ミソジニーゲイ

雑記
09 /30 2008
わたしはこのブログでも、mixiでも、基本的には性別やセクシャリティに

拘らず、色んな人に読んで欲しいなあ~と思っている。

唯一お断りなのはマドンナのことをバカにする人間だ。

マライアのファンでも、浜崎あゆみのファンでも構わないが

それらを賞賛するためにマドンナを貶したりしたら、絶対に許さない。

でも基本的には女性でも、ノンケでも、あるいはゲイフォビア(同性愛嫌悪)の人でも、

色んな人が見てくれたり、読んでくれたらすごくうれしいと思う。

ブログをやっている以上、たくさんの人に読んでもらいたいなって思うのは当然じゃないかな。


ゲイのmixiなんかは、「同性愛に理解のある方のみごらん下さい」ってのが多い。

正直こういうのを見ると、しょうがないと思いつつも何だか淋しい。

日記の内容は別にポルノ的でも何でもないのに、わざわざそんな注意書きする必要があるのかな?

何がどうおかしい・・・・と説明するのは難しいが、何か違うなあ・・・・と思うのだ。

以前はmixiやブログを「ゲイ限定」みたいにして公開することに対して

否定的だったけれど、最近はそれもしゃあないなあと考えるようになった。

実際同性愛に嫌悪感を抱く人も世の中にはいるだろうし、そういう人たちによる

嫌がらせなんかもあるんだろう。

自衛の手段としても、あるいは見たくない人の権利を守るためにも、仕方のないことかもしれない。

まあ、頭ではわかっていても違和感はあるんだけどね。


でも、さすがにこれはちょっと違うなあ・・・・と思うこともある。

「女性の閲覧は禁止します。コメントはしないで下さい」

これ、どうよ?

まず思ったのは、「あんたは何様だ?」ってこと。

基本的に、mixiって日記の閲覧もコメントも自由なんじゃないの?

本来だったら、自由にしていいことをあえてお断りしてるんだから

ちったぁ下手に出ろや?って思うのはわたしだけか?

同じようなことを書いているレズビアンの女性もいるけど、

そういうページを見ちゃうとどうしても不快感を覚える。

レズビアンネタで、どんな過激なことを書かれるより

そうやって犬でも追い払うみたいな一文の方がずっとずっと不快だ。


ん~、まあこりゃ「しょうがない」のかもしれない。

「女性(男性)お断り」っていう気持ちが、ちょっと強く出過ぎちゃったんだと思う。

何とも不快だったのは、

「ゲイに理解のないやつと、女はとっとと消えやがれ」とまで書いてあることだ。

こんなん、ゲイフォビアが「同性愛者はとっとと消えやがれ」って

書いてるのと同じじゃないか。

よっぽど「ゲイに理解のないやつ」に苦しめられたのかもしれない。

よっぽど女が嫌いなのかもしれない。

でも、色んな人が見ているmixiでそんなの書くなよ、と。

最初っから喧嘩売るようなことしなくたっていいじゃんか。

もっと言えばさ、そんなん書くからゲイが嫌われるんだよ・・・・って思う。

ミソジニー(女性嫌悪)が激しいゲイは、ホモフォビアなみに鬱陶しい。


そもそも、ゲイとだけ交流したいのだったらわざわざmixi使わんでもなあ~。

ゲイ専用のSNSがいっくらでもあるのに。

ちなみにわたしは、ゲイにだけ読んで欲しいことはゲイSNSにしか書かない。

もちろん多少エロい話もmixiやブログに書いてるけど、

そんなに生々しい話や、際どい話は書いてない(つもり)。

不快になる人は見なきゃいいだけの話だ。

もちろん好き勝手書いてるわけじゃなく、それなりに考えて書いてる。

だからいちいち目くじら立てんで欲しい。


そもそも、「女は見るな」って書いている人の「女」ってどこまでの女をいうんだろう?

ノンケ女性は言うに及ばず、レズビアンの女性もかな?

じゃあ、FtM(女性から男性に変わった人)の人は?MtF(男性から女性に)の人は?

FtMのゲイ(女性から男性に変わって、男性が好き)の場合はどうなるんだ?

ついでに、バイの人に関してはどう思っているんだろう?

「ゲイだから」ってわけじゃないんだけど、頭のかたいノンケじゃあるまいし

少しは「多様な性」について考えてもいいんじゃないの?


そしてもう一つ、「ゲイに理解がない」人たちの「理解しない」気持ちを理解しようとしない。

うーん、ちょっと変な日本語になっちゃったけど・・・・、

「ゲイなんか理解出来ない」って言ってる人たちが、なぜ理解出来ないのか、

理解出来ない背景は何なのか、そういうことを考えることも必要じゃないかってこと。

相手に理解を求めるなら、相手のことを理解する姿勢も持つべきだ。

と、いいつつわたしにそれが出来ているかっていうと、そんなこともない。

腹が立つもんは腹が立つ。

でも、心がけとしては必要じゃないかな。

青臭いと言われるのは百も承知だけど、そういうの大事にしなきゃいけないと思う。


・・・・と、ここまで書いてきて気付いたのは、わたし自身が過激なミソジニーゲイを

理解することも大事だな・・・・ってこと。

自分にとって不快だからといって、拒絶しちゃったらそこで終わりだ。

「理解する姿勢が大事」とか言いながら、矛盾してる。


世の中、なかなか難しい。
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末っ子ゲイ哀歌

雑記
09 /29 2008
末っ子の取扱説明書末っ子の取扱説明書
(2008/09/16)
Dalle Dalle

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「B型自分の説明書」にしてもそうだったけれど、こういう類の本って

