ゲイなのに、嗚呼ゲイなのに、ゲイなのに

雑記
10 /31 2009
「自分ってゲイなのに、ゲイっぽくないなあ」と思うことがある。
ゲイ雑誌を読んでいて感じる違和感、ゲイと話をして感じる違和感、
ゲイブログを読んで感じる違和感・・・・とか、そういう深刻なことじゃない。
基本的に性的指向で一括りにしても、みんなそれぞれ違う個人だから
そんなん違ってて当たり前だと思う。

わたしのいうところの「ゲイっぽくない」というのが何かっていうと、
「ゲイのくせに美人の前ではカッコつけたがる」等の、自分の行動だ。
気心知れた女友達の前では「あたしさ~」とか言ってるのに、
美人の前では「僕はね」なんて言ったりする。
無意識でやっている行動なのだが、男らしさを演出しているようなのだ。

我ながら、女の前で男らしくふるまったところで何のメリットもないと思うのだが、
どうもきれいな女性や、素敵な女性の前では男らしくふるまおうとする。

多分、美人には「好かれたい」っていうより「嫌われたくない」という
心理が根底にあるんじゃないかなあ~と考えている。

ゲイの中には、非常にミソジニー(女性嫌悪)的な傾向の人もいるし、
「女なんて全員死んだらいい」みたいな発言をする人もいるのだが、
わたしはそんなこと全く思わないし、そんなこと言うあんたが死ねよって言いたくなる。
まあ、そういう過激なのは稀だとしても、「女は苦手」「女には興味ない」っていうゲイは非常に多い。

わたしは女友達が多いし、女に嫌悪感を持ったり苦手意識もないのだが、
ある意味女嫌いのゲイの方がわかりやすいよな。
わたしみたいに、きれいな女の人が好きだったり、美人の前でカッコつけるゲイの方が
何だかわけのわからん存在だと思う。

その他わけのわからんところといえば、セーラー服を見るのが好きってことだ。
誤解のないように言っておくと、セーラー服姿の少女が好きなのではなく、
セーラー服っていう服装が好きなんだよね。
じゃあおばさんがセーラー服を着てもいいかっていうと、それはそうじゃなくて
高校生の子がセーラー服を着てる、あの清楚な雰囲気が好き・・・・って、
何だかまたノンケのセーラー服オタクみたいなこと言ってるわ。
「ゲイならセーラー服より学ランだろうが!!」って思うけどね。

ちなみに、イモトアヤコは非常に好きである。



ついに笑っていいとも出演!
それも、母校の制服で出とるやん!(彼女はわたしの高校の後輩)

ちなみに、セーラー服以外では着物とか、ロングドレスとか
そういうのも好きなんだよね。
きれいな女がきれいな服を着ているのを見ると、本当に目の保養になる。
多くのゲイにはこういう気持ちわかんないだろうなあ。

まあ、そういうゲイっぽくないところがありつつも、
残念ながら「ノンケっぽい」と売りに出来るほどゲイっぽくないわけではなく、
見た瞬間にゲイってわかるほど、オカマオカマしているらしい。
それはそれでいいんだけどね。

そういえば、以前akaboshiさんのブログで見た動画で、
ゲイの男の子が
「僕が中高生の頃は、モーニング娘。の全盛期でした。
男の子はみんな大好きだったけど、僕は興味が無いので
話についていけなくて辛かったです」。
と話している動画があった。

akaboshiさん自身、
「僕は女性アイドル好きだったから、こういう気持ちわからないなあ」
と書いていらっしゃったけど、わたしもakaboshiさんの感覚に近いかも。

女性アイドルの熱狂的なファンには、ゲイの男性がかなり含まれている(と、思う)。
ネットやゲイ雑誌を見てもアイドルネタが多いし、リアルで会ったゲイの人も
わりとアイドル好きな人多かったんだよね。
特にモー娘。好きなゲイはたくさんいるから、中高生の頃モー娘。で
盛り上がったっていうゲイの男の子はたくさんいるんじゃないかなあ。
だから、「ゲイは女性アイドル好きが多い」みたいなステレオタイプが
出来上がってて、上記の男の子のような人は逆に新鮮だった。

まあ、考えてみれば男大好きなゲイが、女の子に熱狂しているのも不思議といえば不思議かも。

何が言いたいかって言うと、「女に対する興味」もゲイによって様々ってことだ。
わたしはどちらかというと、女に対する興味がある方だと思うけれど、
じゃあバイセクシュアルなのかっていうと、それは少し違うんだな。
我ながらわけわからんけど。
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ポルノに物申す

性的な内容
10 /29 2009
sexymanunderwear

わたしが実家暮らしということもあって、彼氏とゆっくりする時は大抵ラブホテルだ。
以前はラブホテルというと、何となくいかがわしい場所というか
セックスをするための場所って感じがしていたのだが、何回も利用していると
普通のビジネスホテルと変わらないと思うようになった。
2人で入ると安くあがるし、田舎だから車で入るところしかないので、誰とも顔を合わせないで済む。
大画面でテレビも見れるし、映画も見れる、お風呂は大きくてきれいだし、まさにいいこと尽くめだ。
何人かで旅行する時は、ビジネスホテルよりラブホテルを使った方がいいんじゃないかな。

