を辛い目に遭わせたことははたして許されるのか。
「積み木くずし」がなかったら、彼女は順調に更生し、楽しい人生を歩んでいたかもしれない。
家族にも恵まれ、孤独な死をさけることも出来たかもしれない。
死後もなお、由香里さんのことをネタにして本を出し、印税を得た。
もしかしたら、彼女が必死に生きていた姿をみんなにわかって欲しいという気持ちから
本を出したのかもしれないけれど、亡くなったあとぐらいそっとしておいてあげればいいのに・・・・と、
どうしても思ってしまう。

プライバシーを切り売りして、それで稼いでいる芸能人はたくさんいる。
他人のプライバシーを暴き立てる人もいるけれど、そういう人は批判的な目で見られることも多い。
家族の場合はどうなのか?自分の子どもなら、プライバシーを売り物にしてもいいのか?
「積み木くずし」の時代は少年非行が大きな社会問題になっていたので、
本が社会に与えた影響は、悪いものだけではなかったと思う。
ただ、主人公である由香里さんの人生にとっては、決していいものではなかったはずだ。

凶悪な少年事件が起きると、「顔と実名を曝せ」という声が必ずあがる。
わたし自身、少年法なんてなくしちゃえって思うこともあるし、事件によっては
実名報道が必要ではないかって思うこともある。
ただ、実名報道や顔写真の公表によるプライバシーの破壊が、罪を犯した人の
更生を阻害することもあるということもまた、事実だ。
特に、それが少年少女だった場合影響ははかりしれない。
結果的に、大人になってから再犯したのでは刑罰の意味もなくなってしまう。

よく、「被害者の実名や顔写真は公表されるのに、少年だからといって加害者の
プライバシーを保護するのはおかしい」なんて意見もあるけれど、これは変な意見だ。
本来なら「被害者のプライバシーを守れ」というのが筋ではないか。

死刑の問題同様、このことはわたしを悩ませる問題の一つだ。
なかなか答えを出せないから、考えるのを躊躇してしまう。
だからこそ、感情的な議論は避けないといけないし、感情をおさえる努力も必要だ。
まあ、感情を逆なでしたり、感情を煽り立てるニュース日記に書き込むのも
本当はあまりいいことじゃないんだけどね。
そんなことをいいながら、どうしても書いてしまうのだけれど。

経済戦争と武力戦争

雑記
12 /02 2009
最近、若い社会人にむけたアンケートで「能力主義、実力主義」を見直す傾向が
増えているというニュースを見たことがある。
かつては日本企業の悪習と見られていた年功序列を、復活させて欲しいと
願う人もどうやら増えているそうだ。
とにかく競争主義、成果主義という、市場原理主義を見直す傾向なのかな?
つい10年前までは、年功序列や終身雇用はとにかく批判対象だったというのに。

わたしはいわゆる「ロストジェネレーション」に入る。
たしかに同級生は就職も大変だったし、非正規雇用で働いている人がたくさんいる。
2~3歳下の子たちは就職活動は空前の売り手市場なんていわれていたっけ。
ところが、それも昨年のリーマンショック以降流れがかわって、
その下の世代の子たちは相変わらず厳しい就職戦線にいる。
これも大卒層に限った話で、高卒の若者などは以前からずっと厳しい雇用環境にある。
こんな状況だから、若者が「安定」を望むのも仕方がないだろう。

こういうアンケートやニュースを見るたびに、そのアンケートの信憑性が問われたり、
どのような人に対して、どのように行われたとかいつも話題になる。
引用文も何もなく、ただ単にわたしの記憶で書いているので何ともいえないけれど、
10年前は「実力主義」を望む若者が多く、今はそれを望まない若者が多いのは興味深い。

ひとくちに「若者」といっても駆け出しの新人から、30代半ばまでいるだろう。
10年前のアンケートで「実力主義を望みます」と答えた20代前半の新人サラリーマンが、
今回のアンケートでは「実力主義は望みません」と答えているかもしれない。

あまりたしかな記憶ではないのだが、あるテレビ番組で10年ぐらい前に、
同じようなアンケートをとったところ、
「給料は実力主義で」と答えた人は70%以上にのぼっていた。
その結果を見たコメンテーターが
「望んでいる人の大半が、能力給取り入れられたら給料さがっちゃうのにね」
と皮肉なコメントをしたことを覚えている。
おそらく、それが現実になってしまったのではないだろうか。

当時の若者は
「くっそう・・・・能力給が導入されたら、俺あんな仕事のできないオヤジより絶対に稼げるのにな!」
と思っていたに違いない。
ところが、いざ能力給が導入されたら、「仕事のできないオヤジ」より稼げるわけでもなく、
それどころか自分の給料はかえって下がってしまった。
協力していっしょに仕事をしていた仲間は全員ライバルになってしまい、誰も手伝ってくれなくなった。
バカにしていた「仕事のできないオヤジ」ですら自分には手を貸してくれない。
おまけに仕事のできて元気もある新人が入ってきて、自分よりも稼ぎ出すようになった。
給料は減る一方で、いつリストラの憂き目にあうかもわからなくなってきた。
「こんなハズじゃなかったのに・・・・」と、若者じゃなくなった若者は思っているのかもしれない。