誰にでも当てはまるようなことを、いかにもそれっぽくまとめてるだけ。

飲み会の席で使い古されたネタが、一冊に凝縮されているにすぎない。


で、感想はどうかっていうと。

「当ってるわ!」

はい、まんまと著者の術に引っかかってしまうわけです。

わたしの場合、特に「末っ子っぽい」と言われるからなおさらだと思う。


そういや、ゲイには末っ子が多いっていう話を聞いたことがある。

これも別に統計を取ってみたわけじゃないし、ヨタ話の一つだとは思うけど

自分自身それに当てはまっているわけで、確かに気になるのだ。


実際mixiの「長男ゲイ」のコミュの人数と「末っ子ゲイ」のそれを

比較してみたら「長男ゲイ」の方がはるかに多かった。

ほら、やっぱりウソじゃんと思いつつ、「末っ子長男」っていう人もいるんだよな。

上にお姉さんがいる男の子だ。

「ゲイには末っ子が多い」という説をとなえる人にいわせると、

「末っ子長男」に最も多いらしい。

「姉がいる男の子」というのが重要だそうだ。

わたしは「末っ子次男」だけれど、姉がいるからやはり該当してるかも。

姉がいることによって心が乙女になっちゃうのか、あるいは姉にいじめられて

女性不信になっちゃうのか、そこらへんの原因はよくわからない。

ま、いずれにせよヨタ話だから、小難しく考えるのもバカバカしいのだが。


さて「末っ子の取扱説明書」で一番納得しちゃったのは

「一人っ子よりはマシだろ!」の一文だ。

末っ子も一人っ子もバッシングにあいやすいのだが、わたしの周りにいた

一人っ子たちは「バッシングされるもの同士ともに戦いましょう」っていうよりは

「でも末っ子の方がワガママで甘えん坊で始末が悪いじゃん!」と、

何故か攻撃の対象を末っ子に仕向けてくるのだ。

今までわたしの周りにいた一人っ子は全員そうだったので、これだけは

統計を取るまでもなく、一人っ子の性質として認めてもいいと思う。

ワガママとかマイペースという点で批判されるのは同じなんだけど、

末っ子の場合「甘えん坊」という要因も加わるんだよな。

別にわたしは一人っ子は嫌いじゃないし、それだけで人を判断したりはしないけど

バッシングの対象をこちらに向けてくることだけは勘弁だ。


まあ、ここまで読んでもらえばわかると思うけれど、

わたしはいかにも末っ子らしい末っ子の自分がけっこう好きなのだ。

こういうところが「末っ子っぽい」のかも。

恋の花を咲かせましょう

雑記
09 /28 2008
shoutingman
職場のKくんは、どうも女性が苦手らしい。

だからといってゲイってわけじゃなく、女の子は大好きだけど

上手におしゃべり出来ないらしいのだ。

わたしと話してる時は、よくしゃべるし、話題も豊富だし、何の

問題もないように思えるんだけれど、女性の前じゃ緊張して話せない。

しかも、相手をけなしてしまうという。

「その時計安そうだよね~」とか言っちゃうらしい。

そんなん言われたら相手はいい顔せんよ。

後々、相手の子にデートの感想を聞いたら

「会話がなかった」と言われてがっくりしちゃったという。


「普段のKくんそのままでいいじゃない。わたしと話すように女の子とも話してごらんよ。

好きにならない女の子はいないよ」

と言ってみたものの

「ダメなんですよぉ~。女の子の前じゃ俺人が変わっちゃう・・・・」

とのこと。


彼は男前だし、カワイイし、親切で優しくて、女の子が好きになる要素にあふれているんだけどなあ。

彼がゲイだったら、わたしはぜーったいに放っておかない。

いや~、今でもタラシこみたい気満々ですが。

ま、所詮はノンケですがね。恋をするだけ虚しくなるだけよ。

ちなみに女の子の方も放っておかないみたいで、何気にモーションかけられることも

多いそうなんだけれど、向こうから積極的に出られるのもダメらしいのだ。

ここらへん、他のノンケ男子も似たようなことを言う。

基本的に追いかける恋愛が好きな人が多いのかな。


一応、女の子にはこう話してみよう・・・・と色々アドバイスしてみたものの

当の本人が「無理なんですよ~」って言うからには仕方ない。

フランクに話せる女の子が彼の前に現れてくれることを願おう。

彼に指導するべく、いくつか「会話例」みたいなものを挙げて

「こういう風にすれば話も盛り上がるし、女の子だって喜ぶよ」

とアドバイスしたのだが・・・・。

彼曰く「Kazuccineさん女慣れしてますよね~」とのこと。

一応彼の前ではノンケのふりをしているわたしだけれど、

どうやら彼には相当の女たらしと思われているようだ。

本当は女慣れもしてなきゃ、恋愛慣れもしてないのよ。

おまけに男慣れもしとらん。

恋愛に関しては人一倍不器用なんだってば。

