去れ、イジケ虫よ

雑記
05 /31 2009
冗談抜きで自分はどアホなんじゃないかって思うことがある。

数人で話していて、他の人はわかっているのに自分だけその話が
わからなかったりする時は特に思う。

知識に関していうなら、人並み程度にはあるような気がするけど
思考力とか理解力とか、ここらへん人には劣ってそうだなあ。

そういうのは下手すると人に迷惑をかける原因になるので、
発言には気をつけたり、人の話を出来るだけ聞くようにしようとか
心がけてはいるのだけれど。

そんなわたしは、人から細かく指示されるのが好きだったりする。
マニュアルを覚えて、それを完璧にするのが一番だと考えている。
人の意見を聞いたり、調べるのも好きだ。

頭のいい人たちは、「自分で考えて」やるのが好きらしい。
マニュアルよりも、臨機応変に対応するのが得意だ。

わたしが一生懸命マニュアルを覚えても、その人の「直感」に
一気に吹き飛ばされてしまうのが、空しいというか哀しいというか。

僻んでるわけじゃない・・・・と、言いたいところだけど
はっきし言うなら僻んでると思う。
僻んでる自分がかっこ悪くて、さらにいじけてしまう。

定期的にこういうイジケ虫が頭にわいてきて、
散々悩んだ挙句、どアホでも何でも一生懸命生きていくしかない・・・・という
結論に達するのだが。
結論に達してもまた悩んじゃうってことは、自分の中で納得していないってことだろう。

多分一生、悩みつづけるんだろうし、イジケ続けるに違いない。

酒でも飲んでスッキリ忘れたいけど、酒飲むと余計どアホになるのでやめておこう。

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「わたし自身が宗教です」

雑記
05 /29 2009
職場のKくんに
「Kazuccineさんって、壮絶な人生を歩んでいますね」
と言われた。

壮絶な人生ねえ・・・・。
自分でいうのも変だけれど、わたしは結構平平凡凡な
人生を歩んでいると考えている。
よくも悪くも、大きく道を踏み外した経験もないし、
人にはない何かを持っているわけでもない。
ただ、環境的に見れば多少特殊に思う人もいるだろう。

今までこのブログに書いたことはなかったのだけど、うちは両親(特に父親)が
ちょっと偏った思想の持ち主なのだ。
だからといって、両親がやばい人たちだとは思っていないのだが
このことはゲイってこと以上に隠しておきたい事実なのだ。

他にもおばさんやおじさんに、ちょっとカルト的な宗教を信仰している人が
何人もいるし、ごく一般的な家庭から見ると少し特殊な部分があるのかもしれない。

父親の思想と、そのカルト的な宗教はちょっと対立しているので、
夏休みやお正月に親戚一同集まって仲良く話していたのが、今思えば
不思議な光景だったのかな?っていう気もする。
逆にいうと、みんなその思想なり宗教なりに、
骨の髄までつかっていないってことかもしれない。

わたしは宗教が権力と結びついたり、人に危害をくわえたり、
あるいは信仰を無理強いしたりするのはよくないと思う。
ただ、そういうのさえなかったら、どんな宗教を信仰していようとかまわない。
わたしにとってのマドンナが、ジーザスであったり、ムハンマドであったり、
あるいはブッダであるってだけだ・・・・。
なんてことを書いたら、宗教に熱心な人に怒られそうだけれど、
わたしにとっての宗教がマドンナなので、怒らないで欲しい。笑
(ちなみに、経典は彼女のアルバムだ。カバラは特に関係がないので悪しからず)

わたしがこういう考え方をしているのも、周りに色んな宗教の人や
思想の持ち主がいたからだと思う。
実際に、カルト的な宗教を信仰している人でも、一人一人はいい人たちだ。
集団になると、ちょっと異様な雰囲気になってしまうけれど
個人個人がおかしいってことではない。

アメリカで、必死に同性婚や妊娠中絶に反対しているクレイジークリスチャンだって、
多分一人一人は田舎の優しいおじさんおばさんじゃないだろうか。
だから、クレイジークリスチャンを諸悪の根源みたいに言うのは間違いだ。
そういう人たちを利用した宗教指導者や、ジョージ・ブッシュこそ悪だと思う。

話が少しそれてしまった。
日本は宗教に関しては寛容な国だといわれている。
一応仏教徒が多いと思うのだが、キリスト教徒やイスラム教徒が排除されるって
ことはないし、差別の原因になることもない。
ただ、宗教そのものに対する嫌悪感は独特だと思う。
本気で神を信じていると言ったら、すぐさま「ヤバい人」扱いされてしまう。
宗教的なことを語っている人に対しては、距離をおきたがる人が多い。

これはこれでよくないことじゃないかな?って気もするのだ。
宗教に対して寛容っていうよりは、宗教ってものをよくわかっていないだけじゃないかな。

ちなみに、うちの父親は宗教ではなくある偏った思想に傾倒しているのだけど、
わたしはそれも一種の宗教だと思っている。
近現代にあらわれた、経済学や政治思想と結びついた少し変わった宗教だ。
そう考えると、民主主義とか人権とかも宗教的なもののように思うのだが、
知恵のない頭であれこれ考えてもボロが出るだけなので、ここらへんでやめておこう。

そんなありとあらゆる思想や宗教に囲まれて育ったわたしだけれど、
わたし自身はそういったものに染まらないで今にいたる。
いや完全に染まってはいないってことはないかもしれないし、何かしら
いい影響なり悪い影響なりあるのかもしれないけど、少なくともそういったものを
盲信したりするってことはない。
いい影響があるならそれを大事にすればいいし、悪い影響があるなら
ただしていけばいいって思う。