ラブホテルのいいところかどうかはわからないけど、CSのアダルトチャンネルが
無料で見れるのもノンケ男子にとってはお得なところかもしれない。
普通のビジネスホテルだと、有料になっちゃうからね。
まあ、わたしや彼氏にとっては何のありがたみもないのだけれど、
ああいうのってたまにネタとして重宝する代物があるので、おもしろい。
チャンネルまわせば、おばあさんがセックスしているビデオが流れてて、
彼氏ともども「ぎょえぇぇぇぇ~~~!!」ってびっくりしたこともある。
っていうか、これに需要あるわけ!?って思ったのだけど、
需要があるからこそテレビで流れてるわけだし、アダルトビデオも発売されているわけだ。
ゲイ専門のアダルトチャンネルはないから、多分ゲイよりも需要があるのだろう。

おばあさんがセックスしているのもすごいけれど、それ以上に呆然としてしまうのが
セックスの合間合間にやってる妙な小芝居だ。
芝居というか、セックスの前段の「設定」というべきかもしれないが、
もううそ臭くてわざとらしくて、ついついゲラゲラ笑ってしまう。
そりゃ、こういうのを見てる人に演技力は期待されていないんだろうけどさ。
いい加減「AV女優」とか「AV男優」っていうのやめようよ。
演技していないんだから、女優でもなければ男優でもない。
ただカメラの前でセックスしているだけで、往年のロマンポルノの
女優さんや男優さんとは、全然違うよね。
下手に「女優」だなんて呼ぶから、芸能界へのステップになると勘違いして
AVに出る女の子が出てくるんじゃないのかな。

飯島愛は別格として、及川奈央や蒼井そらなんて、あれは芸能人じゃないと思う。
ただ単に、AV女優がテレビに出させてもらってるだけだ。
「女優」っていう肩書きがついているから、テレビ女優や映画女優のステップアップに
つながるような錯覚があるけど、セックスの合間の小芝居なんてドラマや映画の演技にはつながらない。
はや送りされて、ほとんど見られないところに演技指導までしないだろう。
ドラマや映画に出たいなら、俳優の養成所に入った方がよっぽど手っ取り早いはずだ。

ロマンポルノの女優さんや男優さんに演技派が多いのは、売れない役者だった
人たちが、生活費を稼ぐために出演していたからだと思う。
スタッフや監督も、一般映画出身の人たちだから、作品としてはいいものが出来ている。
AVは製作者も映画とは無縁の人たちだし、芸能界とは無縁だよなあ。

ただ、別にわたしはAVを非難したりしない。
AVは、あくまでオナニーするための道具であって、エンターテイメントじゃない。
それはゲイビデオだって同じこと。
本格的な演技が見たなら、一般映画を観ればいいだけだ。
演技のともなったエロスが観たければ、ロマンポルノを観ればいい。
ちなみに、ゲイピンク映画というのもあるらしいのだけど、いまだに観たことがない。

ん~、ただね「女優」とか「男優」ってつけて、あたかも芸能界の端くれみたいな
印象操作をするのがどうも気に入らないというか。
AVは芸能界っていうよりは、風俗産業に近い気がする。

まあ、下手くそな小芝居やって女優ごっこや俳優ごっこをするのもよいのだけど、
見ていて正直ムカッとくるのもあるんだよね。
こないだたまたま彼氏と見ていたのが、AV女優が男優のスカウトをするような
内容で、セックスの内容によって合格か不合格かを決めるような内容だった。
それ自体はよいのだけど、見ているとAV男優のテストっていうよりは
男性としてセックスの上手下手を判断されているようい見えてくるんだよね。

そんで、何にムカッときたのかっていうと、AV女優が出演している男の子(童貞という設定)が
射精するときにコンドームの中に出してしまったことに対して
「セックス自体はよかったけど、精子はお腹の上か顔に出そうね~。残念だったな」
と指導みたいなことをしていたのだ。
AV男優としては、お腹や顔に精子をかけるのがいいのかもしれないけど、
このシーンだけ見たら、セックスする時は、顔やお腹に出すのが「正解」みたいじゃないの。
女の子がそうされることを望んでいるような描写じゃないの。

別にさ、カタいことは言わないんだけど、こういうの見るとすごく嫌なんだよね。
こういうのを見て、これがまともなセックスだと勘違いする人がいると思うと、哀しくなる。
非常に個人的なことなのだが、わたしは顔に出されることほど嫌なことはない。
精液が嫌だとか、そういうことじゃなくて目に入るとしみるし、肌が弱いからかゆくなってくるんだよね。
大体かけられる方にとっては、精神的にも肉体的にも、何の満足も得られない。
誰が考えたんだか知らないけど、こんなセックスとっとと廃れて欲しいのよ。
女の方から望んでいるなんて描写なんてもってのほかだ。

悪影響があるから、ポルノ規制しろって考え方ではない。
ただ、ポルノを作る側も、もう少し考えて作ってほしいとは思うんだよね。
ポルノやゲームの影響で犯罪が増えるってのは極論だけど、
まったく影響がないと断言するのも間違いだと思う。
げんに、顔やお腹に射精するのが「普通のセックス」だと勘違いしている
ノンケ男もゲイ男も、非常に多いのよ。
幸いにして、うちの彼氏はそこらへんまともな感覚だけど。

