愛と渇望、自分を取り戻す日

雑記
07 /14 2017

以前このブログに頻繁に登場していた「職場のKくん」と久しぶりに話す機会があった。

彼もわたしも「職場」はとっくに辞めているので、正確にいうと「かつて同じ職場だったKくん」なのだけど、さすがにまどろっこしいし、よそよそしいので「親友Kくん」と呼びたい。

親友という割に実は3年ぶりに会ったのだけど、実はわたしって人間関係が非常に希薄であり、結構人と会うのが億劫になりがちだ。

SNS時代の人間関係作りについて批判的な人も多いのだが、わたしなんかはSNSがなきゃ誰とも連絡取らず、ひたすら孤立していきそうなのでSNS時代には感謝しなくてはならない‥‥などという書き方をしたら大げさで、ようはLINEやFacebookのおかげで古い友達とも切れずにすんでるってだけなんだけどね。

そこらへんの話はまあどうでもよくて、どうでもいい割に長い前置きになってしまったのだけど、久しぶりに話したKくんは、相変わらず恋に仕事に悩める男だった。

相談に乗っているつもりで、ついつい自分のくだらない話をしてしまうわたしも、相変わらず空気の読めないオカマだった。

でもKくんの場合、いい意味でも変わってなくて、自分のことに関してはトコトン真面目に考えて、考えすぎて悩んでる。

30代も半ばになれば、みんなどこかしらあっけらかんとテキトーになってしまうのだけど、それが出来ないんだよね。

心配になる部分でもあり、またとても好ましい部分でもある。

彼のそういう真面目さやお堅い部分、かつては自身だけじゃなくてわたしにも向いていた。

かつてわたしも、「刹那の情事を楽しんでいた」時期もあったのだけど(単純に手当たり次第男を食い散らかしていた)、その時期は随分と批判も受けたわけだ。

「今思うと、あの頃の和江さんって本当に孤独で、愛されることを欲していたんだなって思うんですよ。今になってやっと、気持ちがわかるようになって」。

Kくんがポツリと言った。

うーん、批判されてた頃は口煩くて不粋な人ねぇなんてことも思ってたけど、これはこれで美化しすぎですよとは思う。

でもどこかで「誰かに愛されたい」気持ちはあって、渇望するような感覚はあったんだろう。

だからこそ「刹那の情事」を刹那と割りきれず、引きずっちゃうことも多かったし、恋愛しても上手くいかなかった気がする。

ただ孤独だの愛だのという以前に、男を知るのが楽しくて仕方なかったってのが、当時のわたしだったと思うのだけれど。

そして、「孤独」と「愛されたい」は今まさにKくんが感じていることじゃないかな?という気がした。

そこらへん友人であるところのわたしには、埋められることが出来ないのではあるけど。

「いつかふっ切れる日がくるわ。孤独は辛くなくなるし、愛にすがりつくこともなくなるわ。本当にね、ふっ切れるのよ。それがいつの日かはわからないけれど‥‥」

アドバイスにも気休めにもならないとは思いつつ、こんな言葉をかけた。

実際のところ、前の彼氏とのつき合いがなかったら、わたしもこんな心境にはなれなかったかもしれない。

まさに愛という名の支配であり、自分の人生を奪われてしまった感覚。それは孤独よりずっと辛いものだった。

ふっ切れたという言葉を使ったけれど、わたしがわたしの人生を取り戻した瞬間でもあった。

きちんと自分と向き合う瞬間があったからこそ、今の彼氏とつき合うことも出来たし、いい関係を築くことも出来た。

ただ、こういうのって人生訓よろしく解説したところで伝わらない。

Kくんも頭では理解しつつ、悩みから抜け出すには何かきっかけがないと難しいと思う。

相変わらず力になれないわたしではあったけれど、「楽になりました」とねぎらってくれたKくん。

そんな彼の真面目さや優しさが、愛おしいような、切ないような。

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4月の情景

雑記
04 /24 2017


真夏のような暑い日と、冬が戻ってきたかのような寒い日が繰り返して、体調も気分も少し崩れぎみ。
年度がわりは職場も多少ゴタゴタしたものの、もう4月も下旬だ。
忙しいせいか、自分が歳くったせいか、月日がたつのが早く感じられる。