ま、本人曰く「無神論者」であるKくんにいわせれば、そういう環境で生まれ育ち、
その割にお気楽な考え方をしているわたしが「壮絶な人生」を歩んでいるように思えるらしい。
おまけにゲイだからね。
たしかに色々と変わった条件はあるのかもしれないけど、
わたし自身はとにかく「平凡な人生」だと思っている。
わたしにいわせれば、Kくんの人生こそ壮絶で波乱万丈に思える。
そう言ったら、「いや、俺は普通だと思いますよ」とのこと。

みんな何かしら人生にドラマがあるし、それなりに壮絶な人生だったり
平凡な人生だったりするんだろう。
だからこそ人と話をするのは楽しいのだ。

最後にKくんが「Kazuccineさん自身の宗教は何ですか?」と訊いた。
わたしはすぐさま「マドンナ!」と答えたのだけれど、
「それは宗教じゃないですよ」と言われた。
ま、彼女は神じゃなくて歌手ってことはわたしだって百も承知だ。

うーん、マドンナでないとしたらわたしの宗教は何なんだろう?
思うに、人間の愛とか正義とか、力強さとか、素晴らしさとかそういったものだ。
いわば「人間教」を信じている・・・・としておこう。

まあ、これも胡散臭い気がするので、わたしはただの「マドンナ狂徒のゲイ」でいる方が気楽だ。

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ネガティブな虫が頭にわく

雑記
05 /27 2009
このブログを始めて以来、何度となく「人柄のよさがブログから見てとれる」とか
「とても優しそうな人だと、ブログを読んで思いました」っていう
コメントをいただくことが多い。

これ正直、非常に申しわけない気持ちになっちゃうのです。
わたしは人柄がいいわけでもないし、優しくもない。
下品で野蛮で、教養もなくて、自己中心的だと思う。

わたしはこのブログに全てをさらけだしているつもりだけど、
やはり本能的に自分をよく見せようという心理がはたらいているのか、
自分の好きなところだけピックアップして書いているのかも。

ただ、ごく親しい友達にも自分の全てを見せたりしないように、
「自分しか知らない自分」があってもいいんじゃないかってことも思う。
そんな自分は墓場まで持って行けばいい。
一体そんなKazuccineはどんなやつなんだ?って思われそうだけれど、
まああんましそこは追及しないで欲しい。

そういう自分の嫌な面を知りつつ、わたしと仲良くしてくれる人は
本当に素晴らしい人だっていつも感謝している。
大学時代からの友人たちも、職場のKくんにしてもだ。
「こんなわたしのどこがいいんだろう?」って思うこともあるけど、
そうやってネガティブな気分になっちゃうのもよくないことだ。

人には
「もっと自分に自信を持ちなよ」的なことを言ってしまう。
それは、わたしがその人のことを好きだから。
好きな人が自信をなくして、自己否定しているのを見ると哀しくなる。

一方で、自分がそういうことを言われると
「この人は憐れみや慰めでこんなことを言っているんだ・・・・」
というすごくネガティブな捉え方をしてしまう。
わたしの気持ちを知ったら、言った本人は哀しくなるだろう。

自分を好きになるって、簡単なようで難しい。

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みんなで楽しくカムアウト

雑記
05 /24 2009
職場のオタク男子Oくんにカムアウトした。

理由は何となくそんな流れになったから、というのと
彼なら言っても大丈夫な気がしたからだ。

いつもわたしのカムアウトは適当でお気楽に・・・・がモットー。

この間「ゴカイとヘンケン」っていう記事で書いたように、
Oくんはノンケ男子の中では、かなりLGBTについて理解しているようだし
「僕はとくに偏見ないですから」なんて言っていたからね。

仮にOくんの態度が変わってしまっても、Kくんほどには
親しくないので、別にそれはかまわないし。
Kくんの時より、かなり重苦しくなくサラっと話せてしまった。

そんなわたしの雰囲気を察したのか、Oくんの方も
「あ、そうなんですか。別にいいと思いますよ」
の一言で終わってしまった。あと、
「何となくそんな気はしていましたけど・・・・」とも。

わたしはやはり「歩くカムアウト」状態なのかしら?

カムアウトに関して、ノンケのこういう気軽な反応を
嫌がる人もいるようだけれど、わたしはこういう方がいいな。
変に重々しく受け止められても困る。

何しろ、わたし自身が自分のセクシュアリティに関して
気軽に考えているので、そんなに重々しく真剣に捉えられても困るのだ。

言葉のニュアンスとかにもよるんだろうけど、
「別にいい」でいいんじゃない?
わたしはゲイリブのためにカムアウトしているんじゃない。
人と仲良くなりたいから、気楽になりたいからカムアウトしているだけのことだ。

まあ、それプラス「ゲイが身近な存在ってことをわかって欲しい」という
思惑もあるので、そこらへんはゲイリブ的な意味もなくもないんだけど。
目的はわたし自身の幸福の追求だからね。

まあKくんの時は、それなりに重みもあったのだけれど
基本的には軽い気持ちでカムアウトして、結果的にKくんには
かなりの重みを押し付けてしまった。
今ではカムアウトしてよかったな~と思っているし、
よりよい関係を築けているとも思っているのだが、もう少し配慮が
あってもよかったかな・・・・と反省すべき点はある。

でも、基本的にはカムアウトってもっとカジュアルで気軽なものでいいと思うんだよね。
特に若い子同士だと、以前ほど「タブー」ではなくなってきているだろうし。
もちろん、その背景には90年代にゲイリブが盛んになってきて、
たくさんの人たちが「悲壮の覚悟」でカムアウトしてきた結果、社会が
大きく変わったからなんだろうけどね。

そんなわたしではあるけど、両親や家族にカムアウトするのは難しい。
それこそ「悲壮の覚悟」をもってカムアウトしないといけないかもしれない。
重みがあって、真剣にカムアウトする場合もありうるだろう。