それにしても、思いがけず過激な記事になっちゃった。
たまには、こういうのもいいかな。

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みんなのセクシュアリティ

雑記
10 /28 2009
gay-.-

セクシュアリティに関ることって、数年で状況が変わってしまうことが多い。
特に近年はその傾向が強いんじゃないかなあ?
TSとかGIDとか、MtFとかFtMなどは数年前から知っていたけれど、
最近はMtXとかFtXという人たちも注目を集めている。

簡単に、少々乱暴な解説かもしれないけれど、一応しておくと
MtF(Male to Female)という人たちは、男性の体で生まれたが
体の性別に違和感を感じ、女性の体に移行したり、移行しようとしていたり、
あるいは移行したいと考えている人たちのこと。
FtM(Female to Male)の人たちは、その逆パターンで、女性の体から
男性の体へと移行する人たちのことだ。

生まれついた性と異なる性に移行する場合でも、どの程度移行したいかは個人によって異なる。
その人が本来望む性は、本当に十人十色だ。

MtXやFtXはそれぞれ、「Male to X」「Female to X」のことであって、
自分の生まれついた性別に違和感を持っていても、だからといって他の性別に
移行したいというわけではない・・・・という人たちのことだ。
これは、治療にあたっているお医者さんたちもどう対処していいか困っているらしい。

こんなん言ったら問題があるかもしれないけど、ゲイやレズビアンの人たちは
それぞれのセクシュアリティについて説明するのが、わりと簡単だと思う。
「わたしは男だけど、男が好きなの」「わたしは女が好きな女なの」で済むわけだから。
いや、もちろんそれで済まないことはわたしも経験上わかっているのだが、
GID(いわゆる性同一性障害)の人たちに比べると、まだ単純だもの。

セクシュアルマイノリティの人たちが、非常に辛い思いをするのは
周りの人たちに「理解されないこと」じゃないかと思う。
例えば、わたしがゲイだとカムアウトした時だって
「それって女の子になりたいってこと??」
「男っぽい女の人だったら大丈夫なんじゃない?」
とか、まあ見当違いな質問たくさんされちゃったからね。

ちなみにFtMの人を見て本当にドキドキしちゃったこともあるので、
後者の質問は必ずしも的外れではない・・・・というのはどうでもいいんだけど、
こういう見当違いな質問をされる度に
「あのね、まず性指向と性自認に関して・・・・」という説明をクドクドと始めなければいけない。
非常にしち面倒くさい説明だから、わかってくれない人もいるから辛いんだよ。

そうはいっても、ゲイやレズビアンの人たちはまだわかりやすいし、
わかってもらえることが多いんじゃないかなあ。

例えば、MtFのだけれど、好きになるのは女性というパターンの人はどうだろう?

男性の体で生まれて、好きになるのは女性だった。
でも小さい頃から男性の体に違和感を感じ、性別適合手術をして女性の体を手に入れた。
女性としかつき合ったことないです。
今は彼女募集中です。

こんな場合、セクシュアリティに関して無知な人は
「は?この人オカマ?ゲイ?レズ?っていうか何もの???」
なんていう疑問を持ってしまうかもしれない。
そういう人に対して、説明をするのは非常に難しいと思われる。

ましてや、MtXやFtXの人に関してはなあ・・・・
実のところ、こういう記事を書いているわたしだって、
彼ら、彼女らの気持ちは理解できていないと思う。
もしかしたら、ひどい書き方をしているんじゃないか?って不安にもなる。

「LGBT」とか「セクシュアルマイノリティ」という言葉で一括りにされても、
それぞれ考えていること、思うことは違う。
それに同じセクシュアリティの人だからといっても、個人個人でそれぞれだ。

わたしだって、このブログでゲイに関して色々書いているけど、
わたしの書いている内容に関して反発を覚えるゲイも少なからずいる。
「お前みたいなバカと一緒にされたくないんだよ!!」っていう
非公開コメントを何回ももらった。
同じセクシュアリティの人からこんな批判を受けるとは・・・・と思った。

セクシュアリティに関する問題は、本当に複雑化して多様化している。
みんながみんな、お互いのセクシュアリティに誇りを持ち、楽しく生きていける
社会になったら本当にいい・・・・と、何年も願いつづけている。

非常に残念だけれど、この社会には性を「男と女」だけにしたい人たちもいる。
こんな時代になっても
「ゲイは人格障害です!心療内科に行ってカウンセリングを受けて、治療しなさい!」
なんて言われると本当にがっかりするんだよね。
こんなことを言う人には、何を言う気もなくしてしまう。
セクシュアリティに関して説明しようとすると
「言い訳はやめて、まず病院に行くなり努力したら?そのままでいいと思ってるの?」
なんて言われちゃうんだからね。

この分野に関しては、研究は進んでいるのは確かだと思う。
でも、みんなの「生き辛さ」は結局のところ変わっていないんだよね。
だからこそ、わたしは一人一人を大切にして、色んな人たちを理解していきたい。
交流の輪を広げ、色々な人たちの心に触れていきたい。

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久々にセックスのこと

雑記
10 /21 2009
非常に下世話な話で申しわけないのだが、職場のKくんから
職場の女性Fさん(29歳)が処女だという話を聞いた。
以前いたスタッフの一人とつき合っていたという噂もあって、
どうやらそれも事実らしいのだけど、セックスはしていなかったという。

「Fさんは結婚するまで処女を守りたいようです」
と、Kくんは言っていた。

一体全体Kくんがどこからそんな情報を仕入れてくるのかわからないし、
本当かどうかなんてわかりっこないのだが、
「結婚するまで処女」という言葉にはちょっと衝撃を受けてしまった。