まあ、しいていうなら彼よりは積極的だし、とにかく体当たりだ。

そのぶん傷つくことも多いのだが。


しかし、彼にしてもわたしにしても、恋が上手くいかない理由って

本人が一番わかっているもんなのかも。

だからこそ「どうしようもない」って気分になるような気がする。

ほんと、自分が変わるのが一番大事なんだけどね。

ある日、突然

雑記
09 /24 2008
ものごとというのは、徐々にそうなっていくことも多いけれど

「ある日、突然」そうなっちゃうことも多い。

例えば、子どもにとっての自転車がそれだと思う。

よほど要領のいい子や、運動神経のいい子は乗った初日から乗れるかもしれない。

でも、多くの子どもは何回も転んで、失敗しながら乗れるようになる。

それも、練習するたびに上手くなるんじゃなくて、上手になったり下手になったり、

三歩進んで二歩下がるを繰り返しているうちに、本当にある日突然ぐーんと上手になって

当たり前のようにスイスイ乗りこなせるようになっちゃうのだ。

鉄棒の逆上がりなんかもそうだし、水泳なんかもそうだと思う。

そんでもって出来ちゃうと、「何でこんな簡単なことが出来なかったんだろう」って思うんだよね。


こういう「ある日、突然」っていうのは、自転車や鉄棒みたいな努力が必要なものに限らず

味覚の変化なんかにもある。

コーヒーやビールの美味しさがわかるようになるのも、「ある日、突然」そのおいしさが

わかるようになるんじゃないかな。

子どもの時、親にビールを飲まされると不味くて苦くて耐えられなかった。

大人になってつき合いで飲んでいるうちに、気がついたら美味しく感じられるように

なっているっていうパターンが多いと思う。

そんで、飲めるようになると「何でこんな美味しいものが好きになれなかったんだろう?」って思うのだ。


さて、こっからは下ネタなので、平気な方だけ「続きをよむ」をクリックして欲しい。

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何かに捕らわれた時

雑記
09 /23 2008
policeman

しなきゃいけないことが多すぎる。

やらなきゃいけないことに捕らわれて、何も出来ない。

そんな時は、何か一つだけやればいい。

10ある、やらなきゃいけないことを一度にするのは無理だから

そのうち一つだけを確実にやり遂げることだ。

そして、明日は違う一つのことを確実にやり遂げる。

十日間で、10のことをやり終えているから。


身動き取れないのは気のせい。

一つ一つを確実にやり遂げれば、自由になれる日は来るよ。

そう思って、一つ一つやっていくしかない。

やらないよりゃましだ、という開き直りもたまには必要だ。

禁酒する日々

雑記
09 /22 2008
禁酒
最近お酒をひかえるようになりだしたせいか、

今朝「少しだけスッキリしたんじゃない?」と母に言われた。

もっとも、母の言うセリフなのであてにはならないのだけど、

もしかしたら禁酒にむけてがんばっていることに対する、

ちょっとした応援の意味かもしれない。

以前みたいに酒なしにはいられない・・・・って感じでもないので、

もしかしたら今回の禁酒は成功するかも。

とはいえ、甘いものが恋しいのも相変わらず。こちらも我慢しなきゃ。

ついにで、何故か性欲は少し減退気味。

酒と性欲の強さって関係あるのかな?

まあ、減退といっても一日二回だったオナニーが一回に減った程度なんだけどね。

来月26だし、年齢によるもんかなあ。

・・・・ん?何やら話が下ネタになってきたぞ・・・・。


酒を飲まなくなって発見したことの一つが、朝の清清しさだ。

寝酒は睡眠を浅くするっていうけど、眠りが浅いせいか

単純に酔いが残っているせいか、どうも起きがけがボーっとしていた。

今はわりとぱっちり目がさめるので、スッキリ気持ちがいい。

酒もいいけど、健康ってのもいいもんだ。


このまま禁酒に成功して、ダイエットにも成功したら

新しい彼氏と爽やかな朝がむかえれるかも。

禁酒もダイエットも、大事な自分磨きだ。がんばろう。

男同士のキスは美しいのだ!

雑記
09 /21 2008
何だか腐女子っぽいタイトルになってしまった。

っていうか、内容もちょっとそれっぽいけど。


非常にきれいな男同士のキスシーンをピックアップした動画を

YouTubeで発見したので。



どうしてかわかんないけど、男同士のキスっていうと「グロテスク」っていうイメージ持つ人が多い。

でもこの動画のキスはどれもきれいだし、そんなにエロいわけでもない。

心洗われるいいキスシーンばかりだ。

個性について(まとまりのない話です)

