Hard Candy

マドンナ
04 /30 2008
4月28日。

待ちに待った日がやってきました!!

そう、マドンナの新アルバム「ハード・キャンディ」が発売されたのです!!

ハード・キャンディーハード・キャンディー
(2008/04/30)
マドンナ、ジャスティン・ティンバーレイク 他

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前作「コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア」から2年半。

自身が所属するワーナーミュージックから最後のアルバムです。

今回は有名どころのプロデューサーがたくさん参加していて、しかも前作のテクノハウス路線から

一転してヒップホップアルバムになるということだったので、聴く前は少し不安でした。

マドンナらしくないアルバムになりはしないだろうか・・・・、自分の嫌いな音楽だったらどうしよう・・・・。

ここ10年ぐらいマドンナはテクノよりな音楽をやってきたので、いきなりの路線変更は

かなりの不安と衝撃をファンに与えたことでしょう。


ところが、蓋をあけてみれば見事にマドンナ節が貫かれています。

ヒップホップアルバムというよりは、80年代のディスコ・ファンクっぽい感じです。

ちょうどマドンナがデビューした頃、ディスコで流れていた音楽じゃないかな?

斬新なのにどこか懐かしい、前作とは違うアプローチでダンスミュージックに取組んだ意欲作といえます。


28日に購入して以来、ずっと聴いていますが早くも中毒になりそうです。

ジャスティン・ティンバーレイクとデュエットした先行シングル「4minutes」は個人的にはイマイチ。

キムタク主演のドラマ主題歌予定の「Miles Away」はしっとりとしたいいバラードに仕上がっています。

「She's Not Me」という曲では「いくらがんばっても彼女はわたしみたいになれないわ」という内容に

思わずドキリとさせられます。

なぜか浜崎あゆみを連想してしまったのはわたしだけ?

楽しいダンスミュージックなのに、シリアスな歌詞のっけるのがマドンナらしい。


このアルバムを引っさげて秋からワールドツアーを始めるようですが、

また世界中を踊らせてくれるんでしょうね。

来日コンサートが期待されます。

その日のために、今から貯金しておかないとな~。笑


それにしても、ファンをやっていてよかった。

マドンナ、素敵な音楽をいつもありがとう!!
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昨今のカムアウト事情