多分、男女問わず今20代の人でそういう考え方をしている人はほとんどいないと思う。
いや、アンケートをとったわけでもないし、あくまで周りの人の意見を聞いただけだから
何の信憑性もないのだけど、周囲のほとんどの人は結婚前にセックスの経験があると話している。
仲良くなるとセックスに関する話をすることもあるし、セックスしていることをうしろめたい
なんて考えている人はほとんどいない。っていうか、まったくいない。

「結婚するまでは処女」ってブリトニーが言っていたぐらいだよなあ。
でも、よく考えたら数十年前までは、それが普通の考え方だったんだろう。
クリスチャンの人たちは、まだそういう風に考えている人もたくさんいるに違いない。
独身者がセックスするのが普通っていうのも、わたしの思い込みなのかなあ。
少なくとも、昭和40年代~50年代の小説を読んだりすると、そう考えている人は
少なからずいたように思われる。
でも内田春菊の漫画を読むと、1980年代の若者も結構自由にセックスしているような
感じがするから、昔も今もセックスに関しては色んな考え方があったんだろう。

まあ、今の若者だって「セックスしていい基準」みたいなのはあるよね。
それは案外人によってバラけているような気がする。

「本当に好きな相手じゃないとセックスしたらダメ」
「つき合っていないとセックスしたらダメ」
「責任のとれる年齢になるまでは、しない方がいい」
「興味本位でしてはいけないと思う」

そういえば、高校生の頃友達とこんな話をしていたっけな。
今考えると、童貞トーク炸裂だけど。笑

わたしの場合、大して好きでもないし、つき合ってもいない人と、
自分で責任のとれない年齢で、めっちゃ興味本位でセックスしてしまった。
でも、わりと多いんだよね。
「初体験は興味本位で」っていう人。

ゲイの中には「セックスはスポーツ!色んな人と楽しくやるのがいい!」って考え方の人もいる。
それはそれで否定しないけど、そういう人は好きな人とのセックスを経験したことがないのかな?
ぶっちゃけわたしも、好きでもない人とセックスしたことあるけど、ああいうのって
自分の体がどんどん空っぽになっていく感覚がするんだよね。
そうでない時は、やはりその人に少しでも好意を抱いている時だ。
この場合、相手が「セックスはスポーツ!」だとさらに辛い。
好きな人と、愛情をもってするセックスの暖かさの方が、わたしには大事だ。

まあ、セックスっていうのは非常に個人的な問題だから、色んな考え方があってしかるべきだ。
ただ、貞操が絶対視されたり、セックス経験のある人(特に女性)に対して、
「キズモノ」呼ばわりするような時代でなくなったことは非常によいことだと思う。
そのかわり、今では処女や童貞に対して批判的だったり、侮蔑的なことを言う人が多い。
これはこれで、ちょっと問題だよね。

職場のKくんも、実はちょっとFさんのことを気味悪がっているような口調だった。
正直、わたし自身もちょっと変な目で見てしまう。
結構わたし自身も差別的だし、少数意見を尊重できない人なんだなあ・・・・と感じてしまった。
「色んな考え方があっていい」とか言いつつ、変わった考え方の人に対して偏見を持ってしまうのだ。

非常にいやらしい考え方だけれど、成人しているのに処女や童貞だと
何か欠陥がある人のような感じがしてしまうのだ。
どんな魅力的な人でも、宗教的な理由でセックスしない人はいるし、
セックスに興味のない人だっている。
セックスしているからといって偉いわけでもないし、無理にする必要もない。

そうなんだけどね。

セックスに関する話って、下世話だけど楽しいしおもしろい。
ただ、意外に深いし、色んな気づきがある。
たかがセックスだけど、されどセックスなのだ。

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いろんなものに「ありがとう」

雑記
10 /18 2009
我ながら倹約家というには程遠い・・・・っていうよりは
むしろ浪費家に近いわたしなのだが、それでもちゃんと貯金に励んでいる。

「ん?定期預金でも組んでるの?」と思う人もいるかもしれないが、
わたしの貯金方法とは、

cthokinvaco

これ、貯金箱。
もっとも原始的かつ、非常に確実な貯金方法だ。

もしかしたら、左の貯金箱にデジャヴュを感じる人もいるかもしれない。
2007年1月21日の記事「千里の道も一歩から」にも登場している。

千里の道も一歩から、といいつつ多分まだ120里あたりをのろのろ進んでいるのだが、
それでもまったく進まないよりはいいと思っている。
500円玉貯金と100円玉貯金を並行してやっているので、飽きないように、
効率的に貯められるように、自分では工夫してやっているつもりだ。

ちなみに、「とりあえず始めてみよう」と思った貯金なのだが、
一応今のところ貯める目標が出来ている。
どんな目標なのかっていうと、新しいパソコンを買うことだ。

今まで、特に書いたことはないのだけれどわたしが使っているパソコンは
10年前に買ったWindows98なのだ。
今では様々な部分に支障をきたしているのだが、それでもぶっ壊れずに
がんばってくれているまさに名機だ。
大学時代に使っていたWindowsMeはぶっ壊れて、押入れのすみっこで眠っている。