真新しいスーツを着た新社会人を見て、初々しくていいなあと思いつつ、そういう風に思えない時もあったよな‥‥って思い出す。
11年前、初めて無職になった時は見るのが辛かった。
その後、今でいうところのブラック企業に勤めて再び無職になったり、どん底は何回か味わっている。
すべて順調かっていうと、そうじゃないけど、どうにかこうにか這い上がってきた。

4月は少しセンチメンタルな季節だ。

25年前の「サヨナラ」

雑記
03 /20 2017


流れる季節に君だけ足りない
はぐれた心の足跡を探す
カバンにつめた悲しい幸せ
遠くへ行くほど君を思い出す

「サヨナラ」/GAO

春は別れの季節、というわけで人事異動の発表なんかもあり、ちょっとセンチメンタルな今日この頃。
念のために断っておくと、彼氏とは相変わらずラブラブしてます。笑

ちなみにこの曲を歌っていたGAOさんは、現在はFtMとして生活されているようです。
そのせいかどうか、どことなくこの歌に出てくる「二人」がLGBTsのカップルのようにも思えます。
現在ほど同性愛やトランスが、一般的に認知されていないバブル前後の日本で、お互い夢を追いながら愛し合っていたゲイやレズビアンの、あるいは片方がトランスのカップル。
若かった二人のどちらかが、夢を諦めなくてはいけなくなり、ノンケとして生活することを選んだ。
そんな情景がどことなく浮かんでもきます。

暗闇ではなくて

雑記
02 /21 2017

ブログを更新しない間に、アメリカでトランプが大統領になったり、好きだった俳優の成宮寛貴くんが芸能界引退したり、世間的にも色々あった。

一つ一つ思うところがあって、記事にしていきたいと思いつつ何となく億劫で、また思うところが多すぎて言葉にならなくて、ついつい更新から遠ざかってしまったのだけど。

トランプの就任以降のゴタゴタで感じることの一つは、世の中ってのはいとも簡単に「逆行」しちゃうってことで、反動的な力はすさまじく強いってことだ。

Twitterでキャシーさんが言ってたけど、権利を勝ち取るための闘いはものすごい労力がいるけど、失うのは一瞬ってこと。

そういうのが、ものすごく身近に感じられる時代になってしまった。

「絶望してる暇なんてないでしょ?」

1月のWomen's Marchでマドンナはそう言った。

彼女の言葉は多くの人を勇気づけ、奮い立たせた。

でもきっと、大統領選以降マドンナだって一度は絶望したり、涙を流したことだと思う。

彼女のスピーチからは力強さや怒り、愛と同じぐらい悲しみが込められていたような気がした。

アメリカだけじゃない。世界中のあちこちが、何か得体の知れない闇に包まれていくのを感じている。

その中でかすかな光を探し求め、希望につなげていかなくちゃいけない。

書きたいことはまだあるのだけど、今日のところはこのへんで。

34歳という年齢

雑記
11 /28 2016
もう1ヵ月以上も前なのですが、10月18日に34歳になりました。
2005年の5月にこのブログを始めた頃は22歳と7ヵ月だったわけで、干支が一回りするぐらいの間、続けてくることが出来たのは、何となく感慨深いものもあります。
時々このブログを読み返すこともあるのですが、我ながら若いなぁー、バカだなぁーと思うことも書いてありますし、逆にずいぶん繊細な感覚もあったんだな‥‥と思うこともあったり。
文章に残しておくことって、結構大切なのかもしれません。
その時々に何を感じていたか、振り返ることは今を生きるヒントになると思います。
そして、自分が若い頃に何をどのように感じていたかというのを、今の若い世代が、同じことをどう感じるか比較してみるのも興味深いでしょう。
特にセクシュアルマイノリティ、LGBTs関連ではここ10年間で大きく世間の認識は変わったと感じています。
一方で、大人たちの感覚は必ずしも変化していないようにも思われます。
やはり次世代である若者たちの感覚が、一番気になるところです。

ちなみに、わたしは1982年生まれですが、今年こんな本も出ています。

「1982 名前のない世代」


少年期から青年期、大人になるまで正直変な注目をされることも多かった世代であったわたしたちの世代を、総括したような内容といえるかもしれません。
本は俯瞰的に世代全体を書いていますが、自分自身はどうだったのか?を振り返る際、やはり自分が書いてきたものが一番の資料です。
そして忘れてはいけないのは、若者たちには若者自身の見つめてきた世界があり、その蓄積があるということ。
その蓄積があって、わたしたちの世代とは異なる世界の捉え方をしているということを理解しなければいけないと思うのです。
34歳、もう中年という年代に足を突っ込んでいる今、この感覚を大切にしたいと思う今日この頃です。