雑記
04 /24 2008
わたしは格闘技には詳しくないので全然知らなかったのだけど、

小口幸太くんという若いプロボクサーがゲイだと公言しているようだ。

公言しているどころか、かつてはゲイポルノにも出演したことがあるみたいだし、

新宿二丁目の売り専でも働いているらしい。

何でも亀田大毅を打ち負かした内藤選手と同じ事務所だそうだ。

スポーツ誌では「ゲイボクサー」として紹介されることもあるようだけど、

目立つための戦略でもあるんだろう。

有名人にとってゲイというのはタブーでもあるようだが、うまく逆手にとっている感じがする。

そういえば吉本のお笑い芸人りあるきっずの安田善紀くんも、

番組内でバイセクシャル発言をしているなんていう話もきいた。

テレビでは百花繚乱のオネエキャラブームが継続中みたいだけれど、

最近ではオネエではないゲイの有名人もカムアウトしているみたいだ。

10年ぐらい前では想像もつかないような状況だけど、何より本人たちにとって

背負わなくてもいい重荷を背負わされないですむのだから、すごくいいことだろう。

また、メディアにオネエや女装以外のゲイが出ることで、視聴者に

「こういう普通っぽいゲイの人もいるんだな~」というアピールが出来るんじゃないかな。


まあ、彼らに限らずゲイの噂がある芸能人はたくさんいるし、

そういう人たちだってどんどんカムアウトしていけばいいと思う。

わざわざ公表するようなものではないっていう人もいるだろうけど、逆にいえば隠すものでもない。

そもそもカムアウトなんて仰々しくかまえるようなもんじゃないと思うんだけどなあ。

「ゲイ疑惑」だ何だと下世話な週刊誌に書かれるより、堂々とカムアウトした方がすっきりするはずだ。


一つだけ不満があるなら、こういう「普通のゲイ」が出てくることで、今までの「オネエキャラ」の

ゲイたちの存在を否定するような人たちがいることだ。


「ゲイはみんなあんな人たちばかりじゃない」

「ああいう人たちのせいで、変なゲイのステレオタイプなイメージが出来上がった」

「ゲイ=女っぽいという間違ったイメージが植え付けられた」


以前はこういう意見がよく聞かれた。わたし自身少なからずそう思うところもあった。

実際オネエ言葉をしゃべって、女っぽい雰囲気のゲイは少数派だ。

つまり、オネエタレントたちは少数派の中の少数派というわけ。

たしかに、多くのゲイがあんな感じだというなら、それは「間違ったイメージ」ということになる。

でも、彼ら自身がゲイであることもまた事実だ。

つまり、少数派ではあっても「女っぽいゲイ」は確かに存在するということ。

「あんなゲイばっかりじゃない」ということは、「あんなやつらと一緒にするな」って言ってるようなものだ。

何だか少数派の少数派叩きという感じがして好きじゃない。


まあ、オネエタレントを担ぎ出したのはそもそもメディアだし、変なステレオタイプを

植え付けたっていうんなら、タレントたち本人よりもメディアに責任があるだろう。

でも、メディアはおもしろいものしか取上げないから、おもしろい「普通のゲイ」が

出てこなかったので仕方ないと思う。

そもオネエキャラを批判するなら、自分がテレビに出るなりして有名になってカムアウトすればいい。

オネエキャラ以外で、カッコよさなり、演技力なり、歌唱力なりを売り物にすればいい。

そうすりゃ、ゲイに対するイメージだって変わるだろう。

オネエキャラの人たちは需要があるからこそテレビに出ているわけだしね。

でも、そんなことをしなくったってもっと身近な人にカムアウトしていけば、

少なくとも自分の周りのゲイに対するイメージはだいぶ変わってくるはずだ。

わたしはカムアウト至上主義でもないし、カムアウトするしないは個人の自由だと思っている。

でも、自分がカムアウトする勇気もないくせに、メディアで堂々としているオネエキャラを

批判するのは少し間違ってるんじゃないかな~とも考えている。


小口くんや安田くんのカムアウトで世の中が変わるというものでもないけれど、

これからはカムアウトする有名人が増えてくれたらうれしい。

性的指向があくまで個性の一部として捉えられるような世の中になったら、

もう少し住みやすくなるんじゃないかな。

時間だけは過ぎ去り

雑記
04 /23 2008
職場のコミック担当者さんは、わたしと同い年だ。

そんな彼女には今年の春小学校に入学したお子さんがいる。

学生時代の友人にそのことを話したら、

「えぇ~?うっそだぁー。何その人?失礼だけど元ヤンキー?」

と言う。

「違うってー、非常に真っ当な人生を歩んでいるごく普通の人だよ。

 高校卒業して結婚して、19の時に息子さん生んだんだってさ」


と、事情を説明しておいた。

「・・・・そっかあ、ちょっと早いけどそう考えると、

 そんぐらいの年の子どもいてもおかしくないよね・・・・。

 何かさ、自分の年齢にちょっとびっくりしちゃった」


そう、そうなんだよね・・・・。気付いたら「いい年」になってるんだわ。


もうすでに、保育園に通うぐらいの子どもがいる友達は珍しくなくなっている。

相変わらず結婚するっていう報告はあとを絶たない。

家を建てた、職場で管理職になった・・・・ここらへんはさすがに珍しいけど。

わたしには想像もつかないような人生を歩んでいる人たちばかりだ。

そういったことが切ないとかそういうのじゃなくて、そういうことがありうる年齢に

自分がなっている・・・・というのが何とも不思議な気分だ。

考えようによっては中身が成長しておらず、年ばっかり食っているということだけど

こういう「知らず知らずのうちに月日が流れてる」っていう感覚誰にでもあるんじゃないかな。

気がつけば平成生まれが大学生に、バブル崩壊後に生まれた子どもが高校生になっている。

そりゃ、年もとるはずですがな。(何ともおっさんなコメント・・・・)