ところで、わたしが「お気軽カムアウト」「適当カムアウト」と同じく
実践しているのが「さりげなくカムアウト」だ。

何度か書いたような気もするけど、「右耳のピアス」なんかがそれ。
おしゃれ着の時は、大ぶりのピアスを右耳につけてゲイということを
さりげなくアピールしているのだけど、そんなに気づかれないのよね。

もう一つ、「さりげなくカムアウト」の一つが
「あえてフェミニンな香水をつける」っていうことだ。
欧米では、男が女の香水をつけるのはむしろタブーらしいのだけど、
日本ではそうでもないし、ゲイ的な雰囲気とあいまっていいかも・・・・と考えたのだ。

わたしは外見がかなり男くさいので、あえてフェミニンな匂いをさせることによって
両性具有的な妖しいエロスがかもし出されるのでは・・・・などと密かに思っていた。

そんな自分に少しうっとりしていたのだが、よく考えたらこれはとんでもない間違いだと気づいた。

よく考えたら、これってただ「女くさいおっさん」ではないか!

全くいけてない!気持ち悪いだけだぞ!


・・・・というわけで、「さりげなくカムアウト」という名の「香水女装」は
卒業することにしたのだが、他の方法で「さりげなくカムアウト」を
することを画策している。
何かいい方法があったら、さりげなく教えて欲しい。

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I am a hero.

雑記
05 /22 2009
「ビッグコミックスピリッツ」で、「アイアムアヒーロー」という漫画の連載が始まっている。
「ボーイズオンザラン」を描いた花沢健吾という人が描いている作品で、
妄想癖で怖がりな漫画家アシスタントが主人公だ。

ストーリー自体は不気味でそれなりにおもしろそうな感じがするので、
新たに「ビッグコミックスピリッツ」を読む楽しみが増えた。

先週号で主人公がアシスタント仲間と語っているセリフに
「(優れたマンガというのは)100年経っても読まれつづけるマンガ、だと思っている」
「まあ、100年って言ったけど千年でも万年でもいいんだ。要はそれぐらい年数が経てば
文化、いや文明に大きな変化が起こっているわけじゃない。その価値観の違いを超えて、
なお読み伝えられるってことは優れたマンガつまりは名作だと思っている」
というのがある。

このセリフに対し、アシスタント仲間は答える
「そーですか。僕はちょっと違うと思うけど。いや、マンガって漢字で『漫画』と言うように、
常に、その時代、一瞬を切りとった、カウンターカルチャーであるべきであって
長く読まれるってことが名作というのは単純だと思います。
言葉は悪いけど使い捨てがマンガの本質かと」

・・・・と、この後二人はお互いの見解について議論し合うのだけど、
これが全て主人公の妄想っていうオチなんだな。
まあ、詳しくは雑誌を買って読んで欲しい。

わたしは本編よりも二人の会話がすごく気になった。
同じような議論は、ロックミュージックとかアートやファッションに関しても
されることがあるんだけど、結論付けるなら
「ようは好みの問題なんだろ?」って思う。

常に時代に呼応するような作品が好きな人もいれば、
普遍的なよさを求める人もいるし、どちらも支持する人がいるんだから
それなりに価値があるんじゃないかな。
漫画の中では完全に主人公の妄想でしゃべっているので、
多分主人公の中では二つの価値観が共存しているんだろう。

ま、作者の意図としては「マニアが好きなエンドレストーク」みたいな
感じで描いたんだろうけどね。

こういうマニア同士の話っていうのは、時々議論しているんだか
仲良しトークしているんだかわからない時がある。
お互いの意見を貶してるんだか、褒め合ってるんだか、はたから
見ている人間にはわかんないんだよね。
いずれにせよ、話している当事者はすっごく楽しいんだろうけど。

わたし自身、マドンナの熱狂的なファン同士で話していると
そういうマニアなトークになっちゃうことがよくある。
こういう時に、「お互いの価値観を認めて・・・・」とか言っちゃうのは非常に野暮だ。
ケンケンガクガク、言い合いをした方が本人たちは楽しいのだから。

ただ、こういうマニアな話にも絶対に守らなきゃいけないルールがある。
それは、その分野に詳しくない人がいる場所ではやっちゃいけないってことだ。
知らない人にしてみれば会話に参加できるでもなく、
聞いていてもおもしろくないので本当にいたたまれない気分になってしまう。
おまけに語ってる本人たちが白熱しているので、「その話は置いといてさ」って
切り出すことも出来なくなっちゃう。

ひどい場合になると、「ありがたい話を聞かせてやってる」的な勘違いを
してしまうマニアもいるので本当に始末が悪いのだ。
結果的に「これかだからマニアは・・・・」とか思われるので要注意だ。
まあ、周りが見えなくなっちゃうからこそ「マニア」なんだろうけどね。

ただ、多かれ少なかれみんなマニアな部分はあると思うし、
そういうところに惹かれることもあるから一概にはいえないけどね。
「惹かれる」と「引かれる」は紙一重だ。

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おんな版Kazuccine

雑記
05 /21 2009
以前も書いたけれど、ゲイに大人気のカイリー・ミノーグの声は
ジョージ・マイケルの声質にそっくりらしい。
ジョージの声をはや回しするとカイリーの声になるし、
カイリーの声を遅回しにするとジョージの声になるそうだ。

ところで、カイリーの声はリック・アストリーにも似ているそうだ。

Rick Astley 「I should be so lucky」


Kylie Minogue 「Never Gonna Give You Up」


こういうのを見ると気になっちゃうのが、自分の「女版の声」だ。
ジョージ・マイケルやリック・アストリーみたいな男らしい
声がカイリーみたいなかわいらしい声になっちゃうんだから、
案外わたしの声もすんごくかわいらしくなっちゃったりして。