日常はくすんでるぐらいでちょうどいい

雑記
10 /12 2016




旅行に出るっていうのはそもそも「非日常」なのだけれど、特に田舎に住む人にとって大都市に旅行することはものすごい非日常を味わう。
元日の初詣みたいな人数の人たちが街に溢れかえっていることも、周りのビルが高いことも、どこまでいっても街が続いていることも田舎の人にとっては不思議な光景だ。
ガラスばりのビルに入っているカフェや、美術館のようなブティックのショーウィンドウはいつ見ても心ときめくものだし、あるいは戦前からあるようなレトロモダンな建築物や老舗の店が今でもきちんと残っているのもまた都会らしい風情だ。

一言で田舎とはいっても、例えば県庁所在地のように人口数十万が住んでいる市の中心部と、本当に田んぼしかない郡部では住んでる人の感覚も変わってくる。
「郊外」という繁華街でもなきゃ田舎でもない地域もある。
ただどの地域に住んでいる人であれ、田舎の人が都会を旅行して、帰りの道すがら思うことは、おそらく共通していると思う。
「ああ、明日からまたしみったれた日常が始まるのだ」と。
キラキラした都会に比べると、田舎は街も野山もくすんで見えてしまう。
花火大会が終わった夜のような淋しさが胸にただようのだ。

うんと若い頃、中高生の頃から「都会に出る!」は大きな夢だった。
大学進学がそのチャンスだったけれど、結局田舎の大学に進学することになった。
就職は都会に出たかったけれど、大学生も後半になると地元に戻りたいという気持ちも芽生え始めていた。
結局、卒業しても田舎暮らし。
生まれてから34年間、都会暮らしは出来ずにきているし、よほどのことがない限り都会に出るつもりもない。

ガラスばりの高層ビルを歩いていると、無理をしてでも都会に出ていたら‥‥って考えることはある。
でも思うんだけれど、結局適応できずに逃げ帰ることになっていたような気もする。
たらればで人生考えても、不毛だとは思うのだけれど。

一つだけわかることがあるとするなら、キラキラした街並みも、「日常」になってしまうと、それは感動的なものではなくなる。
田舎に住む人の日常はくすんでるかもしれないけれど、だからこそ道ばたに咲いている花にふとした安らぎや感動があったりするものだし、季節の移り変わりに発見があったりする。
そんな大層なものではないのだけど、そういうところにも楽しみを見いだすことも可能だ。
たまに都会に出れば、一つのアミューズメントパークになるし、大きな刺激を得ることも出来る。
キラキラした日常を過ごす人たちが田舎に行っても、観光地を歩くのは刺激になると思う。
でも何の変哲もない田んぼ道を歩いても、何か感慨があるとも思えない。
都会から来た人で、そういうところで新鮮な感動を覚えるような人は、ものすごく感性が豊かな人じゃないかな。

SNSを見れば、都会の人たちは海外旅行したりして、キラキラした非日常を味わったりしている。
わざわざ田舎に来て、くすんだ「非日常」を味わう必要もないだろうし。
日常なんて、多少くすんでる方が非日常を楽しむ幅は広がる。
そして日常から何かを感じる感性が、日々の生活を豊かにする。

デブゲイな日常

雑記
09 /26 2016


「デブはゲイのモテ王道だよ」

かれこれ5年ぐらい前に言われて衝撃を受けた言葉。
当時「太ってるからモテないんだよなー」とダイエットに精進しようとしつつ、挫折を繰り返していた。
実際のところ、それよりずっと前からわたしの体に性的な興味を示してくる人はいた。
なるほどデブ専という人は一定数いるんだなとは感じていたのだけれど、まさか「王道」とまで言われているとは。

そうはいっても、個人的には「王道」ってのは言い過ぎで、何だかんだでアスリート体型やマッチョが最上級にモテるのが真実だと思う。
メインストリームではないものの、ゲイの中の1ジャンルとして、それなりに需要があるってことじゃないだろうか。
ちなみに10数年前はデブ専っていうと、オジサンゲイもしくはオジイサンゲイが多かった気がするのだけれど、最近は若ゲイにも少なからずいる。
‥‥実をいうとうちの彼氏もそれである。