まあ、周りがどうあれわたしはわたしのペースでやっていくしかない。

年甲斐のない行動を指摘されれば、「これは心のアンチエイジングだっ!」と

意味不明な開き直りをしているわたしだが・・・・。

やはり内面はきちんと成長していかなきゃダメですよね。

B型ゲイの気になるところ

雑記
04 /21 2008
血液型占いをそんなに信じている方ではないのだが、ついつい

「B型だなあ~」と我ながら思ってしまうことがある。

基本的に大雑把で適当にやり過ごすのに、わけのわからないところで

変に神経質になってしまうところなんか、いかにもB型っぽい。


今わたしが神経質になっているのがこれ。
comic&cover


コミックにビニールカバーをつけないと気がすまないのだ。

もともとは新しく買った本を大切にしようと、ビニールカバーも一緒に買った。

それは別にごく普通の行動だと思うんだけれど、今は持っている本全部にカバーをつけている。

何でかというと、何冊かだけビニールカバーがついていて他の本についていないという

状況がわたしの中でありえないのである。

新しい本や非常にお気に入りの本ならまだしも、数年後には廃品回収行きになりそうな

本にまで今は片っ端からカバーをつけている。

それどころか、すでにボロボロになって今さらつけても仕方ないような本にもつける始末だ。

ビニールカバーなんて安いものだが、それでも決して無料ではないのに我ながら理解しがたい行動だ。

動機が「何となくついていないのは嫌だ」というのがどうしようもない。


恐らく(世間でいうところの)A型的発想なら、「ブックオフに持っていくときのために」等

合理的な理由で本にカバーをつけるのだろうけど、感情のおもむくままに生きているわたしは

「何だかついていない本が可哀想」程度の理由しかない。

こんなんじゃあ世間にバッシングされても仕方ないと思うのだが、

そこで生き方を曲げられないのもB型のカナシイところだ。


・・・・と、まあいかにも血液型占い大好きな人が書いたような文章になったけれど

わたしは冒頭で書いたように血液型占いはそんなに信じている方じゃないので、

自分の行動を血液型のせいにしているわけではない。

世間でいうところの血液型占いのB型性格に、自分がすっぽりはまっているのも多分偶然だと思う。

ただ、変だとか個性的というイメージの集団に属しているのは正直うれしかったりする。

変だと言われて喜ぶのもB型の特徴らしいが、実際小さい頃からそう言われるのが好きだった。

単に思春期病患者の典型って気もするけどね。


これからもB型人生まっしぐらだと思う。

変な自分バンザイ。変な自分に幸あれ。

無関心で滅びていく世界

シリアス
04 /19 2008
わたしは時々mixiでニュースを引用して日記を書くんだけど、

こないだは大麻に関するニュースを引用して日記を書いた。

何でも最近は、大麻の種を購入して栽培するという人が増えているらしい。

大麻そのものの取引は違法だけれど、種の売買は処罰の対象ではないので

いわば規制の網目をかいくぐるようにして取引が行われているということだった。

実は大麻に関しては、ヨーロッパの大半の国で事実上解禁されており、

アメリカでも非犯罪化を求める声が高まっているらしい。

民主党のオバマ候補なども非犯罪化に理解を示している一人だそうだ。

同じニュースに関して日記を書いた人の大半が、「解禁するべきだ」という

意見であったことには少なからず驚かされた。

わたしもヨーロッパの状況や、毒性や依存性があまり高くないという話も聞いたことがあるので

基本的には解禁してもいいんじゃないかな~と考えている。

もちろん覚醒剤など深刻な被害を及ぼすものは規制してしかるべきだと思うけど、

あまり規制する根拠がないものならあとは個人の自由ではないか。


・・・・と、まあ大麻に関することが別に書きたいわけではない。

ちなみに、大麻に反対派の人の日記もいくつか読んでみたけれど

「大麻解禁しろって言ってるのは、左翼とかゲイのやつらだよ」っていう意見がいくつかあった。

ゲイが大麻解禁に熱心だなんてのは初めて知ったけれど、何かこの意見が嫌だったのが

いかにも「ゲイ=ヤバい集団」みたいな書き方をしていることだ。

これで「日本には同性愛者差別なんてない」とかいえますかね。


どちらかというと解禁すべきだっていう意見だけれど、わたし自身は大麻には興味がないし

仮に解禁されても吸わないと思う。

いくら安全だって言われても、長い間恐ろしい麻薬と刷り込まれてきたものに

手を出すのはやはり恐いし、今のところそんなに必要ない。

でも、「自分に関係ないから」と切り捨てるのが何となく嫌だった。

そして、法律で規制されているものが本当に悪いものだとも限らないのだ。


比較するべき対象ではないかもしれないが、今では日本でも行われている

性別適合手術(いわゆる性転換手術)だけれど、たった数十年前までは違法行為だった。

1960年代には、患者に性別適合手術を行った医師に対して有罪判決が出ている。(いわゆるブルーボーイ事件)

