S57です

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08 /08 2014
最近Twitterや、ゲイアプリやらで、「170 58 H4です」みたいなプロフィール表記を目にすることが多い。
自己紹介する時に「身長体重年齢」を申告するのは、わたしたちの世代でもそうだったし、
おそらくわたしより上の世代のゲイでもそうだったと思う。
変な習慣にも思えるけど、タイプかそうでないかを、瞬時に選別するゲイ特有の伝統芸であり、文化みたいなものでもある。
そりゃまあ、別にいいんだけど、以前は素直に「22才です」だったのが「H4です」って言われちゃうもんだから、最初聞いたときは「はい???」って反応しちまった。
わたしが知る限り「S58です」って自己紹介してる人は見たことないので、多分平成生まれ世代独特の習慣だと思う。

何で「年齢」じゃなくて「生まれ年」を名乗るのかわけがわからなかったけれど、うちの彼氏(ちなみに彼もH2)の一言で謎はとけた。
「平成生まれのいいところは、平成○○年から生まれ年を引いたら、すぐに年齢がわかることだよ」
とのこと。
例えば今年は平成26年だから「H2」なら「26-2=24」なわけで、今年24才ってことが計算しやすい。
なるほどなあ、確かに便利だしプロフィールで「H4」とか書いてるのもわかる気がする。
「○才です」って書いちゃうと、毎年の誕生日に年齢を更新しないといけなくて面倒だけど、「H○です」だったら、更新しなくてもプロフィール見た人が勝手に計算してくれる。
昭和生まれの人が、この表記を使わないのも納得だ。

こういうのは些細なことなんだろうけど、昭和世代のゲイと、平成世代のゲイでは習慣も考え方も変わってるんじゃないかなと思う。
出会いを取り巻く環境とか、情報量とか、社会の変化とか、色々なものがここ10数年で様変わりした。
数年前から、地元でも手を繋いで歩くゲイカップルやビアンカップルとおぼしき二人組を見かけるようになった。
基本的には悪い方向にではなく、いい方向に変化していると思う。

と、まあしみじみと時代の流れを語るわたしだけれど、「S57」のわたしは「昭和生まれの平成育ち」であり、
あまり昭和世代として語る思い出もないのよね。
SNSやアプリはなかったけれど、別に雑誌の文通欄やダイヤルQ2で出会っていた世代でもない。
昭和ゲイと平成ゲイの間の、結構宙ぶらりんな位置にいる。
まあ「過渡期」ってとこだね。

どっちつかずな立ち位置が案外楽しいってこともあると思う。
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さ迷うキャリア

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07 /27 2014
このブログを開設当初から読んでる人……いないよね?

じゃあ数年前から定期的に読んでる人……いないよね?

何年間に時々、思い出したように読んでる人……一人ぐらいはいる?

どんどん更新は稀になっていくものの、それでも続けているブログですが、
2000年代半ばから後半にかけては、わりと頻繁に更新している時期もありました。
意外と記事の数は膨大で、全部読もうと思ったら結構労力がいるのですが、多分そんなこと一生懸命やる奇特な人はいないでしょう。

で、もし仮にこのブログをずーっと読み続けてる人がいたら……と仮定して、その人がこのブログの著者であるわたしに、どんな印象を持っているか……を推測すると、恐らく

「色んな仕事をやってる人だな」

だと思うのです。

わたしは大学を卒業した2005年、新任教師の時からこのブログを始めています。
契約講師の仕事がなくなってからは、塾講師をしつつ、郵便局で短期アルバイトしつつ、携帯電話ショップで働いてみたり、長続きせず無職になったり、
2007年に書店員になってからは、それを続けていましたが、今年の春に転職しました。
きわめて「現代の若者」らしく、転職を繰り返してきたわたしです。