意外に欧陽菲菲みたいなソウルフルな声かもしれないけど、
それはそれでいいと思う。

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永沢くんの未来

雑記
05 /18 2009
以前、お笑い芸人の品川祐が自身の映画「ドロップ」に関してのインタビューで
「ヤンキーも日本の文化だと思って欲しい」っていう発言をしていた。

わたしは品川の相方の庄司くんが以前大好きで、品川のことも
別に嫌いではなかったのだけれど、この発言で一気に嫌いになった。
ヤンキーは別に文化でも何でもない。
ただの迷惑なので撲滅した方がいいと思う。

そもそもわたしは「若いうちにはやんちゃやってたけどさ~」って
自慢ぶっこいてる大人がそもそもだいっ嫌いなのだ。
「やんちゃやって誰かに迷惑かけたんだろ?」ってことしか頭に浮かばない。
迷惑かけた人に、ちゃんと自分の力で賠償したんだったらまだ許すけど、
多分親に払ってもらったとか、トンズラしたってのがいいところだと思う。

ちゃんと「苦い経験」として認識しているなら、自慢っぽく語れるわけがない。
ガキが言ってるならまだしも、いい大人が言ってるのはカッコ悪いよ。

そんでもって、そいつらが大好きな尾崎豊も嫌いだ。
カラオケで尾崎豊を熱唱された日には、リモコン操作を誤ったふりして
「演奏中止」を押してやりたくなる。
でもそれはマナー違反だと思うので、わたしはしない。

「盗んだバイクで走る」って、盗まれた方の気持ちはどうなるんだ?
勤労少年が、必死にバイト代をためて買ったバイクかもしれないのに。
「夜の校舎窓ガラス壊してまわった」だと?ふざかるなって。
誰がガラスをかき集めてると思ってるんだろう?
誰がガラス代を弁償するんだ?

そりゃまあ、音楽なんてきれいごとばっかり歌ってればいいってもんじゃないし
彼の歌が評価されているのは、それなりに価値があるからだろう。
別に尾崎豊の歌を全否定するわけじゃない。
でもムカつくもんはムカつくし、そんなん言うなと言われる筋合いもない。

わたしは不良が大嫌いなので、「ごくせん」なんかも嫌いなのだ。
頼むから不良を賛美するような漫画もドラマもやめてくれよって思う。

大体ああいうのを美化するドラマって、「不良が友情に厚い」ことを
賛美するような内容が多いんだけれど、友情に厚いことがそんなにいいことか?
っていうかそれだけしかとりえがないんでしょ?。

一般市民からしたら、別に不良が友情に厚いからって何のメリットもない。
むしろ仲間割れして内部抗争して、自滅してくれた方がはるかにうれしい。
そもそも友情に厚いのは不良だけじゃないぞ。
優等生だって、スポーツ少年だって、オタクだってみんな友情には厚いのだ。

そもそも、漫画でもドラマでも優等生が主人公になることってあまりないんだよね。
題材に挙げられるのは、「不良」「勉強は出来ないけどスポーツ万能」「何もとりえのない子」だ。
「勉強は出来るけどスポーツがダメな子」は、大抵嫌なやつとして描かれる。
友情よりも塾に行くことを優先したり、成績を自慢したり、大抵悪賢い子だったり。

ゆとり教育だのおバカブームだのいってるけど、日本人って勉強が出来る人を
嫌う傾向にあるのかなあ?
わたしが知ってる限り、秀才には優しい人が多かったよ。
そりゃ、嫌なやつもいたけれど、それはスポーツ少年なんかだって同じこと。
勉強が出来る出来ないと、優しさってまた別の問題でしょ。

アメリカのドラマの主人公なんかは、勉強もスポーツも出来るような子が多いよね。
「フルハウス」のタナー家の三姉妹はみんな優等生っていう設定だったっけ。
まあ、不良やバカが主人公のドラマだったら、日本に入ってこないかもね。笑

ただ、実際のところ学校で人気があった人って、不良やスポーツバカよりも
勉強もスポーツも出来て、遊びもこなせちゃう人が多かったような気がする。
わたしの中学や高校ではそういう傾向があった。
よそでどうだったのかは知らない。
不良を賛美するドラマや漫画が多いのは、相手にされなかった不良の
心を慰めるためにあるのかもしれない。

そんなわたしはというと、勉強は中途半端に出来る程度で、
スポーツはからっきし、何のとりえもない子どもだった。
それで大人しくて目立たないなら、それはそれでよかったんだけど
わたしの場合なぜか悪目立ちして、いじめのかっこうのターゲットになるか
恐れられて近寄りがたい雰囲気があったらしい。
「ちびまる子ちゃん」でいうなら、永沢くんのポジションに近いかも。笑
けっこう陰険なところもあったからね。

ま、とにかく不良を賛美するような漫画やドラマは撲滅した方がいい。
悪徳の限りをつくした不良たちが、内部抗争と覚醒剤遊びの末に
自滅する物語でも作った方が、世のため人のためになると思う。

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ゴカイとヘンケン

雑記
05 /15 2009
カムアウトしているノンケの人に時々言われるのが

「同性愛者の方って何だかカッコいいですよね!愛に性別はない!って感じで」

ってな感じの一言だ。

色んな意味で間違ってるなあ~って思う。
まず、同性愛者にとっては愛に性別はあります!ってこと。笑
同性じゃないと無理なんです。
異性なんて想像も出来ません。笑

ようするに、ノンケが異性のことが好きでゲイやレズビアンは
同性が好きってだけのことなんだけどな。
別に社会に反発してゲイになったわけでもないし、
既製の価値観にとらわれてないとか、そういうことでもない。

ただ、ノンケ男が女性のおっぱいを見て興奮するように、
ゲイは男性のたくましい体を見て興奮するだけだ。

それだけのことなんだから、別にカッコよくはないと思う。
ただ、「カッコ悪いですね」って言われるよりは、「カッコいいですね」
って言われた方がいくらか気分がいいかもしれない。