雑記
09 /20 2008
職場のOくんに「Kazuccineさんのキャラってわからない」と言われる。

わたしは別に「自分は○○キャラ」だとか考えたこともないし、

人間なんてフクザツカイキな生き物だから、そんなんに当てはめて考えること自体無理があると思う。


でも、テレビをつければオネエキャラとか、おバカキャラとか、

とにかく「○○キャラ」と呼ばれる芸能人の多いこと。

その人の特技や芸よりも、人柄やおもしろい個性を取上げるのが流行りみたいだ。

それが悪いとはいわないんだけど、何だか切ないなあって思う。

強力な個性を持つ人が注目を浴びるのは以前からあったことだ。

でも長い間支持され、楽しませてくれる人には生まれもった個性や存在感の他に、

歌や演技の才能があったり、巧みな会話のセンスだったり、人を惹きつける能力があった。

そういうものがない人は、やがて飽きられて表舞台から消えてしまう。

最近の、特にお笑い芸人なんかはちょっとおもしろい個性のある人は

すぐ取上げられ、またたく間にスターに仕立て上げられてしまう。

そのぶん消耗も早くて、何だか使い捨てにされているようにしか見えない。

お笑い芸人たち本人も、それを自覚してるようだからいいんだけどね。


これは人づき合いにしたって同じだと思う。

個性的な人は、集団の中にいると目立つし、人も寄ってくる。

でも、その中で仲間を得て、うまくやっていける人っていうのは

人のことを考えたり、思いやったり出来る人だ。

どんな魅力的な個性がある人でも、優しさや思いやりのない人に人はついてこない。

個性が強いぶん、変に孤立しちゃったりするからむしろ損じゃないかな。


こんなことを思うのも、わたしがどっちかっていうと目立つタイプだからだろう。

って書いちゃうと小さい頃から人気者でした、みたいな感じだけど

そうではなくどっちかっていうと「悪目立ち」の類で、人を惹きつける個性よりは

人を引かせちゃう個性の方が強かったみたいだ。

一言でいうなら「変」。

小中学生の頃はいじめの格好の対象になってしまった。

高校や大学になると、そういった変な個性も「おもしろい」と思ってくれる人もいた。

幸いなことに引かないで興味を持ってくれる人もいた。

そこで「おもしろい」だけじゃ、人はいつか去っていくっていうことも知った。

友達にとって一番大事なのは、一緒に笑って、泣いて、怒って、喜んだり悲しんだりすること。

理解しよう、理解したい、そういう気持ちだと思う。

それはどんな個性や性格の持ち主でも変わらないはずだ。


話がだいぶ飛んじゃったけれど、冒頭のOくんがわたしに向ってキャラ云々を

言ったのは、恐らくわたしが変な人だからだろう。

彼自身「オタク」に属している(らしい)。

ことあるごとに「オタクは~」という話をするので、きっと世間でいうところの

「オタク」のキャラクターの中に自分を見出し、自己表現の手段にしているんじゃないかな。

それが彼のアイデンティティだから、わたしは悪いとは思わない。

わたしはそうすることに興味がないから、違和感を感じちゃうんだけどね。


あまり堅苦しい返答もどうかと思うので、

「え~わかんないな。とりあえず“自分キャライタイな”ってよく言われる」

とか、冗談めかして答えておいた。すると、

「うーん、Kazuccineさん意外に自虐キャラですね」と。

別に何キャラでもいいんだけど、そんなキャラは嫌だよ。やめて。


何となくOくんの言葉に否定的なニュアンスで書いちゃったものの、

わたしも基本的には同じなのかもしれない。

個性と同じように、セクシャリティだって本当に人それぞれだ。

そんな中、自分を「ゲイ」という位置にはめ込んでいる。

Oくんが、彼自身を「オタク」と定義しているのと同じことだ。


ついでにいうと、「B型自分の説明書」も「末っ子の取扱説明書」も買っちゃった。

ようするに、自分を何者か規定したくてたまらない気持ちアリアリなのよね。

おまけに血液型占いなんて根拠もないものを・・・・、ただの俗物だ。俗物の極みだ。

・・・・あ、ホラ、また「俗物」なんて言葉で自分を規定している。


「個性もセクシャリティも人それぞれなんだよ」

そんなことを言いつつも、みんな自分が何者なのか定義したくてたまらない。

矛盾しているのだ。わたしも、そして世間も。

チビっ子くんに幸あれ

雑記
09 /18 2008
date

わたしは背が低い。

165センチ。平均を大いに下回っている。

以前はかなり気になっていたんだけれど、年をとるとともにそんなに気にならなくなってきた。

でもやっぱり彼氏は背が高い人の方がいいなあ・・・・と思ったりもする。

単なるないものねだりなのか、あるいは頼りがいのある男の象徴なのか

あるいはチビっ子にはのっぽの方が絵的に様になるからか・・・・まあ、理由はよくわからん。

顔や性格がタイプではなくても、背の高い人はちょっと気になる。

とはいっても、背が高けりゃいいってもんでもなく180センチ台後半の人は

いつも見上げるような感じなのでちょっと苦手だ。首が疲れるもの。

175センチぐらい、目線が少し上にいくぐらいがちょうどいい。


なーんてことを言いつつも、実際好きになる人は背が低い人が多くて

下手をすると自分より小さい人なんてこともある。

まあこれは顔立ちの好みとかと一緒で、

タイプの人と好きになる人が食い違うなんてよくあることだ。

特に身長なんてのは、外見の好みの中でもそんなに気になるほうではない。

まあ、どうせだったら高いほうがいいかな~という程度だ。


ところで、若者の平均身長はどんどん高くなっているなんて

以前はいわれていたけれど、実は近年はそうでもないらしい。

1969年生まれの人をピークにして平均身長は伸びず、むしろ近年縮む傾向にあるそうだ。

しかも、平均身長が伸びても足の長さはほとんど変わっていないという。

胴長短足の日本人体型はそのままだったということ。

食生活や正座をすることが少なくなったとはいっても、DNAに刻まれた体の構造は

そうそう簡単には変わらないようだ。残念なことに。


まあ残念とはいいつつ、背が低いことはそんなに悪いことではないと思う。

ノンケはどうか知らないけど、ゲイの中では背が低い方が好かれる・・・・なんてことも

なきにしもあらずだし。(状況や相手は結構断定されるが)

背が低い人の方が平均寿命が長いらしい。(これあんましうれしくないなあ)

とにかくチビっ子は胸をはって生きていくべきだと思う。

ファイトだ!チビっ子男子!