イモ顔で太ったおっさんが「自分はモテる」ってなことを言うと、まあ当然「ハァ?」って反応もあるのだろうけど、ゲイの世界では別におかしな人扱いはされない。
ところがノンケの界隈だとものすごく特殊な趣味扱いされるようで、数年前に起きた東京の木嶋佳苗や鳥取の上田美由紀の連続殺人事件の時、彼女たちが太った女性ということに世間の関心は向かった。
美人でモデル体型の女性が次々と男を騙して殺したとしても、ああいう騒がれ方はしなかっただろう。
正直、太った女性に騙されたからっていうので、被害者の男性たちまで変な目で見られたり、バカにされるような報道されるのはどうなの?と思ったけれど、彼女たちのインパクトがいかに強烈なものだったのかがうかがい知れる。

実際はノンケの世界でも、男女問わず太った人が好きな人は一定数いるんじゃないだろうか。
ただデブ専ゲイのように大っぴらに出来ず、変態扱いされる可能性が高いのかもしれない。
昔の裸婦画なんて太っている女性が多いし、ああいう体型の女性が好かれている時代もあったんだろう。
そこまで変態扱いされるいわれもないんだけどね。

わたし自身でいうなら、基本的には細い男の子が好き。
あと、筋肉質な男性もとてもセクシーだと思う。
太ってる人はそんなに好きじゃない。
でも、最近はちょっとムチムチした体型の人も何となくエロく見えるようになってきた。
中年にさしかかって、ちょっとムチムチしてきた男性って、不思議ないやらしさがあるんだよね。

ただ、どんな体型であれ一番大切なのは「健康」だから、ノンケゲイ問わずデブ専のみなさんには、パートナーが健康のためにダイエットするのを、絶対に止めないで欲しいと思う。
それが愛情ってもんですよ。

去り行く夏と虫の声

雑記
09 /13 2016


ついこの間までうだるような暑さだったかと思えば、朝晩はそれでも涼しくなり、虫の声が聴こえる季節になった。
田んぼのわきにはヒガンバナが咲いているし、季節の移ろいって本当に早いんだなって感じる。
空の色もぐんと濃くなり、夏の空よりは何となく冷たいような感じがして、ちょっと淋しいような気分になる。

わたしは秋生まれなので、夏の終わりは「もう〇〇歳も終わりだな」と毎年思い始める時期でもある。
今年でいうなら、「33歳ももうすぐ終わりか‥‥」という風に。
いつの間にか30代も半ばだ。
季節の移ろいと同じで、歳をとるのもあっという間だ。
何だかしんみりしちゃうね。

いつの間にか青春の頃は、懐かしい思い出の日々になった。
かつては昨日のことのようであったけれど、大人になってしまうとものすごく遠く感じてしまう。
おそらく今の日々も、もっと歳をとればはるか遠くにあるような、感傷的な思い出の日々になるんだろう。

過ぎ行く季節は淋しいのだけれど、来たり行く季節もまた、楽しみがある。
夏は蛍の美しさに感動したように、秋には鈴虫の鳴く声に安らぎを覚える。
人生も同じだ。
節目ごとに、あるいは日常の過ぎ行く日々のなかに、新鮮な感動や発見、よろこびがある。
一つ一つの小さな積み重ねが、生きていく楽しみであり、喜びにつながる。

露呈した「地獄」の社会

雑記
09 /03 2016
10日も前のニュースで、それ以後続報も出ているのだけど、備忘録もかねて第一報。



高畑淳子の息子、俳優・高畑裕太容疑者を強姦致傷容疑で逮捕


群馬県警捜査1課などは23日、前橋市内のホテル客室で40代の女性従業員に乱暴するなどしたとして、強姦致傷容疑で俳優の高畑裕太容疑者(22)=東京都渋谷区=を逮捕した。行為については認めているが、計画性については「企ててはいない」と否認しているという。
 逮捕容疑は23日未明、前橋市内のホテルで女性従業員の手足を押さえつけるなど暴行した上で乱暴し、右手親指打撲などの傷害を負わせた疑い。

 県警によると、高畑容疑者は映画の撮影のため、群馬県内にいた。前日は「映画スタッフと飲酒した」とも話しているという。23日午前3時32分に被害者の知人男性から110番通報があり、捜査を開始。同午後1時40分に逮捕した。
 高畑容疑者は女優・高畑淳子の長男で、12年に俳優デビュー。15年のNHK連続テレビ小説「まれ」で、主人公の同級生を演じて注目され、現在放送中のTBS系連続ドラマ「仰げば尊し」やバラエティー番組に出演している。27、28日の日テレ系「24時間テレビ39 愛は地球を救う」では番組パーソナリティーを務めることが発表されているほか、同番組内のドラマスペシャル「盲目のヨシノリ先生~光を失って心が見えた~」にも出演。来年1月には舞台出演も決定していた。