短期間で仕事変えまくってるのは、2006~2007年頃ですが。
新卒で入った会社で、何年も働き続ける人たちは明らかに異なる人生を歩んでいます。
その当時このブログを読んでいた人たちの中には、きつい言葉の一つも残したくて、でも残せずにいて、このブログの存在を頭から抹消した人もいるかもしれない。

悲しいかな、仕事とか働くとか、何一つわかってはいなかった。
学生気分のまま社会に放り出されて、抜け出せないまま何年もさ迷い続けていた。
根本的に何が間違っているのか、知ることもなく「変わらなきゃ」「成長しなきゃ」の脅迫のもとに、焦ったり慌てたりの、何年間を過ごしていたと思う。

無駄に過ごしてしまった時間もたくさんあるけど、でもわたしはこの時間なくして、今のわたしはなかったと思うのです。
負け惜しみだけどね。
そうでも思わなきゃやってらんないぐらい、いやなことも、やってらんないって思うこともあった。

多分、わたしはダメな人。
成功とは一番かけ離れていて、ダメすぎて失敗例としてあげるのも躊躇するぐらい。

でも生きてきた。
逞しくも強かでもなく、生きてきた。
たくさん痛い目を見て、たくさん恥をかいて、たくさんダメな姿をさらして、
必死に生きようともがいてきた。

転職回数なんて誇れるものじゃない。
でもその数字のなかに、一生懸命生きてきた自分の姿が見える。
誰になんと言われようと、わたしはがんばってきたんだよね。

7年間働いてきた本屋の仕事を辞めるのは、それなりに大きな決断だったけれど、
今年の4月から福祉の仕事を始めた。
3ヶ月が過ぎ、ようやく慣れてきた……って言いたいところだけど、またまだ。
新卒の子と同じように葛藤している。

10年目にして、この安定した危なっかしさ。
長期の読者様、どうぞ見守って下さいませ。

ゲイのおじさん!

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07 /21 2014
22歳の時に始めたこのブログもかれこれ10年目で、わたしも31歳になった。
始めた頃は「若者」「青年」「お兄さん」と呼ぶに相応しい年齢だったのだけど、いつの間にか「おじさん」と呼ばれても、何の差し障りもない年齢になってしまった。
中年とかおじさんっていうと、どうもネガティブな印象で、便利な言葉に「大人」ってのもあるんだけど、
そんなん成人式やってから何年たつんだよって気がするから、人からそう呼ばれるのも何だか嫌だし、ましてや自称するなんてありえない。
そもそも大人はわざわざ自分のことは「大人」なんて名乗らないもんだしね。
ちょっと昔なら「アダルト」なんて呼び方もあったけれど、最近は使わないだろうな。
やはり「おじさん」でいいと思う。いや、人からそう言われると何となくいい気はしないけど。

まあ、そんなおっさんゲイになったわたしが最近驚いたニュースが、水泳選手のイアン・ソープがゲイをカムアウトしたことだった。
何に驚いたかっていうと、「えー!イアン・ソープってゲイなの!?」ということではなく、
「あの人カムアウトしてなかったわけ!?」ということだった。
結構前から、彼がゲイって噂はあって、個人的には「ゲイの有名人」という認識だった。
2011年に出した自伝ではノンケだと書いていたらしいので、公式には今回が初のカムアウトになるわけだ。
しかし、一体わたしはどこで彼がゲイって噂をききつけたのかしら?よく考えたら記憶していない。
ゲイ雑誌のBAdiか、インターネットか、まあそんなとこだろうけど、何となく彼の写真や動画を見て「ぴんときた」のかもしれない。
いわゆるゲイダーってやつだ。