・・・・バ、・・・・バ・・・・バ・・・・!

雑記
09 /16 2008
shouting

「バカやろォォォォォ~~~~~~!!!」



全てに対して、そう叫びたくなっちゃう時がある。

叫べたら、スッキリするだろうなあ。


バカやろうめ、チクショウめ、俺だって一生懸命やってるんだよ。

なのに、何もかもうまくいかない。

男の下着談義

雑記
09 /14 2008
下着

最近では男性下着の定番といったら、ボクサーブリーフが主流だ。

以前は綿のトランクスだったけれど、若い男性なら大半がボクサーをはいていると思う。

はいている男性にも人気だし、女性にも好まれているそうだ。

以前は、たとえば白いブリーフをはいている男性なんかを見ると

「それ、お母さんが買ってきたの?」なんて失礼な質問をあびせる人もいた。

不思議なもんで、今はチェックの綿トランクスなんかをはいている人に似たようなことを思っちゃう。

まあ、何をはこうとそれは個人の勝手なんだけどね。


20代の男性には圧倒的にボクサーが主流だと思うけど、中高生の男の子たちはどうなんだろう?

その年頃の子たちの着替えを見たことがないので、よくわからない。

ちなみに、ボクサーにはトランクスより大人っぽいイメージがある。

中高生ぐらいの男の子が、ボクサーはいているのを見たら

「何?子どものくせに色気づいちゃって!」って思っちゃうかも。


今ではどうか知らないんだけれど、男の子が「お母さんの買ってきた白ブリーフ」から

トランクスにはき替えるのは、かつては中学1年生だった。

今大体30歳ぐらいの人に聞いてもそんな感じだし、少し下の世代の男の子に聞いてもそう言う。

二十歳ぐらいの男の子だと、小学校からトランクスだったって言う子もいる。

(っていうか、そんなことを何人もの人と話してること自体どうかと思うのだが。。。)

「お母さんの買ってきた白ブリーフ」からトランクスにはき替えることは、

思春期に男の子が経験する、一種の通過儀礼みたいな意味合いがあった。

下着っていう、きわめてパーソナルなものを自分の意思で選ぶっていう点でも、

あるいは「見られる性」として自分を意識するという点でも、

子どもから大人へ向けての最初の第一歩だったのだ。(この言い方は少し大袈裟かも)

中3あたりになっても、いまだに白ブリーフをはいている男の子はひどくバカにされ、

男の子の間でのみバカにされるだけでなく、

女の子にまで「○○くんって、まだ白ブリーフなんだって」と

陰で悪口を言われる。(ここらへんゲイの男の子でも気になったんじゃないかな)