それから30年以上、性転換=違法行為というレッテルが貼りつづけられ、当事者たちは苦しんできた。

手術の必要のない人たちからしたら、「そんなんどうでもいいわ」という程度のものだったかもしれない。

「別に我慢せえよ。親からもらった大事な体を傷つけて・・・・」というのが、あたかも良識的な

意見としてまかり通っていたんだろう。

当事者たちの苦しみや悩みなんて、考えてくれる人は非常に少なかったに違いない。

確かに世間の大多数の人には、性転換手術は必要のないものだった。

でも、助けを求める人たちは確実にいたわけである。

世間の「無関心」に苦しめられてきたGID(性同一性障がい)の人たちの無念を思うと胸が痛い。


まあ、これって少数派ってことに限らないんだろうね。

ピル(経口避妊薬)なんて世界中の国で解禁されていたのに、

日本では、10年前にやっとこさ解禁された。

多くの女性が待ち望んでいたにも関らず、よくわからない理由で規制されつづけた。

もしかしたら、大麻は「第二のピル」と呼ばれるようになるかもしれない。


今では明らかに普通のことなのに、長い間法律にしばられてきたのもはたくさんある。

そして、それをそのままにし続けたのは多数派の「関係ない」だ。

無関心は罪である・・・・って、こういうことなんだと思う。

わたし自身、無関心なこと、関係ないと思われることはついついスルーしてしまうくせがある。

だからこそ、いつもちゃんとアンテナを張って生きていきたい。


以前から関心を持っていたことの一つが、人工妊娠中絶の問題だ。

日本では広く行われているが、実は日本では刑法で禁じられている。

何と懲役刑を含む罰則まで規定されているのだ。

日本を「中絶天国」などと揶揄する外国人もいるらしいけれど、

ところがどっこい表面化していないだけで、日本だっていつ

女性の権利が踏みにじられる危険性がないともいえないわけだ。

アメリカのように激しい中絶反対運動が起こらないので、女性たち自身も

声をあげにくい環境にあると思う。

しかしこんな法律がある以上、いつ規制が強化されるとも限らない。

そして、中絶をした女性たちをひどい悪人呼ばわりするような風潮の背景に

この時代錯誤な法律の存在がないとも言い切れないだろう。


ゲイであるわたしにとって、妊娠中絶の問題はあまり身近ではない。

もちろん知っている人に中絶をした経験をのある人たちはいるけれど、

わたしにはまず降りかかってこない問題だ。

ただ、そこで「関係ない」と切り捨ててしまうことは、

「同性愛者や性同一性障がいのやつらのことなんて知るか」と

切り捨ててしまっているノンケと同じだと思う。


無関心ほど人を傷つけ、人を苦しめるものはない。

興味のないこと、関係のないこと、そういったものを切り捨てる前に

関心を持つ努力を怠らないようにしたい。

幼稚と純粋のあいだに

雑記
04 /17 2008
チューリップ


まだ完全には咲ききっていないけど、庭のチューリップを写してみた。

チューリップの花っていうと、幼稚園や小学校に植わっているせいか

何となく幼稚というか、子どもっぽいイメージがある。

ところが、花言葉は「失われた愛」「望みのない愛」だそうだ。

どこか能天気な感じさえする可愛らしい花と、哀しい愛の言葉は結びつかない。

「失われた愛」でも「望みのない愛」でも、一途に相手を想う純粋さが

チューリップの無垢な愛らしさにつながるのだろうか。

もしかしたら哀しい伝説がチューリップにはあるのかも。

人でなしの恋

雑記
04 /14 2008
doll



往昔、衆道の盛んでございました時分、好き者たちが、

なじみの色若衆の似顔人形を刻ませて、日夜愛撫したという、

あの奇態な事実を御存知でいらっしゃいましょうか。

江戸川乱歩  「人でなしの恋」



小学校の高学年から中学生ぐらいにかけて、わたしは江戸川乱歩の世界にはまっていた。

ちょうど94年に映画「RAMPO」が公開されたりしてブームになっていた頃だけど、

あの独特の妖しげな世界に惹かれていた。

「怪人20面相」のような少年向け小説ならともかく、「人間椅子」や「屋根裏の散歩者」のような

ちょっと危険な色合いが強い作品を好んでいた。

成長期にあんなエログロな世界観に触れたことが、よかったのかどうかはわからない。

ただ、あのページをめくる度に、見てはいけない世界をのぞくような甘美な気分は忘れられない。