「女にモテないから、ゲイになったんだろ?」って言われるよりマシだ。
わたしは普段、「カッコいい」なんて言われることがそんなにないので、
たまにはカッコいいと言われてみるのもいいだろう。
椎名桔平を見ていやらしい妄想をしているのも、いつもクネクネしているのも、
何だかカッコいいような気がしてくる。

って、それはないか。さすがに。笑

ただ、わたし自身に似たような誤解や偏見がないかっていうと、
決してそんなことはないんだよね。

ノンケが同性愛者に対して「カッコいい」って思うように、
わたしは何だかバイセクシュアルの人がカッコよく見える。
バイセクシュアルの人こそ、「愛に性別はない」って感じがするからだ。
あと、男にも女にもモテモテで、常に彼氏も彼女も切らしていない
なんてイメージがあるので、何だかそれも淫靡でカッコいい。

ただ、以前も書いたのだけれどバイセクシュアルの人の大半は、
「ノンケだけど、同性もいける」とか「ゲイ(レズビアン)だけど、異性もいける」みたいな
感じの人が多いらしいので、必ずしも「愛に性別はない」ってことじゃない。
それにバイの人だって、みんながみんな美形でもなければモテるわけでもないだろう。
男にも女にもモテないって人だって、たくさんいるに違いない。
そういう人からしたら、わたしの偏見に基づくイメージなんて迷惑千万だと思う。

早い話、わたしもノンケのことを責められないってことだ。

そういえば最近、わたし自身の中にある「ノンケに対する誤解と偏見」に出くわした。
それがどういう誤解と偏見だったのかっていうと、
「ノンケはセクシュアリティに関しては無知」ってことだ。

職場のOくん(ノンケのオタク男子)と、どういう流れでそうなったのかは覚えてないけど
ゲイやレズビアンの話になったときのこと、Oくんが突然

「性同一性障害と、同性愛って違うんですよね。性同一性障害は心の性別と
体の性別が一致していないってことで、同性愛は恋愛や性の対象が
同性にむかうってことなんです。だからゲイの人が必ずしも女性的ってわけでもないんですよ」

・・・・と、まあ「お前はノンケに自分のことを説明しているゲイか!?」ってことを言ったのだ。

彼が例えば、「MtF」とか「Aセクシュアル」とか、そういう言葉や概念まで
知っているかっていうと、そこまで深い話をしていないからわからない。

でも、ノンケっていうと
「Kazuccineは男好きなんでしょ?いつ性転換するの?」みたいな
人ばっかり(かと思っていた)の中で、これだけセクシュアリティに関して
正しく理解している人がいるなんて、わたしの中では驚きなのだ。

まあ、偏見と誤解に満ちているわたしとしては当然のごとく、
「こいつもしかしたらゲイなんじゃないか??」って疑問をもったのだが、
わたしの(不正確な)ゲイダー*1が作動しないので、とりあえず違うと思う。

よく考えたら、学校教育などでも徐々に取り扱われるようになったし、
メディアに性同一性障害の人が出てくることも多くなってきた。
セクシュアリティに関して、ちゃんと理解しているノンケがいてもおかしくない。

・・・・というわけで、自分の中にある「ノンケに対する誤解や偏見」に気づかされて、
久しぶりに目からうろこの経験をしたわけだ。

それにしてもノンケが持っている「ゲイに対する誤解や偏見」は、よく取りざたされるし
批判されたりするんだけれど、逆にゲイが持っている「ノンケに対する誤解や偏見」って
あまりクローズアップされることはないんだよね。
あるいは、ゲイやノンケが持っている「バイセクシュアルに対する誤解や偏見」も。

こういう誤解や偏見を出し合うことって、腹が立ったり傷ついたりすることも
あるだろうけど、実は理解するための重要な一歩だったりすると思う。
ノンケの誤解や偏見を指摘するんじゃなくて、それぞれがそれぞれに対する
誤解や偏見をそれぞれにぶつけ合うってのもいいんじゃないかな。

色々と七面倒くさい議論をするより、よっぽど有意義だと思う。


*1 ゲイダー・・・・「ゲイレーダー」つまりは、直感的に人をゲイかノンケか見抜く能力のこと

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好きと嫌いの間

雑記
05 /14 2009
大嫌いだけど、大好き。

大好きだけど、大嫌い。

こんな気分になることがよくある。
元彼に対してもそうだったし、時々Kくんに対しても思う。
ひたすら「好き」だったら、すごく楽なのに。

元彼とKくんは、少し似ているところがある。
母子家庭に育ったとか、一人っ子だとか、環境的に似てる
というのもあるのだけれど、頑固で意地っ張りなところや
自分の意思をまげないところがそっくりだ。

本格的に仲がこじれた時だけでなく、実は何回もKくんとは
衝突したことがあるし、何日間か口を聞かなかったこともある。
いつもわたしの方から、話しかけてKくんが応じるという形だった。

もうね、ここらへんも元彼とそっくりなんだわ。

わたしだって、本当なら意地を通したい時だってある。
でもそれ以上に相手を欲し、求めてしまうから、自分のほうから
歩み寄らないことには仕方ない。
赦しの気持ちとか、寛大さとかじゃなくて、ただ単に妥協しているだけ。
でもそれが悪いとは思わない。
意地を張り続けても、疲れるだけで得られるものはないだろうし。

正直あまり元彼やKくんみたいな人と、わたしみたいな人間は
あまり相性がよくないんだろうなって思うときもある。
それでもなお、元彼のことは大好きだったし、Kくんのことも大好きだ。
頑固さも意地っ張りなところも、それも含めて好きなんだと思う。
傷つくときもあるけれど。