この事件の第一報のほとんどが「高畑淳子さんの息子」として報道された。
22歳にもなる長男が起こしたことであり、高畑淳子さん自身には関わりがないのに‥‥という意見もTwitterではたくさん見られたし、ネットニュースやテレビ、雑誌などでも同じようなコメントはあったように思う。
張本人である高畑裕太自身がそれほどの知名度もなく、圧倒的に高畑淳子さんが有名である以上、こういう注目のされ方は多少仕方ないのかもしれない。
親としてどういう教育してきたんだと思う人がいるのも、わからないでもない(未成年でもないのにちょっと‥‥と思うけど)。

その後、高畑淳子さんが記者会見を開いた。
会見では複数の記者から、かなりきわどい質問も受けた。
「女性に対して危うい部分はあったか」
「性欲が強いとか、性的嗜好がおかしいということはあったか」
一体、母親である高畑淳子さんが、息子の性生活に関して何を知っていたというのだろうか。
本人ならいざ知らず、加害者の家族にすぎないのに、どうしてこんな辱しめを受けなければならないのか。

マスコミが高畑裕太の「性的嗜好」に触れたのは理由がある。
それは被害者の女性が、40代の女性だったからだ。
22歳の男が、40代の女性に性的な興味を覚えたことに、下世話な興味を抱いたのだ。
ネット上には被害者の女性が、「40代女性とは思えないほど美人だった」という憶測が流れたり、どこから見つけてきたのか、その真贋はわからないけど被害者女性の写真まで出回った。
あるいは高畑裕太が熟女好きだのマザコンだのという、下卑た憶測も流れた。
被害者のプライバシーは絶対的に守られないといけないものだし、被害者がいわれなき中傷をされるのは絶対に許されることではない。
下世話な関心で、いやらしく注目されるなんて被害者に対して絶対にやってはいけないことなのに。
なぜ世間全体によるセカンドレイプがまかり通ってしまうのだろうか。

高畑裕太が性的な関心が強く、共演者の女性芸能人たちを誘っていたという話も伝わっている。
女優でタレントの橋本マナミもその一人だった。
高畑裕太の誘いを断ったエピソードも、テレビで語っていたという。
同じ番組に出ていた俳優の梅沢富美男が、橋本マナミに対して
「お前が一番悪いと思った」
「ヤラせてもよかったんじゃないの?」
と、発言したという。
強姦致傷の犯人だよ?強姦された上に怪我までさせるような男だよ?
橋本マナミが危険な目に遭う可能性だってあったかもしれない?って思わないのだろうか?
大体、セックスするかどうかは本人がしたいかどうかでしょ。
したくない人と、どうしてしなきゃいけないの?
根本的には「セックスワーカーは性の防波堤として必要」みたいな意見と同じで、凶暴な男の性を受け止め犠牲になれって言ってるようなもんだ。
コンクリートの壁じゃなくて、人間なんだよ。
まともに暴力ぶつけられたら壊れちゃうよ。
おそらくは高畑裕太が逮捕後に語っていたという「衝動を抑えられなかった」という言葉を受けて発言したのだと思う。
でも、性欲と性暴力衝動は根本的に違う。
性暴力をふるう人たちは、セックスがしたいから、性暴力にはしるわけではない。
相手の尊厳を踏みにじり、暴力で支配したいからだ。
性暴力関連の事件が起こると、「風俗を活用すれば」という意見も出てくる。
性暴力をふるう人は、お金を払ってセックスしたいのだろうか?
風俗を利用するにしても、お金を払って性暴力をふるうだけではないだろうか?
性暴力や性犯罪の「抑止」のために、女に生贄になれという。
人権もなんにもない。

謝罪を求められ、自身のキャリアも危機にさらされるのは母という「女」。
下世話な好奇心を持たれ、あらぬ中傷を受ける被害者も「女」。
ヤラせてやればよかった、犠牲者になれと批判されるのも「女」。
責められているのは女たちだ。
事件を起こしたのは「男」だというのに。
そして、男が女を踏みにじる事件なのに。
女にとって、何という地獄なんだろうか。