たかが下着、されど下着なのだ。

最近は小学生の頃からトランクスっていう子も多いらしいので、

トランクスが子ども時代からの卒業って意味合いはないかもしれない。


ちなみにこれはわたしだけかもしれないが、トランクスには「童貞」のイメージとリンクするものがある。

童貞を卒業した男の子が、トランクスからボクサーにはき替えるみたいな。

って、こりゃ単に個人的な経験からくるイメージかもしれないけど。

ボクサーが流行し出したのが高校を卒業した頃で、その時期に初体験を済ませる

人が多かったから、何となくそんなイメージが出来上がってしまった・・・・とも考えられる。

上に書いたように、中高生がボクサーをはいているとどこか不埒な印象があるのも、

「ボクサー=経験済み」っていうイメージがあるからだろう。

ボクサーが一般的に普及している今の時代、「お母さんの買ってきた白ブリーフ」あるいは

「お母さんの買ってきたチェックのトランクス」を卒業して、ボクサーをはくようになる

中学生の男の子だっているにちがいない。


まあ、何をはこうとその人の勝手なんだけどね。

ちなみにわたしは相手のパンツにこだわりはなし。

「脱がせてみたい」と思わせてくれれば、どんなパンツでもよし。

パンツを脱がせてくれる男よ、わたしの前に現れてくれ。

禁酒と甘いものの関係

雑記
09 /12 2008
わたしはお酒が大好きだ。

毎日寝酒をするばかりではなく、休日は昼酒までした。

学生時代からそんな生活を何年も続けてきたので、

体にも徐々にガタがくるようになり、体型もすっかり崩れてしまった。

いい加減にやばいな、と思い始めたのは昨年で

心療内科のカウンセリングを受けつつ、今は禁酒の方向にむかっている。

禁酒っていっても全く飲んでないわけじゃないんだけど、

量を減らしたり、回数を減らすように努力している。

最近は週に一回程度までがまん出来るようになった。


ところでお酒をあまり飲まなくなってから、妙に甘いものが恋しくなった。

今まではそんなに甘いもの大好きってわけじゃなかったんだけど、

アイスや果物が欲しくてたまらなくなる。

うーん、せっかく酒やめたのに、これじゃあ糖尿になっちゃうわ・・・・。

禁酒と同時に禁煙もしているので、よけいに口淋しいのかも。

まあ、何だかんだ言っても精神力の問題なんだけどさ。


楽しいこと、気持ちいいことをがまんするのは、けっこう辛い。

大事なのは対話の姿勢

雑記
09 /10 2008
mixiの日記で、妊娠中絶のことに関して書いた。

何でそういう話になったかというと、アメリカの大統領選の共和党副大統領候補ペイリンに

ついて書いたからなんだけれど、彼女が中絶反対運動の活動家だからだ。

わたしは、中絶は権利であり、それを法で禁止するべきじゃない。

中絶の権利は守られなければいけない。と、考えている。

そう書いたんだけど、どうも書き方がまずかったのか、中絶反対派のマイミクさんを刺激してしまった。

その人自身も不快な思いをしたことだろうし、わたしに賛同してくれたマイミクさんにも

気まずい思いをさせてしまった。

中絶問題は、デリケートで深くて、複雑な問題だ。

右でも左でも、男でも女でも、フェミニストでもアンチフェミでも、ありとあらゆる宗教の中で、

ありとあらゆる思想の内部で、それぞれの意見が対立している難しい問題だ。

あまりいい加減な気持ちで書いてはいけないんだ・・・・と身にしみて感じた。


それにしてもなあ・・・・どうして「中絶の権利は守れ」という意見が

あたかも「中絶賛成」みたいな感じで受け止められちゃうんだろう?

中絶がいいことだなんて、決して誰も思っちゃいない。

生命を奪う、悲しくて、痛ましく、出来るだけ避けないといけない

行為だってことはみんなよくよく理解している。

だけど、中絶を犯罪化し、処罰の対象に加えるのは違うんじゃないか。

権利は権利として守られるべきじゃないか。

それこそが、多くのプロライツ(権利尊重)の人の考え方だろうに。


「避妊教育なんてするな。婚前交渉を禁止すればいい」

なんていきまいている、アメリカの宗教右派(中絶反対運動の中心)に比べたら

よっぽど中絶などない社会にしたいと思っているんじゃないかなあ。

おそらく、中絶に対する嫌悪感が激しく、少しでも肯定的なニュアンスの意見があると

「許してなるものかっ!!」っていう風に正義感が働いていしまうんだろう。

議論も大事なんだけれど、もう少し「対話の姿勢」みたいなものが望めないだろうか。


そして、これは妊娠中絶の問題に限らない。

同性愛に関してだって同じことだ。

どうしてもゲイやレズビアンを認められない人たちがいる。

これはただ単に彼ら、彼女らが頑固者っていうだけではなく、

本人たちなりの確固たる道徳観や信念が背景にあるからだ。

対立して、意固地になられたら本当に厄介だ。


とにかくけんか腰になっちゃだめ。

対話し、お互いがお互いを理解しようっていう姿勢が大事なんだろうな。

難しいことだけれど、無理なことだって放棄するよりはマシだ。

諦めちゃったら、そこでストップしちゃうからね。

90年代前半、小学男子とゲイブーム

雑記
09 /08 2008

lovers

自分が「ゲイ」なるものの存在を知ったのはいつだろう?と考えてみた。

恐らく小学校5年生ぐらいの時、深夜番組で「性の先駆者」(すげえタイトル)