その人のいいところを好きになるのは結構簡単なんだけど、
よくないところを許容できたり、好きになれたりするのは容易なことじゃない。
本当の「好き」っていうのは、相手の負の部分も好きになれることかもしれない。
そして、それは自分自身に対してもそうなんだろう。

何だかんだいっても、わたしはKくんのことが好きだ。

ちなみにこういうことを書くと、わたしはKくんに恋をしていると
勘違いされてしまうだろうけど、それは少し違うと思う。
恋愛とは別の感情だ。
恋愛的な要素がないかっていうと、それも否定出来ないのだけど。
友情ともまた少し違う。

じゃあ、何なのか?っていうと何か自分でもよくわからない。

まあ、あまり追究しないで欲しい。

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ゲイと軽自動車

雑記
05 /12 2009
K-Style


職場のKくんが車を買いたがっている。
彼はよくわたしをドライブに誘ってくれるのだが、
彼自身は車を持っていないので、お母さんの車を借りているようだ。

田舎は完全に車社会なので、男の子が車を持っているかいないかってのは
かなり重要なモテ要素であったりする。
ラブホテルに入るにも車が必要だし・・・・って、それはどうでもいいんだけど。

「やっぱり軽かなあ」と、Kくんは言っている。
わたしは
「絶対スポーツカーにしなよ!わたしにも運転させて!」
等、まったく役に立たない上に迷惑なアドバイスをしている。

軽自動車を探していたKくんなのだが、最近は普通車も探しているらしい。
そういえば職場のBさんも、この間軽から普通車に乗り換えた。
わたしも小さいながら、一応普通車に乗っている。

意外なんだけれど
「男が軽自動車に乗っているのはナシだなあ」
って考えている女の人は少なからずいるようだ。
最近では、特に田舎では軽自動車に乗っている男の人は
たくさんいるのにも関らず、それでもやはり
「男は普通車」っていう価値観があるみたいだ。

車好きの職場の女子先輩Hさんも、
「どんなにいい男でも、軽に乗っているのはムリ!」
と言っていた。
Hさん自身は軽に乗っているのだけど、
それでも男には普通車に乗って欲しいらしい。

「Kazuくんだって普通車に乗ってるじゃない」
とHさんは言うのだが、わたしの乗っているやつなんて
1500の小さいやつで、ぱっと見軽と変わらない。
それでもやはり軽じゃないからいいそうだ。

しょっちゅう高速にでも乗るっていうならまだしも、
田舎で近い距離を移動するなら、軽自動車で十分だと
わたしは思うのだけどなあ。
まあ、安全性を考えたら普通車の方がいいんだろうけど。

「男が」っていう風に限定されているのは、
やっぱり性別による固定観念によるものだと思う。
「男は普通車維持するだけの甲斐性がなきゃダメ」
「男はカッコいい車に乗ってなきゃダメ」
みたいなイメージがあるからだろう。

そんなん余計なお世話だし、どこにお金を使うかは
人それぞれ自由なんだから、他人がとやかく言うことじゃない。
「男だから」「女だから」ってのは、差別以外の何物でもない。

ところで、わたし自身は今度車を買い換える時に
軽にしてもいいと思っているのだけど、彼氏になる人には
やっぱり普通車に乗っていて欲しいな・・・・って思うのだ。

「男だから軽はダメ」だなんて差別だ、とか言いつつ
我ながら非常に矛盾していることは百も承知なのだが。
やっぱり彼氏はカッコいい車に乗っていて欲しいんだよね。
出来ればセダンがいい。
わたしに運転させてくれればさらにいい。笑

ジェンダーフリーでいこう、性別役割の概念にとらわれない
社会になるといいなあ・・・・と思うのだけど、実際のところ
わたし自身が古くさい男のイメージとらわれている。

矛盾しているけれど、人間には矛盾がつきものだと思う。

関係ないけど、ゲイは軽自動車に乗っている率がノンケより
高いような気がする。

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ため息がつきない理由

雑記
05 /09 2009
「わたしは自分の意見を押し付けるだけじゃなくて、時には譲ることも必要だと思う」

「Kazuccineさんの場合、“譲る”っていうよりは“譲ってやる”なんですよ」

Kくんとわたしの会話だ。

どういう流れでこんな話になったかというと、恋人と喧嘩になったら
お互いどんな風になっちゃうかってことを話してて、Kくんは最終的に一歩も
譲らないってことから、こんな話になったというわけだ。

「自分でも自己中だとは思いますよ。後で後悔することが多いです」
Kくんは真面目だし誠実だし、優しいけれど、頑固で人の意見を
聞き入れないところがあるのも事実だ。
彼自身がそれをわかっているぶん、最終的に相手や
自分を傷つけてしまったことも多いという。

わたしの場合、あまり我を通すってことはそんなにないんだよね。
譲れるところは、わりとさっさと譲ってしまうことが多い。
そのかわり、「ここだけは譲れない」と思ったところは、絶対に譲らないし、曲げない。

「わたしは相手が一歩も譲らないことに腹を立てている、
相手はわたしが最後の一歩を譲らないことに怒っている。
不公平だと思うことが多い。わたしは散々折れてきたのに・・・・」

ってな感じのことを言ったところ、冒頭の会話になったわけ。

「譲ってやってる、引いてやってる、折れてやってる・・・・そう思ってませんか?
自分が正しいっていう前提で、相手の言い分も聞いてやってるってことでしょ?
一歩上から相手のことを見下してません?」

うん・・・・そうなんだよね。
確かにそう。
譲ってやって、時には謝ってやって、理解してやって
最後にこう言うんだよ。

「わたしは自分の非はすべて認めたし、悪い点は謝ったよね?
でもあなたは自分のしたことをちっとも認めてない。
人の話を聞こうともしない。何が悪いのかぜんぜんわかろうともしないよね?」