高畑裕太は、もしかしたらわたし自身かもしれない。
あるいは梅沢富美男も、わたし自身かもしれない。
日本中の男たちが、高畑裕太であり梅沢富美男なのではないか。
もちろん、セクなんて関係ない。男である限り。
この世の中を、女たちにとって地獄の社会に作り上げたのは、他ならぬ男たちだからだ。

誰かにとっての地獄は、他の誰かにとっても地獄になりうる。
男たちはそれに気づかなくてはいけない。

ブーム現象の怖さ

雑記
08 /12 2016
LGBT男性自殺で大学を提訴

いわゆる性的マイノリティー「LGBT」であることを友人たちに知られ、自殺した大学院生の両親が、相談を受けていた大学などに賠償を求める訴えを起こしました。
5日から始まった裁判で、大学側などは訴えを退けるよう求めました。

東京の一橋大学法科大学院の3年生だった男性は、去年4月、男の同級生に好意を打ち明けたところ、無料アプリ「LINE」などを通じて友人たちに言いふらされ、大学の担当者に相談しましたが、4か月後、授業中に自殺を図って亡くなりました。
男性の両親は、自殺を図ったのは大学の不適切な対応が原因で、同級生にも言いふらした責任があるとして、あわせて300万円の賠償を求める訴えを起こしました。
5日から東京地方裁判所で始まった裁判で、大学や同級生側は、訴えを退けるよう求めました。
裁判のあと男性の家族は会見を開き「同級生の理不尽な行動で追い詰められ、大学側もサポートせず放置したことは許せません」と述べました。
両親の弁護士は「同性愛者だと言いふらされると傷ついてしまう社会だということが問題の背景にある。裁判を通じて何かが変わるきっかけになってほしい」と話しました。
一方、一橋大学は「ご冥福を心よりお祈り申し上げるとともに、ご家族の皆さまに謹んで哀悼の意を表します。大学の立場は、裁判で明らかにしていきたい」とコメントしています。




このような事件は本当に胸が痛い。
亡くなった彼の周囲が、ゲイに対して理解ある人たちであったなら、彼は追い詰められることはなかった。
周囲の差別的な言動を身近に感じていたからこそ、彼はアウティングされたことが怖くて辛くて自ら死を選んでしまった。
ここ数年間、メディアを巻き込んでのLGBTブームのようなものがあった。
プライドパレードがメディアに取り上げられるようになり、同性結婚式などのLGBTビジネスが勃興した。
昨年アメリカで同性婚が合憲判断され、日本でも自治体単位でパートナーシップ条例が成立し、施行された。
そんな喧騒のなかの、この事件。
はたして世間はどれだけ変化したのだろうか?

このブログを開設した当初から、「ゲイをカムアウトする」ことに関しては色々考えることがあった。
わたしは一貫して「カムアウトした方がいい」っていうスタンスだった。
「当事者がクローゼットのままでは、世間にとってゲイは身近な存在にならないし、制度的な保障も含めた議論にはならない。偏見や差別もなくならない。まずは可視化することが必要」
っていう、ゲイリブ的な視点もあったし、
「わたしは普通に恋愛してるだけなのに、何でコソコソ隠さないといけないの?親しい間柄の人にまで嘘をついて、自分を偽らないといけないのはおかしい」
っていう、感傷的な理由もあった。
まあ、実際のところ軽率でおしゃべりなわたしが、秘密を抱えつつ生きていくのが困難だったってのが最大な理由だったんだけどね。
大学時代にカムアウトしたのは酔った勢いだった。
基本的には、わたしはゲイがゲイとして生きることが出来る社会が理想だ。
パートナーが出来たら、親しい人に紹介したり、街中で手を繋いでデートしても変な目で見られたりしないのが、「普通」だと思う。

でもセクシュアリティに対するスタンスなんて、当事者だってそれぞれだ。
恋愛やセックスの話をいちいち人に話すのが、そもそもおかしいって考え方もわかる。
カムアウトしなくても、別にゲイライフを楽しむことなんて出来るし、いちいちカムアウトする必要ある?っていう人は、それでいいと思う。
ただ、選択肢としてカムアウトする、しないが選べないとしたら、やはり問題ではないだろうか。