みたいな特集をやってたときじゃないかなあ。

「先駆者」としてSM愛好家やゲイ、レズビアンの人が出てきてた。

また、当時上岡龍太郎の50人シリーズというのがやっていて、

その中の「ゲイ特集」も見た記憶がある。

90年代前半、わたしが小学生の頃はメディアで「ゲイブーム」があったらしいので

第二次性徴直前にそういったものに触れることが出来たのは幸いだったかも。

それにしても、「性の先駆者」扱いされてたことからうかがえるように、

まだまだ当時は「特殊な趣味」みたいな感覚が強かったんだろうな。

まあ、ストレートに「変態特集」とかじゃなくて、「先駆者」という言葉を使われるのは

まんざら悪い気がしなくもないけれど。

その「先駆者」の中にも、きっと今のわたしみたいな、いなかっぺの冴えないお兄ちゃんもいたんだろうな。

ジェンダーフリー教育や、性同一性障害について公教育でも触れられるようになるのは

もう少し下の世代からだ。

もう少し上の世代の人だと、同性愛なんておぞましい以外の何ものでもないというのが

常識だったなんて話も聞くし、そういう点ではわたしの世代はわりと過渡期だったのかもしれない。

ゲイを全否定するような人もそうそういないかわりに、全く抵抗がない人もあまりいない。

同世代と話をしていると、そんな感じがする。

大学時代にカムアウトして、わりと普通につき合っていた友達なんかでも

「実はあの時ショックだったんだよ」なんて話もあとになって聞いた。

二十歳前後の子たちはどんな感覚なんだろう。興味深い。


ちなみに小学生時代、男子の裸に欲情しつつもいまいち自分がゲイだとは思えないでいた。

家にある「家庭の医学」(恐らく70年代前半のもの)を読んで、

思春期は異性への憧れが上手く表現できないため、同性愛に走る傾向があります。しかし、徐々に自然と異性へ関心が向うようになります。

なんて言葉を素直に受け止めていたものだ。

わたしは残念ながら、徐々に自然に同性への情欲が高まるようになっちゃいましたけど。

今読むと、こんなものが大真面目に出版されていた時代があることが恐ろしい。

さすがに中学生ぐらいになると、やっぱり自分はゲイじゃないかと思うようになり

高校にもなれば、こりゃ絶対にゲイだね・・・・と思うようになった。

だって思春期後半になっても、全然異性に関心が向わないんだもん。

ゲイであることに激しい葛藤があったか、というとそうでもないが

全く素直に受け止めていたか・・・・というとそうでもない。

この中途半端さも、あの時代に育ったせいかもしれない。

胸の中のもやもや

雑記
09 /07 2008
昨日はひどくネガティブな気分だった。

ブログの内容があんな風になっちゃったのもそのせい。

原因は不明。時々すごぉく嫌な感情に襲われる。


ひどい自己否定になることもあれば、昨日みたいにひどい他者否定になることもある。

自分でも他者でも、否定するよりは受け入れる方がいいし、

拒絶するよりは理解する姿勢を持っていきたいと思う。

でも時々凄まじいぐらい人を全否定したくなる時がある。

傷ついているのを見て、心地よく感じることだってある。

そういう自分を嫌だなあ・・・・と思うこともあれば、清清さでそういう負の感情が飛んじゃったりもする。

自分を傷つけたぶん、その人にも傷ついて欲しい・・・・とか、何の生産性もなくて

ネガティブすぎる感情だとは思うけれど、時々おさえがきかない。


思えば元彼に対してもそうだった。

あまり人の痛みがわからない人だったから、よく傷つけられた。

傷つければ自分の痛みもわかってくれるに違いない・・・・、そう思って

ずいぶんと酷いことも言ったりしたものだ。

「そんなん人に言われたの初めてや」

何か言うたびに言われた。

当たり前だけど、それで優しくなれるわけがない。

別れの危機も何度かあったけれど、不思議とそういう時期は別れることはなかった。

変な話だけど、セックスでうやむやにしていた。

だからこそ、ストレスから彼がインポになってしまった時は、本当に別れようかと思った。

でもさすがに罪悪感みたいなものもあったし、そうこうしているうちにインポは治った。


素直に、優しくして、酷いこと言わないでって言えばよかったのかもしれない。

あるいは、人の痛みがわからないなら見切りをつけたほうがよかったのかもしれない。

でも、対立を乗り越えて穏やかな時期もあったから、そうしなくてよかったと思う。


傷つけてやりたい・・・・という感情がなくなった時、

好きだっていう感情もなくなった。

「傷つけたい」は「好き」と表裏一体だったのか。


彼と別れて以来、いつかまた恋をしても同じ失敗などしない・・・・と心に誓った。

でも、自分の中にあるネガティブな感情に気付く時、

同じような失敗を繰り返すのじゃないか・・・・と不安になる。

カリカリする瞬間

雑記
09 /06 2008
とにかく開き直りがひどい人が嫌で仕方ない。

話してていやな気分になる人は、必要以上に関らない方がよいと思うけど。

とにかく一言言いたい衝動にかられる。


「あたし一人っ子でよかったと思う。人に合わせるの苦手だし~」

別に合わせなくていいよ。一人でやってれば?


「以前はこういう自分が嫌いだったけど、今ではこういうとこ含めて好きになれたかな」

うん、でもみんなまだ嫌ってるよ。


「私は温室育ちだから・・・・」

外に出て枯れろ。


「俺さ~、人とつるむの苦手なんだよね」

その割にご飯も一人で食べられないじゃないの。


「今まで言いたいこと我慢してたけど、我慢は体にも良くないし、やめようと思って」

あんたの言葉のせいで体調崩してる人がいるんですけど。


「勉強できるだけのバカと違って俺は・・・・」

勉強もできない上にバカのあんたが何を言う?