定期的にいらないものを削除したり、デフラグしたりするとそれも動いてくれているのだけど、
あまりこき使うのも可哀想だから、はやく引退させてあげたいと考えているのだ。
そのための貯金なんだけど、千里の道も一歩一歩だとなかなか貯まらないんだよね。
少しずつ重たくなっていくと、ちょっとほっとする。

98よ、ありがとう。もう少し(?)の辛抱だ、がんばれ。

それにしても98使ってる人、今ほとんどいないよなあ。
アクセス解析で、このブログを閲覧している人のOSを見たところ
XPが2,349人 、Vistaが918人、2000が73人、98は54人、Meが41人だった。
98の数字にはわたし自身が見ている数も含まれている(っていうかそれだけ?)だろうから、
大半の人がXPでVistaも増えつづけているってとこだろうな。

でも考えてみれば、Windows98って前世紀のものなんだよね。
世紀をまたいでるんだよ。すごい。
来年は2010年代に突入しちゃうんだもんなあ。
90年代も遠くになりにけりって感じだ。

90年代に比べたら、色々劇的に変化している部分はたくさんある。
街の風景も、ほんの少しだけれど変わってきた。
だけれど、世の中には変わるものと変わらないものがある、ってことも思うのだ。

電子マネーとか、ネット株取引とか、色んなことが広まってきても
一番着実で、どんなものぐさな人でもお金を貯めることが出来るのは、やはり貯金箱。
これは恐らく未来永劫・・・・とまではいわないまでも、ここ数十年は変わらないはずだ。

技術的な面だけじゃなくて、社会もここ10年のうちに大きな変化があった。
世界も、日本も、政治も経済も色々な分野で劇的にものごとが変わっている。
ゲイをとりまく状況も、よくも悪くも異なってきていると思う。

ただ、どんなに時代が変わっても結局大事なのは人と人との結びつきであったり、
優しさとか思いやりとか、誠実さとか、そんなものじゃないだろうか。
これは未来永劫、普遍で不変の事実に違いない。

・・・・と、ずいぶん壮大なことを柄にもなく書いてしまったのだが、
そんなわたしは今日誕生日なのです。
27歳になりました。
いいじゃないか。こういう日ぐらい偉そうなことを書いたって。

このブログ始めた当初は、まだまだ22歳のピチピチボーイだったんだよね。
ピチピチというか、体はブヨブヨだったし、今もブヨブヨですが。苦笑
こんなに長くブログを続けてくることができたのも、日々閲覧してくださる皆さんのおかげです。
本当に、本当にありがとうございます。

誕生日はこれまでの自分の人生に感謝する日であり、その人生を支えてくれた
人たちに対しても感謝する日だと思っている。
27歳になったわたしも、どうかよろしくお願いします。

最近のわたしと彼氏

雑記
10 /17 2009
先月彼氏くんが来てくれたときに、街の夜景スポットを見に連れて行ってあげた。
職場のKくんに教えてもらった絶景の夜景スポットで、知る人ぞ知る穴場だった。
実は以前も行こうとしたのだけれど、道に迷って行けなかったのだ。
今回は無事に着くことが出来た。
何度も下調べをしたというのは、ここだけの話。

ついた途端、彼氏くんの口から出た言葉は
「うわぁぁぁぁぁぁ~!!きれいぃぃぃ~~!」
うーん、そうだろそうだろ、まさに絶景。
街全体が見下ろせる絶景スポットなんだよね・・・・・
・・・・と、内心満足していたのだが、彼氏くんが見ているのは夜景ではない。
彼の目は街を見下ろしておらず、空の上を見上げている。

「こんなきれいな星空!初めて見たよ!」
そう、彼氏くんが見ていたのは実は星空。
オイオイ、わたしは夜景を見せに連れてきたのですぞ。
そう思って空を見てみたところ、これがびっくり。
真っ暗な空に、一面粉をちりばめたような星空。
都会育ちの彼氏くんにとっては、夜景なんて見慣れているものだろう。
逆に星空の方が物珍しかったに違いない。

夜景を見せたかったわたしとしては、ちょっと拍子抜けだったけれど
喜んでいる彼氏くんの顔を見るとうれしかった。
キラキラとした夜景もきれいだったんだけれど、満天の星空もまた雄大で
何かのパワーみたいなものを感じる。(っていうと、何だか宗教くさいけど)

その日はちょうど彼氏くんの誕生日だった。
いいプレゼントが出来たかな。

実はその翌日に喧嘩もしたし、本当に別れるかもしれないと思った。
何とか仲直りは出来たけれど、今回は辛い喧嘩だった。
素敵な一日のあとに、どうしてこうなってしまうんだろう・・・・・と。

喧嘩は必要っていうけれど、やはり喧嘩はしたくない。
笑って過ごせる方が、よっぽど楽しい。

実は今週も来てくれた。
今回は喧嘩はまったくなし。
だからといって、気を使って話も出来ないってわけではない。
本当に楽しく過ごせた。

以前から、彼氏くんにあることを頼まれていた。
今までは渋っていたけど、今回は思い切ってやっちゃったよ。

何をしたかっていうと、
海に向って
「すきだぁぁぁぁぁぁぁっ」
って叫ぶこと。

ちょっと恥ずかしかったけれど、一度やってみると楽しい。
70~80年代の青春ドラマって感じが、レトロでいい。
しかし、これには彼氏くんの方が慌てちゃって
「あわわ、何でそんなことするの!!?」ってなっちゃった。