相手はブチ切れる。
「私の何が悪いん!?」
さっきからずっと言ってきたのに・・・・
そう思いながらこんこんと言って聞かせる・・・・
「でも・・・・」「けど・・・・」って相手は反論するけど、
その反論をすべてわたしは叩き潰してしまう。

「それは・・・・そうやけどぉ・・・・そうやけどぉ!!」
なおも反論しようとすると
「そうだけど・・・・何?で、何?認める?自分の悪いとこ」
相手は沈黙する。
「反論があるなら言えやれ。黙ってたらわからんがな?」
わたしも多少、キレ気味になる。

「もういい!もういいわ!!」
相手は立ち去った。


これは実は、実際に大喧嘩した友人とのエピソードだ。
大学の時、すごく仲がよかった友達だけど、卒業後に縁が切れた。
多分もう、一生会うことはないだろう。

彼女と大喧嘩した後、わたしに対する不満を彼女が友人に言っていると知った。

「Kazuccineひどいよ~。あの子が可哀想だよ。謝って許してもらったら?」
友人にこう言われて、わたしははらわたが煮えくり返るほど怒った。

何でわたしが一方的に悪者にされないといけないの!?

間に入った友人に、わたしはブチ切れた。
話を聞いたら、友人もちょっと同情してくれた。


「わたしはいつも折れてきた・・・・。嫌なこと言われても笑顔で受け流した。
約束破られても、いいよいいよって気を使ってあげたのに・・・・。
その友達はね・・・・ちょっと痛いとこ突かれただけで、わたしを悪者呼ばわりするんだよ」

Kくんにそう言ってみると

「今になって言うぐらいなら・・・・どうしてその時に言わなかったんですか。
あとから言われたら、相手は反論出来ないですよ。
自分が正しいってタカをくくって、見下してただけなんです。
それは相手を理解するってことじゃない。
Kazuccineさんは反省してるようで、全然反省してないと思います。
自分が正しいってことを証明するための、ただの方便です」

Kくんの言葉は辛かった。
何よりそれが本当だからこそ、痛い言葉だった。
正面からぶつかっていかないぶん、わたしの方が汚れている。

「言いすぎちゃいました・・・・ごめんなさい。俺も人に言えるような立場じゃないです」

謝られると・・・・余計に辛いんですが。


ところで、わたしと大喧嘩した友達はまったく反省していないらしい。
間に入ってくれた友人から、最近聞いたのだが
「あの子が“私の一体何が悪いん!?”って言ってたよ。
子どもっぽいなって思うけど・・・・ああいう子だからね。
“Kazuccineはひどいで~”とも言ってたな」

正直がっくりくるなあ・・・・。何一つわたしの話を聞いていない。
絶縁してからかれこれ2年になるし、もう今さらどうでもいいって思うけど、
やっぱり少しぐらいわたしの気持ちをわかって欲しかった。

でもあの時「わかって欲しい」って気持ちを持っていれば・・・・
もう少し違っていたのかもしれない。

正直のところ、今でもわたしはどちらかというとわたしの
言ったことの方が正しいと思っている。
今さら彼女に頭を下げるなんて、死んでもしたくないし・・・・
っていうか、「頭を下げる」等の発想がそもそもあまりよくないのだろうけど。

今でも思い出して腹立ちがくすぶっているのなら、いっそあの時全部
ぶちまけとけばよかったのにな。
自分なりに「大人な対応」だとか思ってたのが、全部裏目に出た。

「俺も何年も絶縁していた友達と、ある時またふっと仲良くなりましたよ。
怒りとかそういうのって、案外時間がたつと風化しちゃうんです。
その子とKazuccineさんだって、いつかは元に戻れますよ」
Kくんなんかはそう慰めてくれるのだけど、それにはまだまだ時間が必要だろうな。

怒りが風化してしまう以前に、お互いのことを忘れてしまいそうな気がする。

相手と正面から向き合って、人間関係を作り上げたい。
20代も後半だけれど、まだまだわたしはまともな人間関係が作れない。

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自分の好きなところ

トラックバック
05 /08 2009
くちびるとほくろ

わたしはコンプレックスの塊なので、基本的に自分の外見が
そんなに好きではないのだけど、唯一気に入っているのが
口元にあるほくろだ。
何となく色っぽくていいと思う。

位置は違うけれど、マドンナも口元にほくろがあったし
マリリン・モンローにもあった。
「口元にほくろのある子はエッチな子が多いんだよ」
って俗説(?)も聞いたことがある。
口元のほくろってセクシーなイメージがあるみたい。

それにしても唇のどアップって何だか卑猥だな。
実はこの画像撮ったときは鼻も写っていたのだけど、
鼻毛が出ていたのでカットした。笑
ちなみに唇はもう少しふっくらしてた方がよかったなあ。

もう一つ、密かに自分自身好きなのが・・・・
というよりは好きだったのが「声」。
以前はけっこう可愛らしい声をしていた。

別にこれは自分で勝手に思っているわけじゃなくて、
何人もの人にほめられたからだ。
変声期の男の子みたいなハスキーで、甘ったるい声をしていたらしい。
ただ、残念ながら長年にわたる深酒と喫煙で、おっさん声になってしまったけど。苦笑

職場のKくんに言わせると、「猥褻な声」らしい。
まあセクシーな声だと解釈しておくことにしよう。

ところでKくんも実はセクシーな声をしている。
声だけ聞いたら谷原章介とよく似ているんだよね。
ただ、そのせいか声に惚れられて、実際に会ってみたら
ガッカリされたってこともあるらしいので、内心複雑らしい。

でもKくんは外見もそれなりにいいとわたしは思うんだけどね。

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おしゃれ手帖

雑記
05 /06 2009
checkshirt

GWはずっと仕事だったけれど、今日はお休みだったので久しぶりに買物を楽しんだ。
最近はあまり服を買わないのだけど、新しい服はワクワクする。

柄物っていうと、長らく花柄が好きだったが今年はチェックのシャツが
流行っているようなので思い切って購入してみた。
職場のBさんが最近こんな感じの格好をしている。
爽やか青年のBさんには、非常に似合っていると思う。