当時すごく好きだった作品が「人でなしの恋」だ。

小説のあらすじを書くのはいわゆるネタバレになるので控えておくけど、

一言でいうなら「人形趣味」の小説だ。

たしか阿部寛の主演で映画化されていたと思う。


ところで、大正時代の小説なので小学生時代にはわからない言葉もいくつか

使われていたのだけれど、冒頭の文章は子ども時代には意味がわからず

読んでいたものの一つだ。

乱歩の小説には同性愛を扱っていたり、それを仄めかすような描写も多いんだけれど

同性愛とは全く無縁のお話であるこの作品にも同性愛ネタが出てきたので、

大人になってから読み返してみて驚いた。


ちなみに「衆道」というのは「若衆道」のことで、早い話男性同士の恋愛のことだ。

「武士道の華」などといわれ、古くからお殿様や武士階級の人には広く行われていたし、

江戸時代には町人や農民にも広まっていたという。

町人文化における衆道は、今風にいえば「オシャレな恋愛」的なノリだったらしく

「男とも女とも遊んでこそ粋な若者」みたいな感じだったそうだ。

だから現代の同性愛とはちょっと違うし、大半がバイセクシャルだったみたい。

感覚的に最近のボーイズラブとかと似ているような気がする。


・・・・と、話がずれたけど江戸時代にはそんな衆道を嗜む若者たちの間で

好きな男の子の人形を作らせて、それを愛撫するという習慣があった・・・・というのが

冒頭の文章の意味なのだ。・・・・・確かに「奇態な事実」だと思う。

現代で似たようなことをやったら、かなりアブない人扱いされるだろう。

当時、同性愛は決して「禁断の愛」なんかではなかったが、身分の違いとか

家庭の事情とかでいつでも同性の恋人に会うことが出来ない・・・・という

状況もありえたと思うので、会えない夜の慰みに好きな人の人形を作らせたんだと思う。

話だけ聞いているぶんには何ともロマネスクというか、妖しい魅力がある。

でも実際に自分の恋人にそれされたら、そこまで想ってくれてるんだ・・・・!と思う以前に

何だか恐いし、不気味に感じるんじゃないかな。

恋人の部屋の押入れに、自分そっくりの人形があったら腰を抜かすに違いない。

ましてや他の人そっくりな人形だったら切ないし、悔しくて人形を壊してしまうかもしれない。


「人でなしの恋」を読んだ前後だったので、やはり小学生時代だったと思うけど

父親が読んでいた「AERA」にゲイの人形作家のインタビューが載っていた。

写真には、びっくりするぐらいリアルな男の子の人形に囲まれた作家さんが写っていた。

詳しい内容は覚えていないのだけど、その人は最初からゲイだと自覚していたわけではなく

理想の美しい男の子たちを作りつづけているうち、自分がゲイだと気付いたらしい。

子ども心に、「世の中色んな人がいるんだなあ」と思った。

その頃は自分自身がゲイだとは思っていなかったようだ。苦笑


もちろんわたしは、理想の「人形」より、理想とはかけ離れていても「人間」と恋がしたい。

でも、何となく人形の魔力にとり付かれる人の気持ちもわかる気がする。

現代でもそういう人はいるのかもしれない。

乱歩の「人でなしの恋」のラストは哀しい余韻が残るものだったけれど、

例の人形作家さんはその後どうされているんだろう。

そんなことをふと考えた。

マドンナとマライア・キャリー

マドンナ
04 /12 2008
マライア・キャリーが新曲でビルボードチャートの首位を飾り、

18曲1位獲得という快挙を果たしたらしい。

これはプレスリーの記録にならぶ大記録だ。

あらためてマライアの人気の高さがうかがいしれる。


マドンナも現在発売されているシングルがビルボードチャートで

3位まで上り詰めていて、37曲トップ10ヒットという記録を打ち立てた。

これまでプレスリーとタイで歴代1位だったんだけど、これで単独首位になる。


おもしろい偶然だけど、マライアとマドンナがそれぞれチャート記録を打ち立て、

さらにプレスリーがらみというのがおもしろい。

ただ、何となくナンバーワン記録とトップ10記録では前者の方が華やかな感じがするので

ちょっと口惜しいというのがマドンナファンの正直なところだろう。

ちなみにマドンナのビルボード首位獲得回数は、今まで12曲で

2000年の「MUSIC」でストップしたままだ。

今発売中のシングルがどこまで追い上げるか注目している。