「Naoがして欲しいって言ったからだよ」
って答えたけれど、彼氏くんの顔は真っ赤だった。

一つ一つ、素敵な思い出が出来ていく。
ありがとうって言葉だけでは伝わらないぐらい、感謝の気持ちでいっぱいだ。

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みんなが一人のために

雑記
10 /17 2009
昨日テレビのニュースを見ていたところ、どうやら夫婦別姓法案が
実現に向けて着実に進んでいるらしい。
だいぶ以前から議題としては上がっていたと思うけれど、ここにきて
ようやく現実のものになりそうだ。

わたし自身はいいことだと思うのだが、どうやら反対している人も多いらしい。
テレビの中でやっていた電話調査でも、反対派が圧倒的多数だった。
今でも仕事場では旧姓を使う人がたくさんいるし、名字が変わるのを
嫌がる女性もたくさんいる。
現実問題として、夫婦別姓を望んでいる人がたくさんいるのに、
わざわざ積極的に反対する必要はないと思うのだが。

街の声に「やっぱり結婚したら同じ姓がいいよね」とか、
「わたしは絶対に嫌です。名字変わらないのなら結婚しません」ってのがあった。
別にさ、あんたに夫婦別姓を強要しているわけじゃないでしょ。
そもそも、「選択的夫婦別姓」なんだから、姓を一緒にしたい人はすればいい。
法案が通ったところで、今夫婦同姓の人たちには特に関係がないだろう。
嫁さんが旧姓に戻りたいと言ったなら、嫁さんに文句を言えばいいだけの話だ。
すでに必要としている人がいるのに、自分にとって気に入らないからって反対するのはエゴの押し付けだ。
そこらへんを勘違いする人もどうかと思うし、そのまま「街の声」として流すテレビ局もテレビ局だと思う。

喩えていうなら、同性婚が現実になったとして
「えー!わたしは異性と結婚したいからそんなのには反対します」
って言っているようなもんだよね。
ま、多分同性婚が現実化してきたらそうやって反対する人も出てくるだろう。

異性のカップルに認められている権利を、同性カップルに広げるだけで、
別に異性のカップルの権利をおびやかすわけではない。
認めて欲しいと心から願っている人たちもいるのに、気に入らないからっていう
理由だけで反対する人たちがいるのが情けない。

自分には関係ないから、自分は嫌だから。
そういう理由で少数派の意見を摘み取ろうとする人たちが多すぎる。

障害者自立支援法だって、障害者の皆さんやご家族に障害者をお持ちの
方たちは必死になって反対してきた。
世の中の大多数の人たちが健常者だから、障害者の皆さんのことなんて
考えなかった結果だと思う。
後期高齢者医療制度だってそうだ。
うちの祖母のように認知症になってしまったお年よりや、寝たきりになってしまった
お年よりは投票所に行くことが出来ない。
体の自由が利く若い人が、お年よりのことなんか考えもしないで
自公政権に投票しつづけた結果がそれだ。

民主主義って、結局は多数派の数の暴力なんだよね。
それは自公政権の時も同じだし、民主党政権になっても同じだと思う。
少数派の、声なき声を拾ってこそ民主主義なんじゃないかな。
そして、多数派が気づかない少数派の意見を表に出してあげるのもメディアの役目だ。

多数派は少数意見を無視し、メディアは多数派に媚びる報道を垂れ流しつづける。
ひどく残酷で、いやーな世の中になってしまった。

政権は変わったけど、世の中簡単には変わらないだろう。
ため息しか出てこないね。

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ブロガーの悩み

雑記
10 /13 2009
わたしがこのブログを始めたのは2006年の8月からだ。
といっても、FC2ブログで「ため息の理由」を始めたのがその頃で、
違うブログサービスで2005年の5月から書き始めている。
以前使っていたのは、マイクロソフトのブログサービスだ。
http://home.spaces.live.com/?showUnauth=1&lc=1041
これがハンパないぐらい使いにくかったのよ。
その時はタイトルも今とは違っていた。

その頃書いていた記事は、コメントも含めて全てこのブログに移しているから、
過去ログの日付は2005年の5月から始まっている。
ちなみに記事のお引越しは全て手作業(コピー&ペースト)で行った。
記事のインポートやエクスポートなんていう、親切なサービスは当時使ってた
ブログサービスにはなかったんだもん!
当時既に記事の数は100以上あった。
我ながらど根性で、よくもまあやり遂げたもんだと思う。

そんな経緯があるので、「このブログいつからやってるんですか?」って訊かれると
何と答えていいのかわからなくなるときがある。
FC2で「ため息の理由」がスタートしたのは2006年8月だし、
「Kazuccine」としてブログを書き始めたのは2005年の5月なので、
どちらを「このブログのスタート」と定めたらよいのか、自分でも迷っちゃうわけだ。

そんなもん、別に好きなように答えたらよいと自分でも思うのだけど、
わけのわからんところで、きっちりしたがるのがB型気質なのよね。

ブログをやっている人が「お引越し」をするのはよくあること。
大体そういう場合、新しいブログサービスにアカウントを作って、
「○○のブログⅡ」みたいな感じで始める場合が多い。
その場合、前身の「○○のブログ」はそのまま残しておくパターンと、
全ての記事を削除してしまうパターンがある。
いずれにせよ、こういった場合
「このブログは2年前から書き始めています。以前は別のところで書いてました」
という風に説明したらいい。
いうなれば、「古いブログと新しいブログは別物」方式だ。