いざわたしが着てみると・・・・ちょっと90年代のオタク男子風だ。笑
チェックのシャツって、以前はオタク男子のイメージだったんだよね。
一歩間違うととてもダサくなってしまうので、あまり手を出さなかった。

ここ数年80年代から90年代前半あたりのファッションがリバイバルしているらしい。
そういえば、チェックのシャツも以前流行ったっけな。
当時は小学生だったわたしもよく着ていたような気がする。

80年代のリバイバルっていうなら、女性服の方が顕著だと思う。
今年の春はボディコンも復活したし、柄なんかは80年代っぽいのが多い。
90年代に多感な思春期をおくったわたしとして、ちょっとだけ痛々しい。苦笑
服とかならまだいいのだけど、リボンやカチューシャ、シュシュなんかの
ヘッドアクセサリーはちょっと厳しいもんがあるんだよね。

ただ、不思議なもので10年前はダサいと思われていたものでも、
今の時代に見るとそれなりにカワイイと思える。
業界が仕掛けてるってのは百も承知だけど、ファッションっておもしろいな。

リバイバルしているのは服だけじゃなくて、髪型もだ。
男の子の髪型は刈上げのツーブロックが主流になりつつあるらしい。
一時期ネコも杓子もやっていた「センター分けボブ」も徐々に流行り始めている。
女性の髪型も、毛先に段を入れないワンレングスが復活しているようだ。
また、80年代風のベリーショートも注目されているとか。
女性のベリーショートが好きなわたしとしては、歓迎したい。

しかしツーブロックもワンレングスも、一時期は「禁断の髪型」っていうぐらい
ダサい髪型だったんだけどなあ・・・・。
流行って本当に何でもアリなんだよな。

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義姉弟

雑記
05 /05 2009
兄が6月に結婚式をすることになった。
先月の末から、お嫁さんを連れて帰ってきて
向こうのご両親と一緒に親族の顔合わせをした。

昨年の11月に知り合って今年の3月に入籍という
スピード婚ではあったけれど、お嫁さんもご両親も
気さくで楽しい人だったので安心した。
兄には暖かい楽しい家庭を築いて欲しいと思う。

ちなみにお嫁さんはわたしより2歳年上だ。
6歳離れている兄よりはわたしに年が近い。

兄とは8歳、姉とは11歳はなれているわたしとしては、
年が近いお姉さんが出来たことはうれしい。
ただ、ちょっと気恥ずかしいってのもある。
それにお嫁さんけっこう美人だし。

何しろ今まで赤の他人だった人で、しかも異性だからね。
「家族」になるにはやはり時間がかかると思う。

きれいな義姉が現れてドギマギしているのは、何だかノンケっぽいなあ。
まあ、ゲイだっていってもやはり男だからね。
うちとけたら仲のよい姉妹のようになれるかも。

ところで、こういう話を職場のKくんにしたら
「あ~確かに・・・・俺がKazuccineさんだったら変な気起こしてるかもしれないですね」
なんて言っていた。

う~ん、そういうことじゃないんだけどなあ。
仮にわたしがノンケ男だとしても、兄のお嫁さんに恋をしたりってありえないと思う。
異性として意識しちゃうんだけど、恋愛や性の対象としては絶対に見れない。
義理とはいっても姉なんだからさ。

「っていうか、お兄さんに対してムラムラくることとかなかったんですか?」
こういう質問をきくと、やはりKくんは一人っ子なんだなあ・・・・って思う。
兄弟いる人ならわかると思うけど、兄弟に対して欲情するなんてことは絶対にない!

「いや~、俺は妹が戸田恵梨香だったら絶対に寝込み襲ってます」
なんてことをKくんは言うのだが、どんな魅力的な人であっても家族って時点で
性的な対象として見ることは出来ないんだよね。
わたしの場合、たとえ兄が椎名桔平でも欲情はしないハズだ。
ここらへんは感覚的な問題なので、一人っ子のKくんには理解出来ないらしい。

ちなみにKくんは、育った家庭環境がちょっと複雑だったってこともあり、
従兄弟なんかの親戚づき合いもあまりなかったそうだ。
なので、同世代の血縁関係ってのがそもそもピンとこないのだろう。
ここらへん一人っ子の元彼もそうだったな。

ところで、日本ではいとこ同士の結婚は可能なんだけど、
日本以外の国では禁止されているところもあるそうだ。
わたしとしてはいとこ同士で恋愛やセックスというのも
ありえないのだけど、一昔前までいとこ結婚は多かったらしい。
たしか民主党の管直人さんなんかもいとこ夫婦だったと思う。

近親姦というのも、国や時代によって違う。
日本でも平安時代頃までは、異母きょうだいの間で結婚や
セックスするのは決して異常なことではなかった。
特に古代の天皇家では、異母きょうだい間で結婚している例が多い。
聖徳太子の両親も異母兄妹だ。

日本だけでなく、エジプトではクレオパトラなんとかも弟と結婚している。
そういや「王家の紋章」でも、メンフィスとアイシスは当初結婚する予定だったっけ。
キャロルがライアン兄さんのことを慕っているのを、メンフィスが嫉妬している場面もあった。笑

まあ、古代はともかく現代ではやはりタブーだと思う。
やっぱり感覚的に受け付けない。

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VIVA!しのざき美知

雑記
05 /02 2009
しのざき美知はすばらしいと思う。

しのざき美知*東京ブギウギ(笠置シズ子・小松方正)


これもあえて許そう。笑



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和江さん

30代シスジェンダー(?)ゲイ。

日本の片隅にひっそりと暮らしている。
お仕事は福祉系。


マドンナが大好き。


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