ちなみにイアン・ソープは実はわたしと生年月日が5日違いだ。
同い年の有名人の中でも、誕生日が近い人って妙な親近感があって、イアン・ソープや女優の真木よう子ちゃんはちょっと特別な存在だった。
イアン・ソープの31年と、わたしの31年は重なる。
わたしが31年間色々あったように、イアン・ソープにも31年間色々あったわけで、
いや多分わたしの数百倍密度の濃い人生だったと思うけど、31年間がんばって生き抜いて、おじさんと呼ばれる年齢になったわけだ。
アスリートとしての人生は華々しかったけれど、年齢的に早く限界がきてしまうし、20代前半で引退した時の心境はどんなものだったんだろうか。
そのストレスに加えて、有名人として注目されるストレスもあっただろうし、ゲイという大きな秘密を抱えて辛かっただろうし、
結構大変な31年間を過ごしてきたんだろうと思う。
事実アルコール依存やうつ病に悩まされていた。

もうオリンピックに出るのは難しいけれど、今回のカムアウトで精神的に楽になった部分もあるんじゃないかな。
今度はゲイゲームスを目指してがんばって欲しい。
一度精神的に崩れてしまうと、もとに戻るのは大変な労力がいる。
隠すべき「秘密」なんてないんだしさ、胸を張って生きてほしい。
人生はまだまだ長いのだから。
素敵なおじさんゲイとしての人生が、わたしにもイアン・ソープにも待ち受けているに違いない。そう願う。

何より、若い世代にはゲイとして胸を張って、青春を謳歌して欲しい。
下手に隠すことで、奪われてしまったものがわたしにも、イアン・ソープにもあると思うから。

カムアウトとか、ゲイとして生きることについて思うことは他にもあるのだが、今日はここまでにしておこうと思う。

ラブ100%

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07 /06 2014
「この人と会って、わたしは初めて本当の愛を知った気がする」

何とも陳腐というかキザというか、使いふるされた言葉なんだけど、今の彼と出会ってやはりこう思ったのだ。
3年前に前の男と別れた当初、わたしは二度と恋愛などしないと心に決めていた。
恋愛は自分をダメにするし、大切なこと、楽しいことをする時間を奪う、無駄なものだとしか思えなくなってしまっていた。
わたしは恋愛に向いていないし、恐らく男を見抜く力もない、恋愛はしない方がよさそうだ。
本当に、冗談抜きでそう思っていた。

2年間ほどフリーの期間を楽しんだ。
交流の輪をひろげるべく色んなところに出るようになって、友達も増えた。
色々新しい活動もしたし、転職活動なんかも始めた。
恋愛をしないことで得た自由が、思っていた以上に心地よいものだった。
何人かの人と、刹那的な関係を楽しんだこともある。

そう、わたしにとってはもう十分だったのです。
十分だったところに、突然わたしのことを好きになってくれた人が現れたのが、
昨年の夏の終わりのことだった。
わたしよりうんと若くて、かわいい男の子からの告白。
青天の霹靂でした。

正直‥‥頭に浮かんだのが、過去の恋愛。
ひたすらプライベートを邪魔し、制限し、時間と体力を奪っていった過去の男たちのこと。
何も残らなかったむなしくて淋しい、哀れな自分の姿だった。

厄介なことに、わたしの方でも若い彼のことが好きになり始めていた。
こんないい子なのに、束縛と執着の毎日がやがて来るのだろうか。
それも哀しいな‥‥。

散々悩んだ。
まだ楽しい記憶しかないうちに、関係を清算してしまおうか。
そうしたら2度と会えなくなるだろう。
わたしはそれを望んでいるのだろうか‥‥
彼とつき合うことによって、わたしは何を得て何を失うのか‥‥。

色々悩んだあげく、達した結論は彼とつき合うことだった。
どんなネガティブな可能性を考えても、わたしはそのとき彼を欲していたからだ。
10月のまだ暑さの残る日、彼氏と呼びあえる関係になった。

それから半年以上、時間は経過した。
さて、わたしは何を失ったか‥‥と自分に問いかけてみる。
結論は、「何も失っていない」。
刹那的な関係を持った男たちと連絡をとらなくなったことぐらいだけど、
わたしにとっても、向こうにとっても、もともとが「どうでもいい人」。
大切な関係の友人や、やりたいこと、一人の時間。
何も失っていない。正直拍子抜けするぐらい。