あるいは、新しいアカウントを作って記事のエクスポートという便利な機能を使い、
タイトルも同じまま、しれっと「○○のブログ」として続ける場合もある。
こういう場合、大抵は古いブログのアカウントは削除してしまうだろう。
この場合なら
「このブログは4年前から書いています」と一言言ったらいい。
ブログサービスを変えただけで、「ただのお引越し」方式とでもいおうか。

ところがこのブログの場合、どちらでもないんだよね。
どちらかというと、「ただのお引越し」方式に近いのだけど、移転と同時に
タイトルも全く別のものにしちまったからなあ。
まあ、実はFC2で「ため息の理由」がスタートする以前は、タイトルが3~4ヶ月に
一度は変わるという、リンクしているブロガーさんにとっては非常にハタメイワクなことをしていた。
当時からリンクして下さっている、「乾いた大地に」のrumさんや、
「おいしいもの日記の」のkameさんなど、非常に迷惑をおかけしててしまったなあ・・・・と反省している。
この場を借りておわびをいたします。
タイトルとブログサービスを変えたので、何となく一貫性というか継続性がない。

かといって、「新しいブログと古いブログは別物」方式かっていうと、それも違うんだよね。
古い記事を全部移して、前のブログサービスのアカウントは削除してしまった。
前のブログサービスで書いていたものを、そっくりそのまま引き継いだわけだから、
全く別のものとはいえないんだよね。

うーん、非常に中途半端な状況だ。

そもそも、この4年間の間にブログの文体やスタイル、方向性、色んなものが変化してきた。
正直4年前に書いていた内容は、わたし自身、自分で書いたとは思えない代物だ。笑
何しろ、当時は一人称が「あたし」だったもんね。
ちょっとオネエなブログを目指していたのかも。

大体HNからして、本名の「Kazu」とマドンナの姓「Ciccone」を適当に組み合わせて
「Kazuccine」という変てこりんな名前にしてしまった。
後から、「そういえばこの名前何て読んだらいいんだろう?」と自分自身で疑問に思って、
2006年10月に、「みんなどう読んでいるのかな?」という記事を書いている。
その時は、「好きなように読んでください」みたいな感じで、特に名前の読みは決めていなかったのだが、
2009年3月に書いた「その名前、ちょっと待った」では「カズッチーネ」に決めている。

まあ、ようするに何がいいたいかっていうと、このブログは何から何まで
非常に適当にやっているっていうことだ。
うーん・・・・、ある意味とってもわたしらしいと思う。

でも、このブログの起源などという全くもってどうでもいい話や、
HNの名前の読み方というこれまたどうでもいい話を書くことで、
たくさん古い記事を読み返すことが出来た。
案外こういう作業って楽しいもんだね。

たまにはもと教師らしく

雑記
10 /11 2009
アルバイトで近所の子の家庭教師をしている。
以前からやっている中学3年の男の子と、その妹の小学校3年生の子だ。
小学校低学年の子どもを教えるのは初めてで、ちょっと戸惑うところもあるのだけど、
基本的にはまじめで熱心な子だから助かっている。

その子向けの問題集を見ていていろいろと思うところがある、
2011年の学習指導要領の改訂で、移行措置対策のページが載っている。
それ自体はよいことなんだけれど、今年度は使わないページもたくさんあって、
正直ちょっともったいないなあ・・・・って思っちゃうのだ。

問題集を作っている出版社の人たちも、指導要領改正には振り回されているに違いない。
結局のところ、「ゆとり教育」って一体なんだったんだろう?って思う。
ちょうどわたしが大学で教職の授業をとっているときに、新しい指導要領が施行されて
「完全なゆとり教育」が始まった。
いわゆる「円周率は3」という騒ぎが起きた、あの改訂だ。

「ゆとり教育」は実は1977年の改訂から既に行われている。
その時の改訂から一貫して、教える量は減らされる傾向にあった。
10代の子どもたちをさして「ゆとり世代」「ゆとりさん」なんて揶揄する言い方もあるけど、
実は今40代以下の人は全員「ゆとり教育」を受けて育っているんだよね。

2002年の指導要領改訂から、「ゆとり教育」は激しくバッシングされるようになったけど、
それ以前から警鐘を鳴らしていた人はたくさんいた。
わたしが高校の時には、「分数の出来ない大学生」「小数の出来ない大学生」なんて
本が出ていたし、テレビや新聞のコラムでもそういう話題が時々出ていたように思う。

でも、本格的にゆとり教育批判が巻き起こるまでは「詰め込み教育」「偏差値教育」批判ばかりが目立っていたような気がする。
いじめ自殺や少年が殺人事件を起こしたときも、「現代の詰め込み教育が・・・・」って言うコメンテーターはテレビにたくさん出ていた。

わたしが中学に入った頃は、業者テストもなくなって偏差値も出なくなっていた。
でも結局塾に行っている子たちは定期的に模試を受けていたし、偏差値も見ていたはずだ。
高校は進学校だったので、模試も偏差値も普通にあったけれど、それで別にいじめは起きなかったな。
ただ単に志望校を選択するデータの一つであって、偏差値に悩むことはあったけど
いじめや殺人事件につながるようなものとは到底思えなかったけど。
結局中学校から、業者テストや偏差値をとっぱらったことは、塾に通えない子どもたちを
受験から締め出しただけに過ぎない気がする。