ちょっと話が脱線してしまったけど、このブログを開設した2005年当初に比べたら、ゲイをとりまく環境はそれなりに変化したと思う。
カムアウトすることが身近になったっていうよりは、若い世代にとって「別に隠すことでもない」程度の認識にはなりつつある――――気がしていた。
ところが、残念ながら自殺した大学院生にとっては、知られてしまうことが命を絶つ理由になってしまった。
まだ若い彼の周囲は、ゲイである彼を拒絶してしまった。

残念ながら、社会はそれほど変わらず、ゲイであることを知られるのは、リスクを伴うことであるのに変わりはない。
ブーム現象のようにLGBTはメディアで取りあげられたけれど、人々の意識にどれだけ届いているのだろうか。
LGBTと同様、近年注目されているのがセックスワーカーの人たちの存在だ。
性風俗産業やAV出演者など、性的なサービスを職業とする人たちだ。
かつてはセックスワーカーに対しては、ネガティブな印象を持つ人たちが多かったと思う。
不幸な事情を背負った人たちが、仕方なく就いているとか、性的に搾取されている可哀想な人たちという、同情的な見方もあっただろうし、
特に女性に対しては安直に性を売って、女性の尊厳を傷つけている人たちとでもいうような批判的な意見もあったと思う。
あまり堂々と、セックスワーカーであることを公言するべきではないような、どちらかというと秘密のお仕事のような、そういうイメージがあった。

それがここ数年、AV女優や風俗嬢がSNSを中心に発信するようになり、自分の仕事を恥じたり否定せず、むしろプライドをもってやっている姿が知られるようになった。
業界が必ずしも女性たちを酷使して搾取しているわけではない、また深刻な事情を抱えてその仕事に就いているわけでもない等々、かつてあったネガティブな印象を否定する意見もたくさん見られた。
何となくではあるけど、一つのブーム現象として、LGBTと似た空気を感じていた。
わたし自身はセックスワーカーの労務環境とか、偏見に基づく差別や、労働問題や人権問題としての関心は以前からあった。
プライドパレードにも団体として参加していたので、当事者や支援者の人たちと話す機会もあった。
やりがいや、仕事に対する満足感はあるという人たちが多い反面、労災や社会保険などの環境は整っていないことを問題視する人も多かった。
ネガティブではないけど、問題がないわけでもないという印象があった。
何となくだけれど、ポジティブさを全面に押し出しているかのような、セックスワーカーの発信には、違和感を覚えていた。

それがより具体的に、目に見える形で露呈したのが、今年起こった「AV出演強要問題」だった。
所属事務所からAVに無理やり出演させられた人の告発に対して、一部のAV業界の人が否定し、被害者を批判する声が巻き起こった。
名前と顔を出して告発したAV女優もいたし、もとAV女優の川奈まり子さんがAV女優の組合を設立する等、業界の改善を志向する動きもあった一方で、「AV業界はクリーンです!」というアピールの方が目立っていたように思う。
そして、それに賛同する声もとても多く聞こえてきた。
普通に考えたら、いい事務所やいいメーカーもあるし、悪い事務所や悪いメーカーもあるだろうし、たまたま自分の所属していた会社がよかっただけで業界全体をクリーンっていうのは無理がある。
当事者ならともかく、周辺にいる人たちまでそういう視点を失ってしまうのは、ちょっと怖いことだ。
そして、それが被害者に対する抑圧に繋がってしまった。

と、まあまた話が脱線してしまったけれど、LGBTにせよ、セックスワーカーにせよ、よりポジティブなイメージが広まりつつある一方で、課題はたくさん残っているし、苦しんでいる当事者もたくさんいる。
たった数年前まで、笑い者であり、うしろ指さされる者であり、バカにされる存在であった人たちが、ブーム現象によってポジティブな存在になりつつある。
それ自体が悪いことだとは思わない。
ところが、そのポジティブさにあまり実態を知らない人たちが騙されてしまうのは、苦しんでいる人たちをさらに追い詰めるのではないか。
何より、当事者自身が騙されてしまうのが危険だと思う。

あまり考えがなくカムアウトしてしまったり、ましてやアウティングするなんてとても危険な行為だと知らなくてはいけない。
ブーム現象が一段落し、きちんと地に足をつけて考えていく段階だと思う。
残念ながら世間は忘れっぽく移り気で、そして冷たいのだから。

和江さん

30代シスジェンダー(?)ゲイ。

日本の片隅にひっそりと暮らしている。
お仕事は福祉系。


マドンナが大好き。


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