もちろん、仕事を全然しない人たちが、がんばっている人よりもたくさん給料をもらっているのはおかしい。
だから、能力給とか実力主義というのは、決して悪い側面ばかりではない。
しかし、過剰な競争主義が日本に与えた影響は、むしろマイナス面が多いのではないか。
協力して人を育て、協力して仕事を成功させてきた日本企業を根本からぶっ壊してしまった。
・・・・と、いうのは評論家の書いた文章の受け売りなのだけど、いずれにせよ
「俺が、俺が」って前に出てくる人がたくさんいて、そういう人ばかりが評価される現状を
たくさん見てきたから、上の意見はわたし自身身にしみて感じていることだ。

「競争に勝つのはあなた次第」
「がんばれば出来る」
「人よりもとにかく前に出て!」
「何でもポジティブに!プラス思考に!」
ビジネス書の本棚には、こんなコピーがここ数年乱れ飛んでいる。
その言葉を真に受けて、「自分次第で成功はつかめる!」と思ってきた人は多いだろう。
ところが、残念ながら能力ばっかりは自分次第でどうにもならない部分はあるし、
努力次第といわれても、限界がある。
結果的に、「勝てない自分は悪い。努力できない自分は悪い」と自分を責める人が増えてきたはずだ。
精神を病む人が増えてきた。
悪いんじゃなくて、もともと自分はそういう人間なんだと受け入れれば楽なのに。

・・・・と、ここらへんは実は香山リカの「しがみつかない生き方」の受け売り。
人の書いた文章に感化されやすいのはわたしの悪い癖だけれど、この本には心底納得しちゃったね。

しがみつかない生き方―「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール (幻冬舎新書)しがみつかない生き方―「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール (幻冬舎新書)
(2009/07)
香山 リカ

商品詳細を見る


ところで、上に書いた「競争主義を望む若者」のような例はは、最近妙に右傾化している若者と非常によく似ていると思うのだ。
「核武装がタブーなのはおかしい。日本も軍備増強して、中国や北朝鮮から国を守れ」と
叫んでいる若者(・・・・だと思われる。幼い文章が多いから)が、ネットを中心に急速に増えている。

「憲法9条は押し付け憲法だ!改憲して日本にも軍隊を!」
そう叫んでいる人たちは、果たして戦争になったとき、自分が戦地に赴く覚悟はあるのだろうか?
日本の軍事化が進むと、兵役の義務が復活し、徴兵制が始まるかもしれない。
自分が戦地に行き、よその国の人を殺したり、自分が殺されることを考えているのだろうか。
戦争になったら、まっさきに戦地に行かされるのは若者だというのに。

「はぁ?そんなん自衛隊のやつらが行けばいいじゃん。俺には関係ねぇよ」
と、無責任なことを言う人もいるだろう。
あるいは、「徴兵制が始まったら、喜んで戦争に行く。家族や大切な人を守るためなら命なんて惜しくない」
と、そんなカッコいいことを言う人もいるに違いない。
いずれにせよ、どちらの人も戦争の実際を知らない。

戦争中の悲惨な話をすると、そういう人たちは
「また反日サヨクが戦争を否定して・・・・」
と、顔をしかめるのだけど、実際に戦争被害者のきずあとややけどの痕は、
「反日サヨクのプロパガンダ」なんかじゃなく、まぎれもなく戦争の「リアル」そのものだ。

原爆資料館やひめゆりの塔に行って、被害者の声を真剣に聞いて、
それでも「軍隊は必要だ。核は必要だ」と思うなら、それは立派なものだと思う。
ただ、多くの右傾化している若者たちは、「ハイハイ、そういう反日サヨクの感情論はいらんからね」
受け流しているように思われるのだ。

そして、いざ戦争になったときに、自分が悲惨な目にあう想像力はない。
戦争は怖くて、痛くて、不潔で苦しいものだ。
ゲームでもなければ、ドラマや映画でもない。
だからわたしは戦争は絶対に嫌だし、徴兵制が始まったらスタコラサッサと逃げてやる。
「9条改正!核武装!」と叫んでた人に、責任を持って戦争に行って欲しい。
・・・・でもそうもいかないんだよね。
戦争なんてこれっぽっちも望んでないわたしも、戦争に行かなけりゃいけない。

競争主義を望んだ若者が、競争社会に敗れて安定した雇用を望むのは仕方ない。
だって、競争主義の導入で、幸せになれると信じていたのだから。
しかし、戦争を望んだ人たちが、戦争で家族を失い、自分の手足を失ってやけどだらけになって
平和を望んだところで手遅れなんじゃないか。

「痛い目にあう」が有効な時もあれば、痛い目にあってからじゃ遅い時もある。
だからこそ今、落ち着いて考える時なんじゃないだろうか。

和江さん

30代シスジェンダー(?)ゲイ。

日本の片隅にひっそりと暮らしている。
お仕事は福祉系。


マドンナが大好き。


リンクフリー、トラックバックやコメント大歓迎です。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。