偏差値も業者テストも撤廃されたけど、中学ではいじめが横行していたし、
その頃から少年事件は過激化、凶悪化していった。
完全ゆとり教育が始まってからも、相変わらず少年事件は起きている。
これはどうしたことなんだろう?
そうした問題は何一つ解決されないまま、今度は学力低下問題が起こった。
今の若い世代の子は、「ゆとりさん」とからかわれて悔しい思いをしている。
私立に通っている子と、公立に通っている子、塾に通える子、通えない子。
教育に関しても「格差」が問題になった。
小中学校では遠足も学校行事も削られ、高校では未履修問題が発覚した。
何一つ問題は解決していないのに、新しい問題だけが増えてしまった。
はて?これは一体何故なんだろう?

散々課題だけを残したまま、「ゆとり教育」は方針転換してしまった。
ただ、2011年から施行される新しい指導要領も、内容はまだまだ「ゆとり」なんだよね。
「ちょっとだけ増やす」程度で、「元に戻す」では決してない。
問題はこれからも山積みなのは変わらないと思う。

「ゆとり教育」を推し進めた人たちは、その後みんな要職からはずされたらしい。
文部科学省も、結局のところ官僚たちの派閥争いに明け暮れているだけなんだよね。
でも、それに振り回された現場の先生たち、何よりも子どもたちは被害者だと思う。

詰め込み教育でもなんでもない時代に「詰め込み教育批判」が行われたように、
ゆとり教育に関しても様々な誤解がされ、インチキ報道が流された。
「円周率が3」なんてあれは見事に嘘っぱちだったことを、どれだけの人が知っているんだろう?
ゆとり教育世代の子どもたちも、「円周率は3.14」で教わっています。
ただ、小数の計算を教えていない状況で円周率が出てくるから、3.14では計算出来ないんだよね。
手書きの計算では、3を使わざるを得ないっていうだけなんだけどね。
問題は「円周率は3」じゃなくて、小数の計算を教えてない状況で円周率を教えることなのに。
ちなみにそれは改訂版の指導要領でも変わっていないのだけど。

あれだけあった「ゆとり教育批判」も、今ではすっかり聞かれない。
そもそも教える内容を増減させたぐらいで、教育問題が解決しないっていう
根本的な問題はどうするんだろう?
ゆとり教育の失敗で、痛いほど身にしみてわかったことだと思うんだけど。
どうせまた学校や教育現場で問題が起こったら、「ゆとり教育の撤廃が子どもたちに悪影響を及ぼした」っていって
マスコミもネット世論も騒ぎ立てるに違いない。
文科省の派閥争いで、指導要領もコロコロかえられてしまうんだろう。

マスコミは騒ぎ立てるけど、結局根本的なことは変わらない。
いつの時代も、子どもたちばかりが犠牲になる。

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祝・リオデジャネイロオリンピック

雑記
10 /05 2009
2016年のオリンピックが、東京ではなくリオデジャネイロに決まったらしい。
けっこうなことだと思う。
色んな国が開催地として立候補している中で、一度やった都市で再びやるなんて何だか平等じゃない気がする。
それいったら次回のロンドンなんて3回もやってるけど、今さら東京でやらんでもいいだろ。
南米で初のオリンピックってのが、何ともわくわくするしいいじゃないか。

わたしが一番嫌だったのが、石原慎太郎がオリンピック誘致に妙に張り切ってたことだ。
別にわたしは東京都民でも何でもないのでどうでもよいのだが、石原慎太郎は非常にムカつく。
えらそうにしてる人は基本的に嫌いだけど、石原慎太郎はふんぞり返ってて見てるとムカムカしてくるのだ。
みんなが望んでるオリンピックならまだしも、今回は全然盛り上がってないし、誘致に一所懸命だったのは石原慎太郎だけだ。
むしろ反対の声も多かったはず。
オリンピック開催したらしたで、非常に後味悪いことになってだろう。
本当に東京に決まらなくてよかったと思う。

石原慎太郎といえば、アンチ同性愛者としても有名だ。
「同性愛者に選挙権があるのはおかしい」
という、とんでもないことを公の場で発言したようなやつだ。
どう考えても石原慎太郎の頭の中がおかしいと思うのだが、こんなやつを支持する人がいるのもおかしい。
彼はオリンピックのための再開発にかこつけて新宿二丁目もぶっ潰す予定だったそうだ。
危うく東アジア最大のゲイタウンなくなる危機に瀕していたわけだ。
オリンピックが頓挫した以上、その計画もなくなるに違いない。
まことにめでたきこと。あっぱれである。

まあ二丁目のネオンの灯が守られたのはよいけれど、わたし自身は二丁目で遊んだ経験がないんだよね。
大阪の堂山も一度行ったことがあるだけ。
ゲイバーに行ったのは後にも前にもその時だけだ。
ナイトに行ったことは一度もないんだよね。
いまいちゲイライフを満喫してないな~。
まあ、田舎ゲイの宿命ですね。

とはいえ、新宿二丁目はゲイ文化の象徴。
どうでもいいような東京オリンピックのために潰されなくてよかった。

和江さん

30代シスジェンダー(?)ゲイ。

日本の片隅にひっそりと暮らしている。
お仕事は福祉系。


マドンナが大好き。


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