わたしはマドンナも大好きだけれど、かつてマドンナのライバルといわれた

女性シンガーたちのこともけっこう好きだ。

デビュー当時のライバル、シンディ・ローパーはアルバムたくさんもってるし、

一時期はマドンナよりも勢いがすごかったホイットニー・ヒューストンも好きな歌がある。

ジャネット・ジャクソンもカッコいいなあって思うし、セリーヌ・ディオンも好きな方だ。

ジェニファー・ロペスには一時期すごく憧れていた。

シンディとセリーヌ以外は、マドンナとの不仲で有名になったけれども

それもまあ、ライバル同士なんてそんなもんだろって気がするから、別にいやではない。


ただ、どうしてもマライアだけは好きになれない。

曲自体はマライアもいい曲がたくさんあるし、決してわたしの嫌いな音楽ではないけど

どうもマライアの曲が売れているといい気分がしないのだ。

90年代、特に前半のマドンナは80年代のカリスマ的な人気が下降し始め、

CDのセールスで非常に苦戦していた。

「マドンナは終わった」という風に見る音楽評論家も多かったようだ。

そこにマライアが彗星のごとく登場し、CDセールスでは最盛期のマドンナを

はるかにしのぐほどの存在になってしまった。


もっとも、わたしはこの頃小学生だったので知らなかった。

中学生ぐらいでマライアの人気は絶頂に達し、ファンになった子も多かった。

ワールドツアーで日本に来たのもこの頃だったと思う。

まだ洋楽なんてそんなに聴く機会がなかったわたしが知ってたんだから、

マライアの人気のすさまじさは本当だったんだろう。


98年のアルバム『Ray Of Light』でマドンナも往年の勢いを取り戻し、

その後もホットな存在のまま今にいたるけれど、少なくともアメリカでは

マライアには遅れをとっている感じがする。

マライアも2005年のアルバム『mimi』で復活するまではしばらく人気低迷していたが、

ここ最近は90年代なみの人気を取り戻しているようだ。


どうしてもマライアに対していい感情が抱けない理由の一つに、

歌手としての実績がはるかにマドンナをしのいでいるっていう僻みは、多少あると思う。

おまけに歌唱力に関しては圧倒的にマライアの勝ち。

比較されると、どうしてもマドンナが貶められているような気がしておもしろくない。

ただ、一時期マドンナよりもマライアよりも人気があって、売上もすさまじかった

ブリトニーなんかにはそんなに嫌な気持ちにはならなかったので、

単純に嫉妬や僻みだけではないだろう。


高校時代、洋楽通の友達によく言われたのが

「マドンナは悪趣味で野暮ったい、マライアはオシャレでセンスがいい」ということ。

当時すでにマドンナ狂信者だったわたしは、彼に猛反論したけれど

当時の世間的な見方はそんなもんだったんじゃないかなって思う。

実際マドンナのカッコよさは悪趣味ギリギリのところで、決してそうはならないところだ。

マライアは無難だけれど、こぎれいにまとまってる感じがする。(今の過剰な露出に走る前はね)


マドンナは下世話な俗物シンガー、マライアは本格派のミュージシャン。

こんなことも言われたことがある。

確かにマドンナっていうと私生活でもそうだし、作品でもセンセーショナルで

スキャンダラスなイメージが先行しているのは事実だろう。

ファンから見ると、良識や常識に対して疑問符を投げかけるという非常に

アーティスティックな行動にうつるんだけど、単純に音楽好きな人からしたら

売るために過激な行動に出る音楽家にあるまじき行為とうつるかもしれない。

実際、80年代は音楽好きの人がマドンナを聴いているとバカにされたそうだ。

そこへいくと、マライアは純粋に音楽で勝負している感じがするなあ。


わたしは単純にマドンナの音楽が大好きで、彼女の生き様は一つの魅力と

思っているので、マドンナの音楽は中身がないみたいに言われるとすごく口惜しかった。

実際マドンナのかつてのプロデューサーであるミルウェイズ・アマッザイは

「マドンナの音楽はとても優れている、しかし彼女は今までそれを前面に押し出してこなかった」

と発言している。


まあ、何と言われようと自分の好きなアーティストを応援していれば

いいだけの話なんだけれど、どうしてもマライアのことは今後も好きになれないだろう。

一種のマドンナファンとしての意地みたいなものだ。

(だからって、マライアも好きなマドンナファンを否定はしないけどね)