恋愛は結局、相手次第。
自立した相手となら、自立した関係を築ける。
当たり前のことなんだけどね。
きちんと自分の生活がある人、自分の人生を生きている人は、
相手のそれもすごく大切に出来るの。

結局前の男は、依存関係でしかなかった。

最初に好意を持ってくれたのは彼だけど、今メロメロなのはわたしの方。
若い子にうつつをぬかす、おじさんと化してます。

ちょっと気恥ずかしいのですが、恋愛報告でした。

祖母の死

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05 /06 2014
昨年の11月に祖母がなくなった。
95歳と1ヶ月。本当に長い人生を生ききった。
特養への入所はこのブログにも書いていたのだが、その後退所して自宅介護に移行したことは書いていなかった。
入所してからも家に帰りたいと、折に触れて言っていたというから、家で息をひきとることが出来たのは、本人にとってはよかったのかもしれない。

特養に入って以来、心身の衰えは着実に進んでいたものの、何とか自力で食事は飲み込めていた。
入所してから2年経ったある日、高熱を出して入院し、一命をとりとめた。
しかし意識が戻ったものの、口からものを食べることが出来なくなり、胃ろうにせざるを得ないと宣告された。
「胃ろう」といわれてピンとくる人もいれば、まったくわからない人もいると思う。
簡単にいうと、胃に穴を開けてチューブを通し、食べ物を直接胃に送り込むことをいう。
飲み込みが悪くなり、口からものを食べられなくなった人に行われる措置だ。
口や食道はものを食べる機能をなくしてしまうので、急速に退化するという。

この宣告は家族を大いに悩ませた。
胃ろうに対して、あまりいいイージを持つものはいなかった。
結局、点滴で対応してもらうことになった。
点滴は医療行為であり、特養では対応できないため、自宅での看護に切り替えることになった。
約2年半ぶりに、祖母は家に戻ってきた。

胃ろうではなく、点滴を選択したことについて、
「これでよかったのだろうか」という葛藤はあった。
消化器を全く使わなくなる点滴より、胃や腸を動かす胃ろうの方がよかったのではないか。
点滴をすることで、さらに体を衰弱させることになったのではないか。
どちらがよりよい選択だったのか、いまだに答えは出ていない。
ただ、口からものを食べられなくなるのは、本人にとっても辛いことだったのは、恐らく間違いないだろう。

以前読んだネットニュースによると、北欧では胃ろうの老人はいないという。
何故か。
それは、口からものを食べられなくなった人に対して、延命措置は行わないからだという。
老衰であり、自然な死だと認識しているという。
延命できる人を、延命しないでいわば見殺しにしてしまうというのは、日本では受け入れられない。
北欧では、逆に延命措置をして無理に生き続けさせることこそ、老人虐待ではないか?という考え方が根強いという。

最後まで生きる希望を捨てず、1日でも長く生きるのか。
体が弱ったら死を受け入れるのか。
正しいのはどちらなんだろう。
恐らく正解なんてない。どちらを選ぶかだと思う。
自分がそうなってしまったとき、果たしてどちらを選ぶのだろうか。
祖母は果たしてどちらを望んでいたのだろうか。
あまりに重たい選択だが、誰もが当事者になる可能性がある。
祖母は約1年半、点滴で生ききった。

自宅介護の話は暗くなりがちだと思われそうだけど、
全く明るい話がなかったわけでもない。
施設に入所している頃より、心なしか表情も明るいと思うこともあった。
各種サービスの利用と家族に囲まれた生活。
最期の日々は心安らかなものだったと願う。