「俺育ちがいいからさ」

育ちの悪い人が言いそうな言葉ですね。


いくつかは我慢した。

いくつかはポロっと出た。

自分が好きで、人を傷つける人は嫌い。

自分が好きで、人を貶める人も嫌い。


好きなのは、自分も他人も好きな人。

自分も他人も大切に出来る人。

自分も他人も尊重できる人。


まあ、自分自身なかなかそうはなれないのだけど。

天使の媚態

雑記
09 /05 2008
学生時代のクラスメイトに、いわゆるブリっ子がいた。

とろ~としたしゃべり方で、仕草から何から何まで甘え媚びる

態度ムンムンだった。

当然だけど、女子の反感を買うタイプ。

「あの子きらーい。絶対性格悪いよね。でもああいう子男の子は好きなんでしょ?」

と、女子が言えば

「あ~、でも俺ああいう子苦手やねん。元気で明るい子の方が好きやわ」

と男子が答える。

そう、完璧なまでにブリっ子しているわりに、案外男子の受けはよくない。

「つき合うのは無理やな」っていう子が多かったけど、それは本音だと思う。

ただそう言いつつ、どこかで友達になりたいと思ってもいたようだけど。


女の子の群れに入ることはなく、仲のいい特定の子としか話さない。

わりと一人でご飯を食べていたり、勉強していることが多かったことを覚えている。

不思議なもので、一部の女の子たちからはすごく好かれていた。

「いや~話してみると意外にいいわ。オンナオンナしてなくってさ」

男子の前で見せる媚態とはうらはらに、割と女同士ではサバサバと言いたいことを言う性格だった。

その割に女同士の悪口なんかは言わない。

ちなみに、曲がりなりにも男子だが、ゲイであるわたしの前でも甘え媚びは一切ナシ。

気持ちいいぐらいサッパリしている。しかも頭もいいんだよね。

政治経済から文化芸術にいたるまで、一通りのことは知っていたように思う。

趣味がけっこう偏っているわたしのような人間とも、そこそこ話を合わせてくれたからね。


こんなサバサバと気持ちのいい、彼女の「裏の顔」を見れないノンケ男子は可哀想だったと思う。

また、彼女の「表の顔」ばかり批判していた女の子たちはもったいない。

せっかく清清しい女っぷりを見せてもらっていたのに。


わたしが苦手だったのは、むしろ「元気で明るい女の子」たちだった。

デビュー当時の広末涼子を思い起こさせるような、明るくて活発で、それでいて女の子らしい。

「わたしは自然体」っていうアピールが強烈にあった。

いやらしいぐらいに。


でも、その自然体って逆に不自然じゃない?

意地悪くそんなことを考えてしまう自分がいた。

みんな多かれ少なかれ、男の前と女の前じゃ違うもんだよ。

しゃべり方でも、声のトーンでも、仕草でも。

少しぐらい変わった方が普通だと思う。

わたし自身、ゲイの前とノンケの前じゃ少し違う。


男の前でも、女の前でも「あえて」態度を変えず、女にも好かれ

男にも意識されたい・・・・とでもいうような、そんな「自然体」の女の子たちが苦手だった。

まあ、こういうのも好みの問題かもしれないけど。

自分でいうのも変だけれど、女子をこんな目線で見る機会に恵まれてよかったと思う。

まさにゲイの特典だ。

「兄貴っ!」「弟よっ!」

雑記
09 /03 2008
brothers

mixiのコミュに「兄弟みたいな彼氏が欲しい」というのがある。

これはゲイ向けコミュニティの一つだ。

何かコミュの名前からして気恥ずかしいものを感じるなあ・・・・と

思いつつも、ついつい自分もそこに参加してしまった。

だってねえ・・・・欲しいもん、「お兄ちゃん」みたいな彼氏。


古い(最近も?)ゲイ漫画なんか読むと、「あぁっ!兄貴イクっす!」みたいな

セリフが出てくるし、ゲイの恋愛関係と、義兄弟関係って似てる部分があるんだろうな。

もちろんそういうのを気持ち悪いと感じる人もいるようだし、わたしもさすがに

「僕のことお兄ちゃんって呼んでいいよ」と言われたときはぶっ飛んだ。

そう言いつつ、どこかで好きな人を「お兄ちゃん」とか呼んでみたいと思う自分もいるので

我ながら複雑だ。(っていうか、ただのワガママだろ!)


実際のとこ、「兄弟みたいな彼氏」なんてのは一種のファンタジーなんだと思う。

うちは兄は優しかったし、小さいわたしと遊んでくれたいいお兄ちゃんだったけれど

大抵の家庭では兄は弟をいじめるもの・・・・だというし、

成長期を過ぎた兄弟がベタベタしてる光景ってあまり見たことない。

大体兄弟でセクシャルなつながりがあったら、近親相姦じゃないか。

ん~、でも例えば男女の場合と違ってゲイの近親相姦ってどうなんだろう?

倫理的にはともかく、法律的にはあまり問題はなさげ・・・・って、ちょっと話が変な方向にいってしまった。


あれだ、ようするにオタク男子の「妹萌え」と同じ種類のもんなんだろう。

甘え、甘えられ、深いつながりのある関係というのが「兄弟」になるわけだ。

ん~、でももしかしたら、それこそヤクザの「兄貴と舎弟」みたいな「義兄弟」から

ゲイの義兄弟恋愛はきているのかもしれない。


ちなみに、実は元彼とも義兄弟的な関係はあった。

なぜか四つも年下のわたしが「お兄ちゃん」だったけれどね。

元彼が一人っ子だったから、まあしょうがない。

義兄弟ってのは単純に年齢の問題でもないようだ。

ため息の季節

雑記
09 /01 2008
今日は9月1日。

わたしが小中学生の頃は、9月1日というと「新学期」が始まる日だった。

今の小中学校は8月中に始まるところも増えてきている。

高校は8月の下旬に始業式で、9月初旬に学園祭だったので

休み明けテストや模試、学園祭準備で大忙しの時期だったな。

小学校時代、9月1日は清清しく、淋しく、何ともいえない気分の日だった。


風は爽やかに、空の色は少しくすんでくる。

季節は少しずつ秋の気配。

やはりどこか淋しく、切ない。

意味もなくため息が出ちゃう、そんなセンチメンタルな自分が

ちょっぴりおかしい。

和江さん

30代シスジェンダー(?)ゲイ。

日本の片隅にひっそりと暮らしている。
お仕事は福祉系。


マドンナが大好き。


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