なので、マドンナにも久しぶりにチャート首位を飾り、マライアに勝って欲しいと願う今日この頃だ。

春雨

雑記
04 /11 2008
rain&flower


春をすっ飛ばして梅雨がきたかのような雨。

4月の初めはよく雨が降る。

「なたね梅雨」なんて言葉があるのを知ったのはついさっきだけど、

今まさに桜の季節なので、「さくら梅雨」とでも名付けたいところだ。

花びらを散らせてしまう雨は憎いけど、雨の中の桜もそれはそれで美しい。


雨の日が嫌いという人は多いけれど、わたしは雨の日が好きだ。

空の色が季節によって違うように、雨の降り方も季節によって微妙に異なる。

春の雨はしとしとと降ることが多いけれど、梅雨ほど長続きしないせいか

そんなに嫌な感じはしない。

感傷的で、切ない気分になるけれど、そんな感じがたまらない。


ただ、やっぱり雨そのものよりも雨上がりの清清しさが気持ちいいな。

空気も洗われて、少しひんやりとして心地いい。

雲の間から日光が差し込んでくるのも美しい。

快晴の日よりも、太陽のありがたみを感じることが出来る。

春の海

雑記
04 /07 2008
入り江


ふと海に行きたくなった。

怒りとか悲しみとか、そういった感情ではなく変にもやもやとした

感情を心の中に抱えていたから。


海はいい。

春の海は夏のチリチリ、ギラギラとした表情とはまた違った

やさしくて穏やかな面を見せてくれる。

海から吹く風は少し冷たいけど気持ちいい。

潮のにおいも心地いい。

漁村の風景に心がなごむ。


ほっとため息をついた。

でもこのため息は、嫌な気持ちからくるものじゃなくて

体の中から何かが吐き出されたような、そんなもの。

ボロボロの日々

雑記
04 /05 2008
最初の離職を経験したとき、わたしはかなりボロボロだった。

生まれて初めて自分の居場所がなくなってしまった。

何だかんだでうまくいっていた人生で、初めて味わう挫折経験だった。


年度の最後まで連絡を待った。話は来なかった。

「何で?何でよ・・・・!!」

悔しくて涙が出てきた。

その反面、どこかほっとしていた。

荒れた高校での勤務に疲れていたのも事実だ。

そんな自分に、何ともいえない苦々しい気持ちになってしまったけれど。


本当なら早く引越しの準備をして、諸手続きを済ませて実家に帰らないといけない。

でも動けなかった。

実家に帰ってしまうと、本当に前職から離れてしまうような気がしていたのかもしれない。

これから来るであろう苦しい現実から目を背けたかった。


新しい年度が始まった4月1日。

いつもは7時に起きていたけど、この日は9時ぐらいに目がさめた。

「はー、プータロー生活のスタートですか」

枕もとには缶ビールと焼酎のビンが転がっていた。

缶ビールは空っぽだったけれど、焼酎は少し残っていた。

それをゴクゴクと飲み干す。

「目なんてさめなきゃよかったのに・・・・」


テレビをつければワイドショーがやっている。