死装束は大好きだった薄紫にしてもらった。
死化粧も出来るだけ明るい色でお願いした。
葬儀は初雪の降った日だった。

95年間、本当にお疲れさまでした。

2014年ブログの旅

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01 /30 2014
このブログを続けてかれこれ9年近く経っていることに気がついた。
続けているというよりは、単に閉鎖していないだけのようにも思えるが、
それでも一年に一回も記事を書かないってことはないので、一応きちんと続けている。
その間mixiやらFacebookやらTwitterやらSNSにいくつも手を出した。
別にSNSやブログを駆使しているナウなヤング(死語ですね、ハイ)を気取ってるわけじゃないけど、何となく書きたいことはそれぞれ異なってくるもので、
文章から見えてくるわたしの人物像もそれぞれ異なっていると思う。
別にキャラ設定を楽しんでいるわけでもなんでもないんだけどさ。

変な話、「見せたい自分」って誰しもあるんじゃないだろうか。
この人にはこう見られたい、違う人にはこう見てほしい。
ウェブの中のキャラクターだけではなく、リアルでも人によって無意識に自分を演出していることはあるだろう。
それは表裏あるとか、嘘をついているってことじゃない。
例えば、仕事の上で従業員同士見せたい姿と、お客さんに見せたい姿は異なるだろう。
同じ従業員同士でも先輩や後輩に見せたい姿、上司にアピールしないといけない姿、みんな違って然るべきだ。

話はちょっとズレちゃったけど、Webに書く文章も、誰にどう見てほしいかっていうのが、
きっと知らず知らずのうちに反映されてしまうのだろう、といいたいのだ。
そしてSNSの中で一つの人物像が作られ、読む人に認知されてしまう。
全文章を集めてプロファイリングしてみたら、全く別の人物像が浮かび上がりそうだ。
書き続けていくと、時に自分の知り得なかった自分にも出会える。

こんなことを唐突に思ったのも、今年が日本でブログが急速にブームになり始めて10年だから。
実際はもう少し前から書いてる人はいたし、サービスも始まっていた。
一般人が日記サイトの延長でどんどん書くようになったのは、2004年じゃないかと思う。
その後SNSが爆発的に普及した。
ここ10年で、多くの人たちが「文章を書いて自分をアピールする」手段を手に入れたのだ。
これはちょっとした変化じゃないかな。
社会に大きな変化が起きたかどうかはわからないが、
影響はむしろこれから出てくるのかもしれない。
新しい創造的ななにかが生まれるといい。

と、壮大なお話になりましたが、このブログの読者様。
今までありがとうございます。
今後も続けていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

三十路ゲイが考察するファッション

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01 /25 2014
ここ数年、街に「90年代」が戻ってきている。


90年代といっても、ガングロギャルやロン毛ホスト、あるいはダボダボストリート系でもなく、かといって当時モード系といわれたファッションでもない。
わたしが思春期から青春時代を過ごした90年代後半から末期のそれではなく、80年代末期から90年代初頭のアイテムが復活している。
個人的にはロゴ入りのトレーナーにブラウスってのは、「小学生がお母さんに買ってもらった服」に見えてしまうのだけど、
若い子が着ているとそれなりにかっこよく見えるから不思議だ。

女性のメイクも、すっかり太い眉に赤い口紅が主流になった。
ギャル系の子たちにも定着して、赤い口紅は絶対にNGだった時代も今は昔。
それこそ90年代末期は、こういうメイクってティーンには嫌われてたんだけどな‥‥なんて思うのは、自分がおじさんになったからかも。

実をいうと数年前から、若い子の先端ファッションに「ギョッ!!」とすることはあった。
女の子たちにリボンが流行り始めた時、アラレちゃん眼鏡が流行り始めた時、など。(←結構前から流行についていけてなかったんだね。)
わたしはかなりミーハーで、流行ってるものは何でもかっこいいと思っていた方だから、
流行についていけない自分が何とも哀しかった。
といいつつ、やはり流行は意識していたけど。

今若い子に流行っている服や髪型、メイクはかつてわたしたち世代の人が、「ありえない」といってバカにしてきたものばかりだ。
流行はくり返すって昔からいわれてたけど、身をもって知る年頃になってきた。
あと5年もしたら、90年代末期や00年代初頭のファッションが注目されると思う。
そしたらまた、懐かしくなるんだろう。