おもしろくもない。くだらない。

テレビを消して、近所のコンビニへ行った。

酒とジャンクフードを買う。

「平日の朝っぱらから酒飲んでやる~。どうだ~うらやましいだろ~。ケケケ」

誰に言うわけでもなく、一人呟いた。


わたしが当時住んでいたマンションはオフィス街の真中にあった。

コンビニも近くのオフィスや役所に勤める人がよく来る店だ。

その日は若いお客さんが多かった。

真新しいスーツに身を包み、どこかおどおどしている若いお兄さんたち。

「新社会人か・・・・」

行き帰りの道すがら、何人もそんな若い人たちとすれ違った。

ボロいトレーナーと、ジーパンにサンダル姿で、朝っぱらから酒を買っている

わたしは彼らにどううつったのだろう?

耐えられない。

逃げるようにしてマンションに戻った。

焼酎のビンのふたをあけ、飲んだ。

いっぱい飲んで、早く寝てしまいたかった。


目がさめたのは夕方過ぎ。

強烈な吐き気に襲われた。

酒と一緒に飲み込んだジャンクフードを吐き出した。

頭痛が激しいこともあってか、その日の夜は眠れなかった。


数日間そんな生活をしていた。

酒だけで眠れない日は、ドリエルを一緒に飲んで寝た。

街のいたるところで見る新社会人たちがまぶしく、羨ましく、そして残酷だった。

「わたしだって・・・・、わたしだって一年前はあんたたちみたいに希望に満ち溢れて

新生活スタートさせたんよ。つい先週まで、先生って言われとったんよ・・・・」

心の中でそんなことを呟いても、虚しくなるだけ。

情けなくて、悔しくて、惨めだった。


でも人間そんな生活は長く続けられない。

マンションの解約やら、失業保険の手続きやら、しなきゃいけないことはたくさんあった。

そんなんどうでもいいって投げ出せるほど、自暴自棄になっていたわけでもない。

この時ばかりは口うるさい両親の存在がありがたかった。

ほどなく、何とかまともな生活に戻ることが出来た。


今思い返してみると、自分の弱さに哀しくなる。

2年前のわたし。

その後も就職活動をしたり、仕事を辞めたり、再び無職になったり、

色んな経験をして今にいたるのは、このブログを読んでもらえればわかると思う。

ただ、一番苦しかったのは最初の離職だった。

あの頃ひどく残酷に思えたフレッシュマンたちも、その後順調だとは限らない。

みんな挫折をしたり、必死にあがいたり、どん底まで落ちたり、

色んな経験をして生きていってる。

人生に無駄な経験などないというが、しなくたっていい経験もあると思う。

でも、そういった経験をせざるを得ないのもまた事実。

だからこそ、必死に生きないといけない。

ため息つきながら、涙を流しながら、これからもわたしは生きていく。

和江さん

30代シスジェンダー(?)ゲイ。

日本の片隅にひっそりと暮らしている。
お仕事は福祉系。


マドンナが大好き。


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