関係ないのだが、「昔流行ったイタいファッション」を一番感じるのはエッチなビデオだと思う。
テレビドラマの再放送とか、古いニュース映像よりも、多分生々しく写っている気がするのだ。
18の時初めて見たゲイビデオは、何人もの人の手を渡った古いもので、
刈り上げのサラリーマンと、吉田栄作みたいな若い子がからんでいるやつだった。
おそらくバブル期のビデオだったのだろうけど、ぜんぜんエッチな気分になれなかった。
(関係ないけど、若ゲイがデビューしたら年上の人からゲイビデオ譲り受けるって習慣、最近はもうないよねえ。)
言いたかないけど、大学生後半はエッチなビデオ(DVDが主流になっていた)収集が趣味だった時期もあり、
同世代の男の子たちをオカズにしていた。
当時はいけてるアイドルみたいな男の子たちに、胸ときめかせていたわけだが、
最近ふと掃除のついでに古いパッケージを見てみたら、金髪ウルフカットのヤンキーお兄ちゃんばかりで驚いた。
ピアスも両耳にジャラジャラつけてて、男の子がやっていると野暮ったくてカッコ悪い。
今の若い子が見たらどう思うんだろう。

ゲイビデオなんてほとんど服着ていないんだから、ファッションなんて目に入らないと思う。
それでもファッションが気になってどうしようもないのは、服を着ている時間がわずかだからこそ、
ドラマとかより服の印象が強くなってしまうからだと思う。
あと、顔や体はそんなに昔も今も変わらないから、髪型やアクセサリーが古さを醸し出してしまうのだと思う。

と、ファッションについて考察めいた日記を書きつつ、やはり最後は下ネタウンチクになってしまった。
こういうとこ、ほんと変わらない。

久々のあいさつ

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01 /17 2014
気がつけば半年以上更新していない!
生きてます!それはもう、たくましく。
更新しない間に、31歳になっていました。

書きたいことは山ほどあるのですが‥‥

まずはご報告。彼氏出来ました。
彼氏いらない、恋愛なんて興味ないと言ってたわたしですが、
出会いは突然にやってきました。
若くてかわいい彼氏に、当の本人が驚いています。

取り急ぎ、ご報告とご挨拶まで。

06/13のツイートまとめ

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06 /14 2012
yamamo_kazu

(デヴィ)スカルノ#みんながときめく四文字
06-13 23:56

MDMA#みんながときめく四文字
06-13 23:51

@soilmanship うーん。キキが旅だった夜に最初に出くわした「わたし静かに飛ぶのが好きなの」って言ってた女の子もいいかも。
06-13 23:48

@utadakumiaiin 大学一年ときのあだ名ピーコだったんだよね。おすピーがやたら出だしてから、その後雨後の竹の子のごとくオネエタレントがテレビに出だした。
06-13 23:47

@soilmanship もうジジでいいわ。
06-13 23:41

@soilmanship ジブリ系なら、原作ナウシカのクシャナだな。
06-13 23:38

一応自分はゲイって名乗ってるけど「暫定的ゲイ」だと思ってる。シスジェンダーの女の人は恋愛対象じゃないけどイケメンFTMに関しては恋愛感情芽生える可能性あると思うし。
06-13 23:36

@soilmanship ガーン!
06-13 23:33

@utadakumiaiin ピーコかあ。そういや最近テレビ出てないよね?ってかわたしがテレビ見てないんだけど。
06-13 23:32

@soilmanship 好きなんだよねえ。あとベルサイユのばらのポリニャック夫人もいいなあ。
06-13 23:30

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和江さん

30代シスジェンダー(?)ゲイ。

日本の片隅にひっそりと暮らしている。
お仕事は福祉系。


マドンナが大好き。


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